私の母は、未だに
『汽車に乗って』とか
『◯◯のジャスコで買い物してきて』
とか言います…
母がこう言う背景には、田舎によっては汽車🟰 機関車(ディーゼル機関車や電気機関車)のことであり、そしてJR(国鉄)の電車を指す習慣があるからです。
また私の育った地域では、ジャスコやダイエー等の店舗が、都会みたいに近隣に点在していなかったので(半径20km内に1店舗あるかないかの)ジャスコやダイエーが場所を示す建物として認識されていた経緯が関係あると思います。
母の『いつの時代やねん⁉️』話ですが、実は今の私達にもあるあるの様な気がします。
私は未だに『写メ』と言ってしまうし
夫もたまに『Panasonic』製品を『ナショナルの』とか言ってます。
子供は「『X』のことを『ツィッターで…』と言い『忙しいなら、ホカ弁でええよ。』で『ホットモット弁』とは言いいません。
愛着のある名称って身体からなかなか抜けないかも…
愛着があると言えば、名前もそうで私の幼馴染達との会話では旧姓由来のあだ名や、旧姓で呼び捨てで呼んでいます。
古い名称を使うと、SNS では馬鹿にされたり、年寄り扱い、いい加減なキャラクターだと認識されている場面を見かけることがあります。
でも、私は正しい名称を使わなくても、その人には古い名称(愛着のある名称)で通じ合える、変えることもなく、恥じることもなく使える日常があると想像したりするのです。
その人の日常を垣間見た気持ちがして、人間味ってこういうとこだよな、と思ったりするのです。
(※こういうところが『分析ばかりする(変なやつ)』と呼ばれる所以なのかもしれません笑)