第三子の出産記録。 | タイと踏ん張る

タイと踏ん張る

タイ生活で干支が一周し2019年末に日本に引っ越し。
旧タイトル『タイに腰掛け』…タイに腰を据える覚悟は無いけど、腰掛けじゃなく踏ん張って行こう‼︎→『タイと踏ん張る』
タイ人夫と長女9歳、3歳のダウン症の長男、2023年5月産まれの次男の5人家族。

記憶が鮮明なウチに記録に残しておこうと思う。


予定日は6月4日でした。

陣痛が来たのは5月31日夜19:30過ぎ。

39週3日目の夜。


その日はたまたま、知り合いが釣ったらしいマグロを沢山頂いたから食べにおいで〜とジュイも一緒にみんなで実家でご飯を食べさせて貰ってた。

マグロのお刺身が食べ放題レベルにたくさんあって、モリモリ食べてた時に、これって陣痛⁉︎的なドーンと腰にくる、重めの生理痛みたいな痛みを感じ始めながら、満腹まで食事。


段々と痛いよな〜これはやっぱり陣痛?

その日は午前中からオリモノも多め。

粘っこい鼻水みたいなオリモノがあったり、いつもよりお腹張ったりが多めかな〜時入り、お腹痛いような気もするけど、まだ我慢できるレベル…って言う感じでした。


やっとこさ重い腰を上げて、2階の空き部屋に溢れかえってる冬服の整理を少し始めた…。

きっとここの掃除が終わらんと、赤ちゃん出てこん気がする…と自分に言い聞かせて、先延ばしにしてた整理を始めたところだった。


実家での夕食後、いつもはダラダラしちゃうんだけど、早々に直ぐ近くの自宅へ戻る。


確実に定期的に来てる痛み。

この時点でも20時を過ぎてた…。

翌日は子供達は学校なので、ジュイにお風呂に入れてもらって寝る準備。


やっぱり陣痛に違いないと思い、出産予定の病院へ電話。

その前にトイレに行ったら、出血もあった。

おしるしキターーー。

産まれるぞ〜っとウキウキドキドキ。


病院に来た方がいいと返事をもらい、病院へ行く準備。

母に電話して、さっちゃん達のお世話をお願いする為に、我が家に来てもらう。

子供達はもう歯磨きもして、後は寝るだけの状態。


私とジュイで病院へ。

妹親子も来て、みんなに見送られる。

破水した時用に座席にレジャーシートとバスタオル敷いて出発。


スマホのメモに痛みが強まったタイミングをメモってたんですが、この時で5分おきくらい。

で痛いのは30秒くらい。

全然我慢できるレベル。


病院までは30分ちょっと。

病院21:30頃に到着。

大きい病院、歩いて産科へ向かう…歩いてる時に痛みが来るのはちょっとキツイ。


ジュイは産科エレベーター前のスペースで待機。

私は内診してもらって、入院決定。

子宮口5cmくらい開いてるらしい。

私は分娩室へ。

ジュイに電話して入院手続きに行ってもらい、コンビニへ行ってもらい、翌朝の朝食用のパンを調達してもらう。


私は分娩台になる椅子の上でドキドキ。

今日中に産まれるかな?

ジュイには立ち会って貰いたいけど、分娩が進まんかったら、明日のこと考えると早めに帰って貰わないと…と事前に話してた。


そんなの思ってると、痛みが強くなり、周りがバタバタ。

ジュイを呼びに行ってくれて、あれよあれよと、進み、22:47分に赤ちゃん誕生。


今回は初の陣痛からスタート。

赤ちゃん出てくる少し前に破水、生温いのが出て破水したな〜って思ったもの。

力むタイミングが下手だったようで、赤ちゃんが途中少し苦しくなり、私は酸素マスク付けられてた。

吸引するかも〜とか言われたけど、結局自分の力みだけで出産出来ました。


最後一気にお産が進んだせいで、赤ちゃんが羊水と胎便をかなり飲み込んだようで、出産後20分ちょっと赤ちゃんは飲み込んだものを吸引されたり、酸素注入されたりしてました。


私は放心状態でシモの傷を縫ってもらいながら、赤ちゃんの様子を見ておりました。


ジュイはずっと私の頭の横で、立ち会ってくれてました。


私の処置が終わり、状態が落ち着いてきた赤ちゃんとご対面。

3ショットも撮ってもらった。


バースプランに胎盤を見てみたいと書いたので、ジュイと一緒に見せてもらう。

ガッツリ内臓って感じでした。


その後、ジュイは子供達を見てもらう為に日付が変わる前に帰っていった。


私はその後、身体を拭いて貰って着替えて、初授乳。


2時間分娩室で過ごし、車椅子で病室へ。


赤ちゃん預ける事もできたけど、一旦一緒に過ごしますと答えて、早速母子同室。


朝まで授乳に追われながら、朝方には産まれたよ報告をしたりして、ほぼ寝ずに過ごしました。


3466グラム

49・5センチ


3人の中で一番大きい赤ちゃんでした。

髪の毛フサフサ、爪も長くて驚き‼︎

元気に産まれてきてくれて、ありがとう。

これからよろしくね。