皆様、ハイタイ

バスガイドのシャーバー千亜希です!
いつも良いねありがとうございます
沖縄が好きなので、沖縄へ訪れる方々にも沖縄の魅力を知っていただきたいと思い、日々、沖縄のことを勉強中です。
以前参加した
琉球新報カルチャーセンター主催
「護佐丸・阿麻和利の乱」
バスツアーの写真です!
ご案内は賀数仁然さん✨✨
ラジオやテレビで活躍する歴史研究家です!
琉球の歴史を詳しく、そして面白く紹介しています💕
この時のバスツアーは、
すっごい雨で、あんまり写真が撮れませんでした💦
なので、それぞれのお城に関しては
また別の機会に一ヶ所ずつ紹介したいと思います
今日はひとまず、このツアーに参加した時の写真を
載せますね
一日の行程はこんな感じでした
朝、那覇から出発して🚌
↓
読谷村の座喜味城跡
↓
阿麻和利の墓
↓
むら咲むらレストランでバイキング
↓
中城村にある中城城跡
↓
うるま市にある勝連城跡
↓
那覇へ
護佐丸とは、琉球王国時代の読谷の城に住んでいた按司(その地域の領主)
阿麻和利とは、勝連城に住んでいた按司
「護佐丸・阿麻和利の乱」とは
1458年勢力を持った阿麻和利が
首里王府を覆し天下統一を目論み起きた内乱の事です
バスを降りた時点でモーレツな雨でした





少し雨がおさまった隙を見て見学💦
護佐丸が15世紀に築いたと言われるグスク(お城)です
そこまで大きくはありません。
でも戦の為の工夫がされています。
ぐるりと囲む城壁上からの眺め
雨だったので暗いですね
一の郭から二の郭を眺める
見えにくいですが、アーチ門があります
沖縄最古のアーチ門といわれています
座喜味城跡
この時は座喜味城跡
これだけしか写真が撮れませんでした💦
少し晴れてきましたよ



阿麻和利のお墓にいる時は
空が青い✨
こちらが読谷村にある阿麻和利のお墓です
首里王府軍に攻められた勝連城から逃れた阿麻和利、生まれ故郷の嘉手納の屋良を目指したわけですが、
ここ、読谷で追いつめられ斬られたという伝説があるそうです
阿麻和利のお話も、長くなるので
また別の機会にブログに載せますね
むら咲むらのバイキングレストランで昼食を頂いた後は世界遺産・中城城跡に向かいます
ここでもまた雨
中城村にある中城城は、阿麻和利を見張る為に
座喜味城から移ってきた護佐丸が住んだ城
です
名築城家と言われた護佐丸は、お城を拡張し、戦のための工夫を随所に凝らしました
この中城城跡もなかなか広いです
連郭式で6つの郭からなるお城で面積122399㎡!
写真も本当はもっと撮りたかった💦
眺めが良い✨✨
太平洋が見えます
標高は160メートル
1458年
首里の王に代わって天下を取ろうと考えた阿麻和利は
「中城の護佐丸が首里を襲う為の兵の訓練をしています」と国王に嘘の報告をします。
それを信じた国王は、阿麻和利に兵の指揮をとらせ
護佐丸の中城城を攻めます
忠臣・護佐丸は忠誠を尽くした首里の軍に
歯向かう事なく、この中城城で自害したと言われます
バスは移動して、うるま市にある世界遺産・勝連城跡へ🚌
阿麻和利が住んでいたお城です
築城は12世紀頃から始まっていたのではないかと言われていて、阿麻和利は10代目の勝連按司になります
標高は約60m〜98m
面積、11897㎡
中国の陶磁器などが見つかっており、繁栄の様子がうかがえます
中城城を攻めた後、首里城を攻める為の作戦を練っていた所を、首里の国王の娘である妻・百度踏揚に悟られてしまいます。
自分の夫が、自分の父を攻めようとしていると知った百度踏揚は、付き人の大城賢雄と共に勝連城から脱出し、首里城へそれを伝えに走ります。
阿麻和利の計画を知った王は、大城賢雄を大将に勝連城を攻めるわけです。
阿麻和利は、勝連城から逃れ先程の読谷まで行ったところで追いつかれ息絶えた、という伝説があります。
少し見て、
あまりの雨の激しさに結局は撤収しました💦
建物があった跡
私は仕事で何度も来てますが、仕事中はゆっくり写真を撮ることが出来ないのでまたいつか晴れた日に写真撮ってブログでご紹介しますね!
雨で現地見学があまりできませんでしたが、その代わりバスの中でお話しを沢山聞かせて頂きました✨
賀数仁然さんならではの面白いお話は非公開ですのでいつかまた催行される際には参加してみてはいかがでしょう!
それぞれのお城の写真は、また別の機会に✨
最後までお読みいただきありがとうございました😊
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