海外で生きていくには、強く、そして賢くなっていかねばならないと、度々思う。
わたしはコンドミニアムの一角に暮らしている。こちらでは、ドライウォールと呼ばれる石膏ボードの壁で住居が仕切られていることが多く、近所の生活音が驚くほどよく聞こえてくる。壁の向こうで誰かが歩けば、その気配が伝わってくるし、音楽をかければ、まるでこちらの部屋で流しているかのように聞こえる。
ただでさえそんな造りなのに、テナントとして暮らす人たちは、時折思い思いにパーティーを開き、夜遅くまで音楽を鳴らす。
以前、Redditでこのことを相談したところ、音楽をやっているという人から、ドライウォールは内部が空洞になっているため、その前にスピーカーなどを置くと天然の音響装置のようになり、音がよく響くのだと教えてもらった。
それを読んだときは愕然としたが、同時に、長年の謎が解けたような気もした。どうしてこんなにも音が響くのかと思っていたのだが、そういうことだったのか、と妙に納得したのである。
そんな事情とは関係なく、今週末もまたパーティーが行われる。
もう一年近く、音楽やパーティーを繰り返している部屋がある。管理会社に注意してもらうと、しばらくは静かになるのだが、頃合いを見計らったように、また始まる。こちらとしては、できることなら苦情など申し立てず、静かに暮らしていたい。騒音に悩まされることも、それを訴えることも、決して楽しいことではない。
それでも生活が脅かされるほどになれば、管理会社に連絡するしかない。ところが、度重なる苦情のせいか、こちらをクレーマーと思われているのか、最近ではメールを送っても返事さえ来ないことがある。
警察の緊急ではない窓口に相談したこともあるが、「騒音については管理会社に」と言われた。かと思えば、管理会社からは「警察に連絡してください」と言われたこともある。結局、警察からそう言われてしまった以上、管理会社に対応を求めるしかない。
そこで今回は、またメールを無視されて終わるのでは困ると思い、「今回はどのような対応をされたのか教えてほしい」と、いつもより少し強めに尋ねた。
ところが、返ってきたのは、こちらへの注意だった。
「録音行為は相手のプライバシーを侵害する可能性があるので、やめてください」
以前、その部屋からの騒音について苦情を申し立てた際、「うちではない」と言われたことがある。そのため、それ以降は証拠を残すようにしていた。
もちろん盗み聞きをしたいわけではない。そもそも自分の部屋の中では、音がうまく録れない。そして以前、管理会社から「室内で録音しただけでは、どこから音が来ているのかわからない」と言われたこともあった。
そこで苦肉の策として、廊下のファンの音に紛れてしまうほど微かなものではあったが、該当する部屋の扉の前で、短い時間だけ録音し、それを証拠として提出した。
すると今度は、「その時間、その部屋には誰もいなかった」という証拠を出されたと管理会社から書かれていた。確認が取れなかったので、それ以上の対応はしない。推測だけで個別の対応はできない、ということだった。
たしかに、録音だけでは十分な証拠とはいえない。わたしが聞いた音が、その部屋から出ていたと客観的に証明できたわけでもない。その時間には、部屋の中に数人がいて、聞き覚えのある声も聞こえ、音楽も確かに聞こえていたのだが、それが録音には十分に残らなかった。
二人で住んでいる部屋なのだから、片方だけ外出していた可能性もある。管理会社が確認したのが数時間後なら、その時にはすでに誰もいなかった可能性だってある。
だから、相手が嘘をついたと断言することもできない。
ただ、人は嘘をつく。
この部屋の住人にはすでに前科もある。
そのことを知っているからこそ、こちらは何とか証拠を残そうとする。そして証拠を残そうとすれば、今度は「プライバシー侵害」と言われる。
結局、騒音に悩まされている側が、いつの間にか注意される側になってしまった。
それが、なんともやりきれなかった。
怒りというのは、不思議なものである。その場では言い返したくなっても、時間が経つほど、言葉にならないものが胸の奥に残る。あのとき、もっとこう言えばよかったのではないか。どうしてこちらばかりがこんな思いをしなければならないのか。そんなことを、何度も考えてしまう。
けれど、海外で暮らしていると、こういうことも含めて、自分で自分の身を守っていかなければならないのだと思う。
日本にいた頃なら、もう少し誰かが間に入ってくれるような気がしていた。けれど、こちらでは、何か問題が起きたとき、自分で状況を整理し、証拠を残し、相手に伝わるように説明し、それでも動かなければ、また別の方法を考えなければならない。
ただ怒っているだけでは、何も変わらない。
だから、強くならなければならない。そして、賢くならなければならない。
そんなことを思いながら、今日も窓の外を見る。
海外で生きていくうちに、いつの間にか、わたしも少しずつ強くなっているのかもしれない。
それが良いことなのか、少し寂しいことなのかは、まだよくわからない。
