あの日から10年 | ☆天使の飛行機☆もとの自分に戻ろう☆

☆天使の飛行機☆もとの自分に戻ろう☆

二人の子供がいます。今まで子供優先で生きてきました。中3の子供は熱中症から起立性になり不登校。自分を責めてきましたがこれからは私自身の人生を歩もうと決めました。不登校の事、自分が楽しんでる事、学んでる事を書いていきます。私自身が楽しく笑顔で過ごせるように❤️

あやちゃんが、
私の心の中をそのまま
記事に代弁してくれました。



先月の2月13日あった地震。


この他にもあちこちにヒビがまた入りました。。。



どうもこの2月の地震から
私の心は乱れました。



公立高校入試、
卒業式、
このキーワードは不登校には切なくなるキーワード。



そしてだんだんと増える
メディアでの
「あれから10年」
の言葉。



見なきゃいいのに、
つい見ちゃう。



今日は2時46分
沿岸部を向いて
仕事中、全員で黙祷。



あやちゃんの記事にあるように
「沿岸部に比べたら私たちはそこまでひどくないから」
と自分の感情に
すぐに蓋をして
10年きました。




本当は怖かった、
めちゃくちゃ怖かった。
何度も何度も鳴る緊急地震速報。
避難所では寒いなか
お腹すいたーといいながら
眠った子供たち。



夜空の綺麗な星。
そして雪がまう。



先日あやちゃんにあって
不登校の長男の話とか
地震の話をしてたら
涙が。。。



怖かった思いはずっと消えないと思うけれど。



この3月11日は消して忘れることの出来ない日です。



そして10年たった今でも
あの日のことが鮮明に思い出せます。



地震がきた瞬間。
運転しながら長男を迎えにいった
道路がぐにゃぐにゃになって
運転大変だったこと。
幼稚園いったら長男が号泣してたこと。
その後小学校へいき長女を迎えにいったこと。
(車はどうしたんだろう?覚えてないなぁ)
帰宅してみたら温水器が倒れていてマンション全体が湯気におおわれていたこと。
エレベーターとまってて部屋まで階段でいったこと。
部屋の中の家具がすべて倒れて
足の踏み場もなく、
ガラスだらけで部屋に危なくて入れなかったこと。
避難所へいったこと。
その時にみた星が綺麗だったこと。
避難所で聞いたラジオからの
信じられない光景。
旦那は単身赴任。
公衆電話で旦那の会社に無事の電話をしたこと。
食べるものもなく真っ暗な中を
皆で避難所で横たわって眠ったこと。
何度も何度も地震がきて、その度に起きてしまうこと。
次の日避難所のラジオでまた信じられない光景が伝えられてること。
食べるものがなく途方にくれたこと。



その後普通に食べられるようになるまで1か月以上かかった記憶が。




一日目はとっても記憶がはっきりとしてるけれど、
その後日を追うごとに
記憶が曖昧になりました。



たくさんの命が一瞬でなくなりました。
私たちは生かされました。
長男は不登校だけれど、
生きています。
生かされた命を大切にいきます。



消して忘れませんあの日を。



亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。