同級生が、

高校の新しい制服と革靴で入学式を終えた頃、

 
私は、中学生と高校生が学習塾として通っている、中学校浪人の予備校に入校した。
 
例年、その予備校には20名近く生徒がいるらしかったが、
 
私が入校した年は、10人ほどだった。
 
みんな、卒業した中学校の制服を着ていて、
これから始まる、ひたすら勉強の毎日
のスタートの日、笑顔の子は
誰もいなかった。
 
翌日から、毎日、80分授業で、
午前中に2教科、午後に1教科、
主要5科目の授業が始まるのだ。
 

 笑顔なんて、あるわけがなかった。
 
私は毎日、自宅からバスで通っていた。
 
予備校が始まるのは、9時からだったから、高校に入学した同級生に会うことは殆んどなかったけれど、
 
たまに、私が乗ってるバスに
同級生が乗って来ると、
私は、わざと1つ前のバス停で
同級生に気づかれないように、いそいそと降りていた。
 
時には、黒縁のだて眼鏡をかけて、
私だとバレないようにしていた。
 
でも、中学校の制服を着てたのだから、
きっと、気づかれたと思う。
 
それでも、そのままの自分でいるのが、
とても恥ずかしくて、たまらなかった。

 
ただの、同級生だったら、
そこまで気にしなかったけれど、
 
ちょっと、『かっこいいなぁ』
と気になっていた子に会うと、
 
中学校の制服のままでいる自分が、
頭の悪いをさらけ出しているようで、
本当に恥ずかしかった。
 
毎日、毎日、勉強で、しかも、母も
池島と長崎市内のアパートを行き来していて
忙しく、
 
私は、15歳の1年間殆んど遊ぶ事なく、
勉強に集中した。
 
勉強の息抜きといえば、
たまに、池島に帰って、
誰もいない海辺を散歩したり、
 
両親の店が休みの時、
父と母が長崎市内のアパートに来てくれて、
家族で、今でいうスーパー銭湯
に行ったりする事だった。
 
 
その甲斐あってか、
予備校に入校した頃、
5科目の合計が200点代だったのに、
受験前には、400点代まで、UPした。

 
自分が器用じゃなく、要領が悪い事が
分かってたから、何度も何度も繰り返し
問題を解いて、
 
分からない時は、先生に何度も質問した。

 
質問に行った時、
「これは、この前も説明しただろ!」
と怒られた事もあったけど…。
 
勉強にやる気が起きなかった時、
 
武田鉄矢主演の
『101回目のプロボーズ』
のドラマで、
司法試験受験の為に、
猛勉強するシーンがあって
 
その場面を何度も見て、
自分と重ね、
勉強のやる気を
奮い立たせた。
 

予備校の授業で、
唯一息抜きできる
授業があった。
 
『古文』の授業だった。
 
おじいちゃん先生で、
頭は白髪で真っ白だった。

その先生の古文の授業は、
昔話を聞いているみたいで、

文章は難しくても、
内容が、スッと頭の中に
入ってきて分かりやすい
授業だった。
 
その先生は、
授業の出席確認で名前を呼んだ時、
 
「はい」
 
と返事するだけで、
 
「えらい!」
 
と大声で誉めてくれました。
 
「授業に出席するだけでも、えらいんだよ。」
 
と。
 
その言葉が忘れられなくて、
嬉しかった。
 
 
そして、受験当日。
 
1年間頑張って来た事を
出しきり、
 
夢にまで見た、
長崎5高校である
 
長崎北高校に合格した。
 
高校の受け直しは、
両親のすすめだったけど、
『やる!』と決めたのは
自分自身だったから、
 
やりきれた、と思っている。
 
そして、いよいよ
高校入学式。
 
やっと高校の制服を着て、
革靴が履ける事が
ほんとに嬉しかった!
 
古文の先生が、私にくれた言葉がある。
 
『我が浪人生生活に
                 悔いなし。』
 
古文の先生が、
この言葉を、アルバムの最初のページに直筆で
書いて下さっていた。
 
そして、私は、
そのアルバムに高校時代の写真を
入れいた。
 
でも、断捨離をしようと
部屋を片付けた時、
 
頑張って入った高校だったのに、
1つ年下の人と過ごした
高校時代の思い出は、辛いことが
多く、もう写真も見たくない‼
 
と思って捨ててしまった。
 
今、思えば、
ブログにその先生の言葉や
高校時代の写真を載せるために
あった方が良かったと
思うのだけど、
 
そのアルバムを
手に取った時、
 
「辛くて、悲しかった時の思い出は、いらない! 忘れたい‼」
 
と思った。
 
だから、捨てた。
 
捨ててしまった後悔の気持ちは
あるけれど、

仕方ない。

そんな、おっちょこちょいで、
うっかりなどうしようもない自分を

許してあげたい。