こんな大晦日の前日ギリギリになって、ようやく重い腰をあげて大掃除(笑)


不要な書類を廃棄しようと、書類が沢山入った引き出しを整理していたら、夫が脳溢血で倒れた時の入院・手術等証明書が入ったクリアファイルを発見。


傷病名

脳動静脈奇形破裂による脳出血


発病の欄

2014年8月◯日午後8時突然後頭部痛が出現し、◯急患センターを受診。脳卒中を疑われ、同日当院救命センターに紹介転送。来院時意識鮮明。左同名半盲を認め、頭部CTにて右後頭葉皮質下出血を認めたため入院


症状経過等の欄

入院後、アンギオ施行。その結果、右頭頂皮質に動静脈奇形を認めたため手術施行


私と出会う前のことだから、この時の夫の状況や症状が全く分からない。

でも、想像するだけで、涙が出てきた。

もし私がその場にいたら、どれだけ狼狽しただろう。


夫は私と違って本当に人間ができてるので、病気や後遺症を理由やいい訳にしたりしないから、いつも私は夫が大変な病気をした過去があることを忘れてしまう。

でも、私の膵炎なんて比べ物にならないくらい、どれだけ痛い思い、辛い手術、リハビリ、後遺症を乗り越えてきたか。


夫はこの脳の病気、手術の後遺症で、左下の視界が全く見えないらしい。

ふとした時に、『そうだった、この人は後遺症で見えないんだった』と思うことがあるが、本人は絶対にそれを理由にしない。


よく、『そこにあるやん』『どこ探してるん』『よく見てよ』と言ってしまうことがあるが、、、よくよく考えると見えないんだろうなショボーン


目の視野以外にも、私からすると、トロいなぁ。なんか観点がズレてるんだよなぁ。機転が効かないなぁ。優先順位が分かってないなぁ。今それ必要?って思うことがよくあるのだが(笑)、これは性格なのか、後遺症なのかが分からない。


唯一、夫のことを聞ける人であった夫の母親も、6月に呆気なく急死してしまい、今では聞ける人がいない。

義母にもっと夫のことを聞いておくんだった。と凄く悔やまれる。


小学生の頃から人が良すぎて、自分が困ってでも友達に譲ってあげたり、自分は我慢して妹に譲ってあげたりという話しは義母から聞いたことはあったが、優しくお人よしなのは元々の性格なんだね。


倒れた当時、転勤族の夫は北陸地方に住んでいた。

義母は毎月、名古屋から北陸まで通ってお世話しに行ってたらしい。

義母は、夫の離婚の苦労、脳出血の後遺症など、本当に心配だったそう。

私と結婚するまで、夫のことが心配で心配でたまらなかったそうだ。


義母が亡くなる数週間前に最後に話した電話で、『R(夫)のことがずっと心配だったけど、みやびさんがいてくれるからやっと安心できる。Rのことお願いね。みやびさんなら安心。』そう言って下さったが、、、

義母はきっと、安心から肩の荷が降りて、私にバトンタッチをして夫のことを託してくれたのかな。


義母との約束通り、夫を大事にしなきゃ!!

とは常に思うんだけど、、、

さっきも大掃除を手伝ってもらってたら、そこはそんな綺麗に丁寧にしなくても、パイプマン流すからいいんやけど、、、それなら他のとこしてくれないかなぁ凝視と思ったりしたが、、、黙認した。


そして、ちょっとやったら、

『みやびちゃん!見て見て!めっちゃ綺麗になったと思わない!?』『みやびちゃん!見て見て!めっちゃ綺麗になったわぁ!』『みやびちゃん!見て!』

って、、、


ムキーうるさいなー!こっちも忙しいねん!いちいち子供か!ムキー(笑)と心の中はムキームキームキー←な状態だったけど、大袈裟なくらいに『うわぁーめっちゃ綺麗やん爆笑凄いなぁ!流石やわ!手伝ってくれて助かったわぁ!』って嘘ついといた(笑)てへぺろ


夫が後遺症なのか性格なのかよく分からないところが沢山あるけれど、私にとって夫が大切なのは間違いないし、私と出会う前の病気で私が詳しい状況を分からない分、余計に心配してしまうこともある。


既往歴夫婦にとって、2023年はあまり良い1年ではなかった。夫婦してコロナに罹患したし、夫はコロナの後遺症か、鼻や喉、目の調子が悪く、色々な病院を梯子。

そして、何より悲しいお別れ、、、義母の急死は本当に急転直下で悲しくて、今でも居ないことが信じられない。

私個人は、姉と8月に些細なことで喧嘩してから、未だに疎遠状態(笑)

私は何度も歩み寄ってるんだけどね、、、笑い泣き

でも一応、明日は姉の分もお節を作って、元旦に姪と甥にお年玉と共にお節を持っていこうと準備中。


2024年は良い年になるといいな。