例え、未来が明るいと言えなくても生きるということ②。 | 『そうだね』って言えるまで

『そうだね』って言えるまで

美味しい物を食べて
少しだけぼーっとした時間と
寝心地の良い寝具があれば
幸せ。

このたびは幣(ぬさ)も取りあへず  

  手向山(たむけやま)紅葉の錦 

 神のまにまに』

 作者:菅家(菅原道真)

【現代語訳】今回の旅は急のことで、(道中で道祖神に捧げる)御幣ごへいの用意もできませんでした。この錦のような手向山の紅葉を、どうぞ神様の御心のままにお受け取り下さい。




母が倒れたその日、職場に出勤してすぐに携帯が鳴りました。


実家の近所の方からの電話で、困った様子で、こう伝えてくれました。

『朝に散歩している方が、玄関先で倒れている母を見つけたこと』

『声をかけたら母から「大丈夫」と応答があったが、どうやら頭を打っているらしい』

『救急車を呼んだ方がいいのか、どうなのか』というものでした。


私は、見つけて下さった事、電話をいただいた事のお礼と救急車の要請をお願いしました。

それでも相変わらず困った口調で

『でもねぇ、モニちゃん。おばちゃん達、誰も付き添いは出来ないのよ』

『モニちゃんが帰ってくるまで、どうしたらいいのかしら』

高齢である母が病院で治療後、一人で帰れないだろうし、だから誰かが付き添わないと救急車に乗せるのは無理だと近所の方は考えていて戸惑っているとのことでした。


私は、頭を打っているのであれば、一刻も早く救急車を要請して欲しい。早く病院で診察させたい。と思うと同時に、側に人が居ても誰も付き添えないという現実に呆然としてしまいました。


そして『ああ、そうだな。実家に一人高齢の母が暮らしていくというのは、こういう事態も起きるのだな』

そう、何一つそんな想像が出来ていなかった自分のアホさ加減に打ちのめされたのです。そのせいか思考がまとまりません。


気持ちを落ち着かせて、定期的に来ていただいている訪問看護の事業所に今の母の様子を見ていただく手配をし、その訪看の方達が実家に到着してから、また対処を考えるという方向で話をつけ、職場を早退し実家に向かうことにしました。


最終的には元看護師であった自治会の隣の班の方(昔からよく私に話しかけてくれてていた、フレンドリーな方です)が騒ぎを聞きつけ来てくれ、その方が病院に付き添い、私が到着したらバトンタッチするということで了承し、訪看の方が救急車を要請してくれました。




実家に向かう新幹線で、病院に着いた後の対応や各方面の連絡等、優先すべきことを考えようとしていた時に、不意に冒頭の百人一首が頭に浮かんだのです。


先日、息子に試験勉強の手伝いを頼まれました。私が百人一首の上の句を読んだ後、息子が下の句を書き出すという試験対策の手伝いです。その時に読んだ中に、この一首もありました。


救急車で母が病院に向かったという事実が私の不安を軽くさせていたのかもしれませんが、こんな緊急事態で頭がパニックになっていて、母の事以外に考える隙間なんて無いはずなのに


息子との日々の一コマが、あの時の百人一首が(旅に急に向かうという内容が少し被っている部分があるとは言え)浮かぶというのは

『今の私にとってのベースは私の作った家族にある』

とその瞬間にハッキリと示された気がしたのでした。