センター試験、
何とか長崎大学教育学部の
合格ラインの点数を取るのとができ、

2次試験の小論文も、
パスして

晴れて、私は、
念願の大学生に
なれたのだ。


やっと受験勉強から解放されて
嬉しかった!

入学式に着る
スーツを買う時、

店員さんに
聞かれてもいないのに、

私は
「大学の入学式で着るんですよね♪」

と自慢げに話をしたり、

携帯を買うとき、
(その時はまだ、PHSだったけど💦)

職業欄に
『大学生』と書けるのが、嬉しくて、

店員さんから、
「どこの大学ですか?」
と聞かれると、

「長崎大学です!」
と、
よくぞ聞いてくれた!

と、言わんばかりに
自信ありげに、答えていた。

私は、国立大学に合格した事を
自慢したいのではなく、

ただ、単純に、

『大学生』

になれた事が嬉しかったのだ。

浪人中、
「何をしている人?」

と聞かれても答えられなかった
自分が、

「大学生」

と答えられた事が、

社会の1人として
認められたようで、

本当に嬉しかった。

今思えば、
浪人生だろうが、
無職だろうが、

何の問題もないけれど、
当時の私は、

予備校にも行ってない、
何物にも属してない自分が、


恥ずかしくて、
情けなかったのだ。




当時の大学の制度で、
教育学部の学生は、
教員免許を
最低、二種類取得しないと卒業できなかった。

教員になる事が目的で、
大学に入学した訳ではない私は、

「教員免許を2つも必要ない。」

と思っていたけれど、

初等科に合格したので、
小学校の免許と

中学校の国語科の
免許を取得することにした。

中学校の免許も、
国語科にしたのは、

消去法だった。

英語が多少好きだったから
「英語もいいかなぁ」
と思ったけど、

英語の講義についていける
自信がなく

何となく国語科にした。

そうやって、
適当に決めたから、

国語科の、
授業が退屈で、退屈で…

親に学費を出してもらいながら、

私は、
講義をサボりはしなかったが、


一方的に話すだけの
講義は、
後ろの席に座り、
頭を両手にうずめ、
まるまる講義の間中、寝ていたのだ。

「大学に入学できたのは、嬉しいけど、
私は、何のために大学に入ったのかな…」

度々、私はそう、考えるようになった。

大学に合格するために、
必死で頑張ったけれど、
合格してしまうと、

目標がなくなり、

燃え尽きた感じに
なったのだ。

いわゆる、

『燃え尽き症候群』だ。

小学校の教育実習でも、
中学校の教員実習でも、

友達が、大変な事がありながらも、
「楽しい!」
「充実してる!」

と言っているのを見て、
私は、
それなりに、子どもと接する事は
楽しい時もあったが、

充実してる!

という気持ちは、なかった。

そんな、
やる気でいっぱいの
友達を見て、
羨ましく、

「私は、何をやっているんだろう…。」

そう思い、
他人との比較に落ち込んでいた。