自分で言うのも図々しいと思いますが、私はとても真面目で素直な子供でした。
•ワガママを言ってはいけない。
•自分に厳しく他人には優しくしなければいけない。
•嫌な事は我慢して、ニコニコしていなければいけない。
•人の噂話、悪口は言ってはいけない。
幼少期から親や先生、ボス的な女友達から
『そうすれば、あなたに好意をもつ人が集まるし、友達がたくさん出来るから』
と教えられたり、助言を受けました。
だから出来るだけ、これらを守って生きてきたけれど…
現実は
•嫌な仕事や面倒事を押し付けらる。
•理不尽な事をされても、つい我慢するので反論出来ない様になった。
•何をされても悪口を言わないので、逆に標的にされやすい。
好意を持つ人よりも、馬鹿にされる、舐めてくる人ばかりが目につく様になりました。
人と関係を繋ぐことに、年々臆病になった結果、友達となる人を厳選してしまう様になりました。
こういう生き方は居心地はよくないです。私の生きづらさは、人からの言葉に素直だったせいなのかもしれない、と最近気づきました。
とはいえ、今更キャラクターは変えられないので、
•ワガママは言わない。
•出来る限り低姿勢で接し、愛想よくしようとすること。
•人の悪口は言わない。
これは今でも、そうです。
これらは裏を返せば、
『他人の機嫌を伺う』『他人の目を気にしてしまう』という事です。
そんな私もアラフィフになって、一つ変わったことがあります。
『自分にも優しくすること』です。
フィジカル面からの自然な変化なのかもしれません。更年期もあり、昔ほど体力はありません。
体力の低下の為、自分を労わる様になりました。『無理はしない→自分を許す→自分に優しくする』になったのだと思います。
私の『こうあるべき』像は、親からの教え(助言)から形成されたものです。
アラフィフにもなって
他人の動向に過敏すぎたり、
真面目で、善人でいようと
いまだに思うのです。
そして、そんな自分を惨めに感じたりもします。
「そうでありたいと思う自分」と「そうでなくてもいいと考える自分」の間で精神的に脆くなる波の様に来るメンタルの不安定さ。この原因を辿れば、昔の教え(助言)が結びついていると最近感じているのです。
親や目上からの教え(助言)は私にとって『呪い』なのではと、夜更けにはひとりごちてしまうのです。