生きるとか死ぬとか
人生生きてたら誰しもが必ず一度は考えるようなことでしょうか。きっとそうだと思います。
前のブログを読んでくださった方ならご存知かと思いますが、知らない方がほとんどだと思いますので一応軽く自己紹介を。
リーロンです。
もう直ぐ卒業予定の現高校3年生です。
高校2年生の初期からうつ病を患っており闘病中です。ちなみにこれを書いている今は3回目の入院中で、明日退院する予定です。
まあ要するにうつ病なんですよ、自分。
うつ病っていうのは簡単に言えば心の病気なので、すごく落ち込むわけです。(詳細についてはぜひ自分の過去のブログを参照していただけると嬉しいです)単純な話すごく死にたくなるんです、この病気にかかっちゃうと。なので人の何倍も生や死について考えることは多いと思います。
今回はそんな自分がこれまで考えてきた生きるとか死ぬとかについて、自分なりに考えていこうと思います。
※このブログは自殺や死について触れている部分がありますが、それらを助長する意図はありません。
読む際は自身の精神状態に留意することを強くお勧めします。
生きることについて
人はなぜ生きるのか
永遠にして最大の問題だと思います。
私たちは日々淡々と生きていますが、なんでわざわざ大変な思いをしてまで生きているのだろうかという疑問が浮かんだことはきっとあると思います。
この答えについて考えてみたいと思います。
その上で、まずは生きることがどういうことか考えてみたいなと思います。
生きることは大変なことである
→生きることは大変なのでしょうか?今回は大変だと考える人と楽だと考える人に分かれて考察してみたいと思います。
大変であるという側の意見
毎日満員電車に乗って通勤通学して、夕方まで働いたり勉強したりして、自分の時間を過ごす間もなく疲れて寝る。そんな生活を当たり前のように続けているだけでも大変なのに、人間関係や仕事のことや勉強のことやらお金のことやらで大量のストレスがどんとのしかかってくる。理不尽極まりない事態に遭遇することも少なくない。もちろん楽しい時間もあることに変わりはないけど、正直辛い時間の方が多い。そのくせ社会は「努力は必ず報われる」とか綺麗事ばっかり。
こっちは毎日生きてるだけで努力してるつもりなんだよなあ。報われたことなんてないなあ。
何が起こるかわからない未来に毎日ビクビクしながら、失敗を恐れながら生きてるんだよなあ。
不安とか責任とか失敗とか比較とかもうそういうの本当に嫌になってきたな。
とにかく、生きるってマジで大変。
楽であるという側の意見
いやいや、人生ってね、結局なんとかなることが多いんだよ。何かあったら助けてくれる人って絶対にいるし、社会のサポートってかなり充実しているんだよね。例えば生活保護とか保険とか命の電話とかさ。あとね、人間ってみんなそんな悪い人ばかりじゃないんだよ。だからそんなに人間関係とかで悩む必要もないと思う。
もちろん高いところを目指すんだったらかなり苦労はしないといけないかもしれないけどさ、単純に生きていくだけだったらそれほど頑張らなくてもいいんだよ。今が辛いんだったらさ、何かしらできることあるんじゃない?先生や友達に相談してみるとか。なんかみんな人と比べすぎだし、自分を責めすぎ。人生失敗を恐れてばっかじゃダメだし、失敗してもなんとかなること多いよ。
人生そんなに大変大変言ってたらキリがないんだからさ、もっと気楽に生きていこいよ、楽していく人生だっていいと思うよ全然。
とにかく、生きるってマジで楽。
どうでしょうか?
読んでみてどんな感想を抱きましたか?
まず最初に自分が思ったのは、多分生きるのって大変なんだなってことです。
楽側の意見も一理あるところはあるのですが、流石に綺麗事を言い過ぎなところがあるかなと思いました。ですが、この人はおそらく人生を楽しんでいるんだろうなということがなんとなく見受けられます。おそらく皆さんも同じようなことを思ってるんじゃゃないでしょうか?基本的に皆さん大変側の意見に共感するところが多いかと思います。
大変側の意見は皆さんにどんな印象を与えましたか?THE現代人の悩みといった感じでしょうか。悲観的であり人生が楽しくなさそうです。人生に対しての不満を溜め込んでいて、日々ボロボロになりながら生きている感じがしますよね。
自分はどちら側かというともちろん大変側です。生きることって本当にストレスフルだし、責任とかいろんなものが付き纏ってくるものです。今は毎日這いつくばりながら生きていると言った感じで、よく生きれているなと自分でも思います。
なのでまずここで一つの答えを出してみましょう。
生きることは大変だ
ただここで自分が思ったのが、なぜ我々は楽側の意見に共感できないのだろうか?ということです。
だって確実に人生楽だと思った方が良くないですか?楽側に共感できた方が絶対にいいとは思いませんか?
ここで自分はまた違うテーマが関係してくると思います。それはズバリ
生きることは楽しいことである
→です。生きることをプラスのものかマイナスものかどう捉えているかによって共感度合いが変わってくるのかなあと思います。生きることは楽しいことなのかどうか、こちらも二項対立で見ていこうと思います。
生きることは楽しいと思う側の意見
美味しいご飯を食べたり、友達や家族や恋人と他愛もない会話をしたり、遊びに行ったり、綺麗な景色を見たり、人生楽しいと思える瞬間がたくさんあるはず。人生楽あれば苦ありというけど、それはつまり苦あれば楽ありということであって、苦しいことも乗り越えていけば必ず楽しいことがあるはずなんだよね。トータルで見ればきっとプラスになるように人生できているだよ。
しかも人生っていろんな選択肢があって、全部自分で好きなように決めれるゲームみたなものですごく楽しいと思うんだ。努力することでどこまでも高いところへ行けるし、やりたいように好きにできるのがすごく楽しいと思う。明日何が起こるかわからないワクワク感や数年後自分がどうなってるか予想できないドキドキ感ってすごくいいと思わない?
もしかしたら、あの人と比べたらとかそういう見方をしちゃうかもしれないけど、自分なりに楽しい人生を送れているんだったらそれでいいんじゃないかと思う。誰にだって輝ける瞬間はあるし、自分らしく生きれたらすごく人生楽しいものになると思う。
ああ、人生って楽しいなあ。
生きることは楽しくないと思う側の意見
うーん、正直今の自分は生きることを楽しいとは思えないなあ。最近、何をやっても楽しいとは思えないし、毎日同じような人生でつまらない。生きる意味なんかも見出せない
努力とか苦労はたくさんしたけど、それに見合う報酬を得れているのかと思うとそんなことはないように思えてしまう。辛いことばっか記憶に残るし、楽しかった記憶なんてほとんどない。トータルで見たら圧倒的にマイナスだよ。
明日何が起こるかわからないワクワク?逆だよ逆。明日何が起こるかわからないこそ怖くて仕方がないんだ。予想できないからこそ不安で心配でたまらない。
しかも自分には才能とか人より秀でているところとか全然ないし、言ってる割には努力してきたわけでもないんだよな。人生楽しくなるためにはやっぱり苦労しないとダメなの?でも苦労して良くなる保証なんてどこにもないよね、結局責任を取るのは自分なんだよ。
なんで生きてるかもわからない、別に産んで欲しかったわけでもないのに。
ああ、人生楽しくないな。
いかがでしょうか。先ほどのテーマよりも考えられそうなことが多いような気がします。
まず率直に、皆さんはどちらに共感しましたか?
これに関しては案外人それぞれかもしれません。
生きることは大変だと考える人がほとんどなのに、生きることが楽しくないと考える人は意外と半分くらいな気がします。というか、どっちにも共感できるという人が多いのでは?
ここからわかるのは、大変≠マイナスということです。ある程度の苦労があってこその喜びや幸せがあるわけであって、必ずしも苦労したからといって全体が負のものになるわけではないのです。この結果は先ほど予想した、大変=楽しくない、楽=楽しいという相関があるのではという予想に反していますね。
では、これをふまえてそれぞれの意見を見ていきましょう。
楽しい側の意見は、共感できる人にとってはまさにその通りというか、この人は心から人生を楽しんでいるんだなということが感じられます。だからといってこの人は苦労を経験していないわけではなく、色々影なる努力を重ねた上で手に入れた幸せな人生を送っているんだなと思います。誰にだって輝ける瞬間はあるという言葉は、とても希望に満ち溢れていていい言葉だなと思いました(自分で書いたけど)。
楽しくない側の意見も、その通りだなと思いますね。人生が大変だということが先ほど分かったように、そこから人生は楽しくないというふうに考える、至って自然な考え方だと思います。悲観的に見えるかもしれませんが、論理的に破綻していない筋の通った意見だと思いました。とはいえ、この人には何かしらのサポートしてあげる必要がありそうですよね、少し大袈裟に見えるかもしれませんが、抑鬱状態またはうつ病の恐れがあります。何かしらの声かけが必要ではあるような気がします。
自分はどちら側なのかというと楽しくない側ですが、楽しいと思ったこともあります。やっぱり友達と遊びに行ったりバンドをしたりしている時間はすごく楽しいですし、それらを否定するつもりはありません。入院中、何もやることがなくてすごくつまらなかったのですが、だからこそ毎日の食事や他の患者さんたちとの会話、外に出た時に見た空の青さがいいなと思いました。些細な幸せを感じたのです。
ここで一つの答えを提示したいと思います。
生きることは辛いことにも楽しいことにも捉えることができる。
ここまでで自分が考えたのは、生きることが楽しいかどうかについては見方でしかないのかなということです。楽しい側の意見も楽しくない側の意見も、同じようなことに言及しています。例えば明日がわからないことについてどう感じるか。ワクワクと捉えることもできるし、不安で怖いと捉えることもできる、と言った具合です。
生きることは大変だというのは不変の事実ですが、生きることが楽しいかどうかはあなた次第で変えられるのです。
うつ病に関連して
自分が思うに、今の現代人は生きることをマイナスに捉えすぎる傾向にあるのかなと思います。だからこそ、人生は大変だから辛い、という思考回路を持ってしまうわけであって、人生楽しくないと考える人が半分、もしかしたらそれ以上にいるのかもしれません。これに関してはアンケートをとったわけじゃないのでわかりませんが、いろんな人を見てきた感じ、そこそこに的を得た結論ではあるのかなと思います。現代病であるうつ病を患う人が増えているのは、こう言った世間の風潮があるからなのかもしれないです。
うつ病は脳神経の病気です。うつ病の人は、脳に問題があるゆえに人生を大変であり辛くて仕方がなものだと考える、ということに間違いはないとしましょう。医学的にはこの考え方がやめられない状態、それによって動けなくなったり、自傷行為や自殺行為に及んでしまう状態を病気としていると考えると、ある意味人生を辛いと捉えてしまうことが病気なのかもしれないです。もちろん、少しそう思ったからといって病気と決めつけるのは違いますし、誰でも思うことなのでこれは極論です。
じゃあ何が言いたいのかというと、人生楽しいと思えていることが健常なんだということです。健康で快活な人生を送ることが人間としては健常であると言えるのだと思います。
生きる意味とは
ようやく戻ってきました。ここで生きる意味を考えてみたいと思います。
まずここまでで得られた結論は二つ。
・生きるのは大変である
・生きるのが楽しいかどうかは捉え方で変わる
です。
そもそも、生きる意味を考える意味ってなんでしょうか?考えられる意見としては、「生きる意味を見つけたいから、それによって生きる希望を得たいから」「自分の生き方を整理したいから」と言った感じでしょうか。つまり、生きる意味を考えることによって人生について考え直したいということなのです。
いきなりですがここで一つの答えを提示します。
生きる意味なんてない
身も蓋もないですね、ここまで長々と考えてきた意味はなんだったのでしょうか。ですがこの命題は真です。生きる意味なんて結局はないんです。どこまで行っても終わりが見つからなくなってしまいます。これは自分が長年生きる意味について考えた上での一つの結論であり、一般的な答えでもあります。
ですが、生きる意味を考える意味はあると思います。それによって自分の人生を振り返ってみて、自分が今何をしたいのか、どういう立ち位置なのかを整理し直して、自分のことについてより深く理解することができます。つまり、人生を肯定するきっかけができるのです。もしかしたら生きる意味が見つかるかもしれません、個人的には生きる意味が見つかったら万々歳だなあと思います。
話を少し戻しましょう。生きる意味なんてないと言いましたが、ここでは一つの答えを出したいと思います。
人生は大変だし、人生は捉えようである。
これがキーワードでしょう。
全人類が掲げているゴールが一つあるはずです。
良い人生を送りたい!!!!!!
です。当たり前です、生きている人間は全員この目標に向かって毎日頑張っています。人生に絶望して死のうとしている人だって、人生をより良くしたいと思ってきたからこそ絶望しているのです。
答え
そろそろ見えてきたでしょうか?人生の意味。
自分なりの答えを発表したいと思います。それは、
おー、ようやく答えが出ましたね。
どうでしょうか?「生きる意味を見つけることが生きる意味だ」というわけです。一見何を言ってるかわからないと思うので少し補足を。
生きる意味を見つけることが今回のブログでのゴールでしたが、これがなんと人生においてのゴールでもあったというわけです。生きる意味が見つかったということは、生きることが肯定されたということです。それすなわち、人生を良いものとして捉えられたということです。これによって先ほどの、良い人生を送りたいというゴールが達成されました。
人生を良いものと捉えることが前提条件であり、そのためには生きる意味を見つけなければならない。
そのために我々は生きているのです。
少し話がわかりづらくなってしまいましたね。。。
まとめるとするならば、
良い人生送りたいなら生きろ!
です!
生きることは尊いことです。全生命に与えられた権利であり、これを目一杯使わない手はないでしょう。
生きることについてはここまでとします。
死ぬことについて
生きることについて考えたあとは、そりゃ死ぬことについて考えたくなりますよねー。え、そんなことないって?すいませんでした、、、
ここでのゴールは、
死とはどういうものか
に対して答えを出したいと思います。あまりにも漠然としていますね。「死ぬ意味」についても考えますが、ここでのゴールにはしないでおきます。
自殺や安楽死
→死ぬ意味って一体なんでしょうか?生きる意味が人生をより良くするためだとしたら、死ぬ意味はそれが達成できなかった時に現れるのでしょうか?
そんなことはないと思います。生きる意味が見つからないんだったら死ぬしかないかというとそれは違うでしょう。ここで考えたいのは、自殺や安楽死についてです。
近年若者の自殺率が増えています。なぜこんなにも自殺する人が多いのでしょうか?かくいう自分も自殺未遂を何度もしたことがあります。
自殺をする理由として挙げられるのは
・生きる意味が見出せないから
・生きる希望を失ったから
・早く楽になりたいから
などでしょうか。これら一つ一つについてアドバイスを考えてみたいなと思っています。
・生きる意味が見出せない
→生きる意味は、「生きる意味を見つけること」です。生きる意味が見つからないのは当たり前のことであり、生きている限り生きる意味は探し続けるものなのです。そもそも生きる意味なんてないというのが一般論ですので、生きる意味が見つからないというのはなんらおかしいことではないでしょう。
では生きる意味が見つかったら?死んで良いのでしょうか。いや、生きる意味が見つかったんだったら生きてください。そういうことです。
・生きる希望を失ったから
→この場合、かなり目の前のことに囚われ過ぎている可能性があります。人生には無限の選択肢があって、必ず希望のあるルートが存在するはずでしょう。そのルートがどうしても見出せない時は、時間に委ねてみましょう。とりあえず生きているだけでも、何か見えてくるものはあるはずです。これは嘘ではなく本当です。自分も生きる希望などクソ食らえと思っていた時期が長かったですが、時間に任せて生きていくうちになんとか生き続けようかなと思えたことが出てきました。騙されたと思って、まずは時が経つのを待ってみてください。
・早く楽になりたいから
→今の状況が考えられないほど辛くて、苦しくて、生きているよりかは全てを無に帰した方が良いと思っているということです。こればっかりはかなり難しい問題だなと思っています。その人にとっては今の状況がこれ以上ない辛くて、回復する見込みがない場合、死という選択肢が少し見え始めます。たとえば難病の人。治る見込みがもうなくて、あとはただ苦しいだけ。こういう人は死んだ方がいいのでしょうか?答えははいだと思わざるを得ないです。その人が苦しいと思っていて、死にたいと思っていて、よくなる見込みが第三者から見てもないのであれば、その時だけは死を肯定せざるを得ないと思います。安楽死制度はこういう時のためにあるのだと思います。
ですが、実際に自殺をしてしまった人たちの中にはそうではない人もいるはずです。周りの人がサポートをしてあげることで、今の状況を脱する方法がないかどうか考えるべきです。ずっと耐えてきた人であれば、困難を乗り越えられる力があるはずです。まずは他の人に相談してみたりして、その一歩を止めてみましょう。
こんな感じでしょうか?
ここで考えたいのが、基本的にこのアドバイスは自殺をダメなものとして捉えてい流ということです。これはなぜなのでしょうか?
自殺がダメな理由
はっきりと言いましょう。
あえてこういうふうに書きました。
周りの人が悲しむからとか、まだ希望があるかもしれないからとか、そんなのって全部一個の言葉で反論できるんですよ。
「でも死んだらどうなるかわかんなくない?」
残念ながら人が死んだあとどうなるかは全くわかりません。もしかしたら死んだあとは天国に行って、最高の生活を満喫できるかもしれませんし、周りが悲しむことが死んだ人自身に通告されることはないかもしれません。だからこそ、自殺がダメな理由なんてないです。
でもね、確実に言えることがもう一つあります。
自殺はダメだ
自殺はダメです、それに理由なんかないです。ダメなものはダメに決まっています。自殺を止める人がこんなにも多くて、自殺をしてはいけないと主張している人がこんなにもいるんですよ。それなのに自殺をしていいと考える理由はないはずです。
結論はなんともパッとしないですが、これが自分が出せる答えです。
死とはどういうものか
それでは、本題に入っていきましょう。
死とは全人類、いや全生命に定められた共通の運命です。あなたの親も、あなたの友達も、あなたの恋人も、あなたのペットも、そしてあなたもいずれは死にます。そんな死。等しく訪れる死について自分なりの結論を出してみたいと思います。
まず初めに一つ結論を出したいなと思います。
死は良いものでも悪いでもない
死に良し悪しはないです。これに関しては生きることについてで話したように、捉え方によって変わるというわけでもなく、確実に良いものでも悪いものでもないです。死は完全に良し悪しで割り切れるような代物ではないです。
死を良いものとして捉えるとするならば、「死は救済」だという言葉が出てくるかもしれません。死ぬことによって全てが救われる、そうかもしれません。が、自殺のところでも話した通り、自殺はダメなのです。だから死は救済じゃないし、仮に救済であったとしても使うべき救済の手段ではないです。
死を悪いものとして捉えるとするのもまた違います。死ぬことによって周りの人が悲しむ、希望が絶たれてしまう、その人が望んでいないのに終わってしまう、そんなふうに死をみてみると悪いもののように感じられるかもしれませんが、死を悪いものと一括りにしてしまってはいけません。死は誰にでも訪れる運命であってそれが悪いものなのだとしたら、我々は皆最悪な運命を迎えてしまうということになってしまいます。現に、死は怖いですし悲しいものです。ですが死自体をタブー視するのではなく、受け入れつつも共に歩んでいくことが大切なのです。
ここで一つ考えたいのが生との対比です。
死があるから生があるのであって、逆もまた然りです。この相反するようで運命共同体な二つの事象はどういう関係なのでしょうか?
生と死
まずどちらにも言えることは、「全生命に与えられた運命であり、尊いものである」ということです。
生は始まりであり、死は終わりです。
そんな中で自分が思うのは、死があるからこそ生が輝いて見えるのだということです。
生きることの尊さや難しさは先ほど考えた通りですが、生きることが尊いのは終わりがあるからだと思います。限りある時間の中での生命の燃焼をし尽くすことが生きるということであり、そこに尊さが生まれるのだと思います。
死の存在があるおかげで生が輝けるのであり、そういう意味でも死を悪いものとか決めつけてはいけないということがわかるかと思います。
結論
死とはどういうものなのでしょうか。結論を出します。
死は尊いものであり、受け入れるべき存在である。だが、美化してはいけない
結論にしては長くなりましたが、以上のとおりです。死は誰にでも訪れます、極端にタブー視するのはダメですが、だからと言って死という存在を美化するべきでもありません。
死という存在と上手に付き合っていくことが人生においてはとても大事なんだと思いました。
まとめ
ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。このブログを通して、自分の中でも色々と整理がついた気がします。うつ病はまだ治っていないし、生きることについて100%肯定することも今はできませんが、自分で出した結論の通り、とりあえず生きてみよう、と今は思っています。
今後もブログは更新していきますので、ぜひみていただけると幸いです。
また今回のブログは全て自分で考えて結論を出したものですので、支離滅裂だったり矛盾している部分が多々あるかと思われます。もし何かご意見等ありましたらコメント欄にて受け付けておりますのでお待ちしています。それではまた!