皆さんハイタイ〜ニコニコ

バスガイドのシャーバー千亜希です!
いつも良いねありがとうございます照れ

沖縄が好きなので、沖縄へ訪れる方々にも沖縄の魅力を知っていただきたいと思い、日々、沖縄のことを勉強中です。


ジョン万次郎って知ってますか?


ジョン万次郎ってウチナーンチュだと
思い込んでる人いませんか?

はい、私です🤣

ガイドになるまで
ウチナーンチュだと思ってました笑



ウチナーは
アメリカ〜とのハーフも多いから
ジョン万次郎も
ハーフだろうな〜って?

違うんですよね〜それがニヤリ


ジョン万次郎って高知県の人だったんだー!?
と私、びっくりしました笑い泣き


実は、沖縄にもゆかりがある人なんです!

という事で、
ジョン万次郎のお話✨✨✨



糸満市に、ジョン万次郎が上陸した浜があるんです!



「ジョン万ビーチ」

糸満市の大度海岸にあります








こういう所

沖縄戦当時は激戦地だった所です



この写真は冬に撮ったので、なんとなく空も寒そう💦


さあ、では少しジョン万次郎の物語をご紹介しましょう〜




ビーチ手前にちゃんとジョン万次郎の紹介説明板がありますよ音譜



万次郎は、土佐(土佐清水市)で生まれました。1841年、14歳の万次郎と仲間たちが漁に出た所、に遭い漂流しました。その後、太平洋の孤島に漂着し、143日後、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって救助されました。ウィリアム・H・ホイットフィールド船長は、万次郎達を安全なハワイへと連れて行きました。





1843年、万次郎は1人、アメリカ本土へ上陸しました。ホイットフィールド船長は、万次郎をふるさとのフェアヘーブンに連れ帰り、英語や航海術などの教育を受けさせました。ここに、日本人初のアメリカ留学生が誕生しました。学校を卒業した万次郎は、捕鯨船フランクリン号に乗って副船長にまでなりました。



1850年、カリフォルニアで起こったゴールドラッシュのことを知った万次郎は、日本へ帰国する為の資金を得ようとサクラメントの金山に向かいました。そこで600ドルを稼ぐとハワイに戻り捕鯨ボートを購入、「アドベンチャラー号」と名付けました。そして、万次郎、伝蔵、五右衛門の3名は、上海へ向かう商船サラボイド号へ乗船しました。







1851年2月2日、北風が吹きみぞれが降る悪天候の中、万次郎達は糸満市喜屋武岬の沖合でアドベンチャラー号を降ろし、陸地を目指しました。深夜、海岸に着くと干潮だったため浜には行けず。仕方なく岩礁にいかりを下ろし、朝まで一眠りしました。朝になると、近くにいた釣り人の指示に従い、万次郎たちは浜に上陸する事ができました。

上陸した小度浜(大度海岸)で万次郎達は、浜に集まってきた村人達から、温かいふかし芋などをご馳走されました。万次郎達は親切な村人たちのもてなしに感謝の気持ちで胸がいっぱいになったといいます。また、万次郎達は、持っていた牛肉やコーヒーを火に掛け、その場で食してみせました。






万次郎たちの荷物は全て、摩文仁間切番所の役人によって没収され、番所に運ばれました。荷物には、航海術書、ジョージワシントン伝記、地図、コンパス、ピストルなどがありました。役人たちには見たことのない品物ばかりでした。また役人からご飯とお箸を渡され、3人とも上手に使いこなしたことから、日本人である事が認められました。







万次郎達は、取り調べ後に豊見城間切翁長村の高安家で幽閉されました。半年間に及ぶ囚われの身ではありましたが、村の綱引きに参加するなど、村人達と自由に交流することができました。また、琉球王国からの手厚い保護のほか、豚、魚、泡盛、衣服などを送られるなど、多くの人たちの「いちゃりばちょーでー(出会えば兄弟)」精神に触れることができました。

はじめは那覇に移送されたそうですが、那覇には英国人宣教師ベッテルハイムがおり、会わせてしまうと差し障りがあるとの事で豊見城へ移送されたのだそうです。

来た時はちんぷんかんぷんだった沖縄語も半年後には理解できるようになっていたんですって。



幽閉されていた万次郎達は、琉球王府の役人により取り調べを受けました。その時、通時・牧志朝忠は、英語で取り調べしたとか。特に、ジョージワシントン伝記に興味を持ちました。伝記には、アメリカの民主主義社会の制度や人権尊重について書かれていました。そのようなことから、万次郎が封建社会の日本に持ち帰りたかったのは、自らが体験した民主主義の思想だったとも考えられています。





万次郎は、漂着から11年ぶりにふるさとの土佐に帰りました。ペリー提督が黒船を率いて現れた時、幕府は万次郎を直参として江戸に呼び寄せました。万次郎は、開国の熱い思いを込めて、老中らの前でアメリカの事情について話しました。


その後万次郎は、翻訳、測量、捕鯨などを主な仕事としていました。明治新政府になっても、普仏戦争(フランス帝国とプロイセン王国の戦争)の視察として海外出張を命ぜられたほか、東京大学の前身、「開成学校」の英語教授に就任するなど、国際人として活躍しました。

ジョン万次郎糸満市パンフレットより


ジョン万次郎上陸之碑建立 平成30年



そしてこちらが
ジョン万次郎が幽閉されていた豊見城翁長

ジョン万次郎記念が建っています







琉球滞在中に万次郎を温かくもてなした高安家と万次郎の中浜家とはその後も交流が続き、1994年3月には、ジョン万次郎がとりもつ縁で豊見城市と万次郎の出身地・土佐清水市との間で姉妹都市盟約が締結されました。

説明板より



年表もありますよ





眺めの良いのどかな所です。
万次郎は、幽閉とはいいつつも、自由に歩き回り村の人との交流を楽しんだそうですよ




高知県土佐清水市と沖縄県豊見城市の交流

この先もずっと続いて欲しいです✨✨

最後までお読みいただきありがとうございました😊





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