承認欲求はざっくり分けて二つある。

 

 

① 「頑張った分認められてもいい」承認 (陽)

 

 

 

② ぶれている自分を止めるための承認 (陰)

 

 

 

この二つを混ぜて考えるから、

 

 

「承認欲求が強い自分」に悩んだり、

承認欲求を求める自分に振り回されたりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

① 「頑張った分認められてもいい」承認 (陽)

 

 

努力や過程、

客観的事実は認められてもいい。

 

「承認欲求」は生物の自然な欲求。

 

動物も植物も、

褒められたら嬉しいキラキラ

 

 

 

 

頑張った分は褒めてもいい。

イイねを貰ってもいいグッ

 

 

 

しかも、気持ちよく受け取ると

褒めた相手も嬉しい照れ

良いことしかないラブラブ

 

 

 

元々木々が

生い茂っているところに、

喜びで花が咲く感じ。

 

 

 

褒められたらありがたく受け取るグッ

そしてもっと頑張っちゃおうかなー照れ

と、栄養分にするキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

② ぶれている自分を止めるための承認 (陰)

 

 

これは、

自信のなさを埋めるためのもの。

 

自分の価値が危うい。

 

ぶれているので、

他人から褒められる(承認を得る)ことで

そのブレを止めたい。

 

 

 

この場合は、

「なぜ私は承認してほしいのかな?」と

立ち止まって考える。

 

→他人で自信を埋めようとしない。

 

 

 

 

 

 

 

② ぶれている自分を止めるための承認

 

 

になっている人は、

 

物事(客観的事実)と

人としての価値を結び付けている。

 

 

・結婚している/していない

・恋人が居る/居ない

・パートナーの社会的地位

・仕事内容

・年収

・見た目

・年齢

 

 

こういう「客観的事実」に

ジャッジを入れて、

 

人としての価値に

結び付けているんだよねパー

 

 

 

「物事→人としての価値をジャッジ→承認するかどうか」

 

 

 

 

と自分も他人もジャッジしている。

 

 

(自分が思う)上下の「下」に

カテゴライズされると

 

自分も「価値(人間としてどうなの?)」を

ジャッジをされると思っているから、

 

 

陰の承認欲求が強くなったり、

先回りして自分を「ダメだ」とジャッジする。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもね、

 

 

 

客観的事実だけで人間性、

人としての価値は決められない。

 

 

 

 

そもそも人としての価値って何だ?笑い泣き

人間、見たいようにしか物事を見ないよ。

 

 

 

 

歴史に名を遺す偉人だって、

 

ある一方から見ると英雄で、

逆サイドから見ると反逆者

ってことザラにある。

 

 

 

見る角度で、

物事は変化する。

 

「事実」が変わることもある。

 

 

 

 

一つの視点から見たことと

人としての価値は無関係。

 

 

 


まとめると、

 

 

 

 

・努力した分は褒められていい。

 承認欲求はあってOK。

 

 

・客観的事実から人の価値は計れない。

 

 

 

 

 

「承認欲求」を悪者にしていないか?

 

客観的事実と人としての価値を結び付けていないか?

 

そこから自分の価値を計っていないか?

 

ポイントはそこグッ

 

 

 

 

 

【関連記事】

「自信がない」のは勘違い

自己肯定感が勝手に上がっていく方法

 

 

 

 

続きはこちら。

 

 

 

いつもお読みくださりありがとうございますキラキラ

公式LINEはこちら。


 

ID:@065zewvj


ここからも登録できますラブラブ
https://lin.ee/ZEYdBg5