そのホスピタリティが気になる〜エアコンのセンサーとか | 今日のナラティブ

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美味しい物を食べて
少しだけぼーっとした時間と
寝心地の良い寝具があれば
幸せ。

今年の夏は暑いですね。

ここ、最近は少し和らいだ感じもありますが(とはいえ30度越え)毎日、息苦しさを感じる暑さです。



帰宅して誰も居ない部屋でエアコンの電源を入れ、いつもの設定温度は推奨されている範囲内の26℃で運転開始。


エアコンの吹き出し口が動き出し、冷風がシューッと軽い音とともに吹き出してくる。慌ただしく夕食の準備に取り掛かる、としばらくしてエアコンが静かに動きを止める。エアコンの判断がこれ以上冷やさないと決断したのです。


『止まるんかい‼️』と私は独りごちる。


通常は26℃の設定温度で快適に過ごしています。

ただ外出先から帰ってきて身体がまだ火照っている状態なのに、エアコンが設定温度で止まるという正常モードは私に「イラッ」という不快な感情を起こさせるのです。

結局、設定温度を24℃まで下げることにより、エアコンを復活させ夕食の作業に戻ります。


あぁ、わかってはいます。

外出先から帰った際に、いつもの26℃から24℃に設定温度を変更すれば良いのでしよ、その手間を惜しまなければ…ですよね。エアコンは悪くない。メーカーも悪くない。



けれど苛つくの、私は。

エアコンのホスピタリティ溢れる性能に!(エアコンの人感センサーも溢れるホスピタリティのため解除しています)


昭和に生まれたからか、私は先回りしてかゆいところに手が届く家電より、必要最小限のサービスしか出来ませんけど(それでかまへん?)っていう家電の方が情緒が安定するのかもしれません。



私は、人間関係や接客も似た傾向があるのです。


ホスピタリティ溢れる方の先回りした気遣い。

基本的に感謝する事がほとんどです。


でも、でも、でも時にその善の塊であるホスピタリティという気配に圧倒されるのです。

悪く言えば窮屈に感じるのです。

自由が無い。自分の選択肢が無い。

という気持ちになるんだと思います。


相手の行動の始まりが善意であるがゆえに、そう感じてしまう自分に嫌気がさします。開き直ってしまう日は、そんな自分を脇に置いて相手に嫌悪感を抱くことすらあります。


そしてダークサイドに落ちた日は相手に、その抱いた嫌悪感さえ伝わらなければ、そんな自分であってもいいと感じているのです。