中学校時代は、
 
母が、毎日池島に車とフェリーで
通っていたため、
 
母は朝、お弁当作って朝ご飯食べさせた後
すぐに家を出て、
 
池島発の最終フェリーに乗る
ぎりぎりまで働いて
帰って来ていたので、
家に帰って来るのは19時半頃だった。

 
だから、いつも夕飯までお腹ペコペコだった。

 
1週間に何度か、
そして土日は帰って来ない事があったから、

自分でお弁当作って(ほとんど冷凍食品だったけれど…)
登校していた。
 
自分で作るお弁当は、
美味しくなくて、見た目も地味で
友達をに見られるのが、恥ずかしかった…。
 
夕食は、お弁当を買ったり、ラーメンの出前を取ったりしていた。
 
親が飲食業なのに、私は料理が全然できなかった。
 
親のせいにするつもりではないけど、
 
「勉強さえしていればいい。」
 
と言われていたので、ほとんど料理はした事がなかった。
 
 
平日は、学習塾に行っていた。
 
でも、あまり成績は上がらず、
かえって、成績のいい人と比べて
 
惨めだった。
 
土曜日、たまに兄と長崎市内からバスでフェリーの桟橋まで行って
フェリーに乗って池島き帰っていた。

 
父と母は、相変わらず仕事が忙しくて、
 ゆっくりはできなかったけれど、
 
家族4人で過ごすのは、嬉しかった。
 
池島に帰る度に、
「こんなにお父さんとお母さんは、私の学費を
稼ぐために働いてくれているのに、成績があまりよくなく
申し訳ないな…」と思っていた。
 
 
私の価値は、成績で決まる。
 
 
と思っていた。

頑張って勉強して、
たまにテストでいい点数を取ると

父も母も喜んでくれたから。

勉強ができたら『いい子』で、
できない子は、『ダメな子』と
本気で思っていた。
 
 
だから、
自分の存在価値が認められるように

公立の進学高校にいかないと!

と思っていた。