30年以上前にアルバイトしていた病院の

 

お話です。

 

1週間に1回か2回位のパートの先生。

 

50代位でしたが、なんか山の中の仙人のような

 

ドクターでした。

 

夏も冬も関係なく、薄手の色落ちしたシャツによれよれの

 

紺か黒のズボン。身長は高いのですが、余分な肉を

 

全てそぎ落としたように細く、

 

足元は裸足でビーチサンダルのような

 

ペラペラの歩くとペタペタと音がしそうなサンダルでした。

 

髪もぼさぼさ、無精ひげも結構伸び放題。

 

しかし、眼光鋭く、人の気持ちを見透かすように見つめる、

 

独特の雰囲気。滝汗滝汗

 

お金は必要な分だけあればいいという感じでしょうか。

 

仕事は最低限で、あとは何をしているかというと

 

劇団主宰をされてたそうです。

 

一度、医局全体で飲み会があって、私も声がかかりました。

 

なぜか、そのドクターの娘さんも飲み会に参加されてました。

 

娘さんはごく普通の人に見えましたが、いろいろ聞いてびっくり。

 

現役で東工大に合格し入学したが、「なんか違う」と辞めて

 

翌年、北海道大学に合格し、入学(学部は聞けなかった)したのに、

 

またまた「なんか違う」と辞めてしまい。

 

今度はどこ?と聞いたら「今は滋賀医大にいる」んだそう。

 

ひゃああ、どこの大学も喉から手がでるくらい合格が欲しい人が

 

一杯いるというのに、あっさり合格を勝ち取って、でもあっさりと手放して

 

そして、お父さんの後を追うという何ともすごい方です。

 

小さい頃の話を聞いたら、

 

広いお庭にたくさんの動物を飼っていたんだそう。

 

私「どんな動物を?」

 

お嬢さん「えーー、とかもいたなあ」

 

はあ、なんかスケールが違いすぎる、色んな意味で。

 

たくさんの動物に囲まれて、行き死にを体験させてもらい

 

お父さんの生き様もまた劇団という何とも人の生き様みたい

 

なものを感情たっぷりに深く関わっているのを

 

かたわらで見てきた娘さんにしたら、最終形態

 

はやり医学部であったか、、、となるべくしてなったというべきか。

 

そんな中ふと、あれ?奥さんは?と疑問が。

 

はい、奥様もいらっしゃいました。あまり記憶にないのですが、

 

ふつうの会社員だったように記憶しています。

 

そんな自由奔放で自分の道を追い続けるだんなさんを

 

応援なのか、あきらめなのか、夫婦の事情までわかりませんが、

 

奥様もすばらしいと思ったのでした。

 

#医学部受験