色々な資料でぐちゃぐちゃになったパパの机の上から

錆びて黒ずんだ指輪が出てきた。

机の両側は沢山の本や書類で山が出来ているのに

なぜかこの指輪のあったあたりだけは、きれいに片付けられていた。


シルバーの地金にゴールドの波の様な模様が入っている。


指にはめてみた。

左の薬指にぴったりのサイズ・・・。

今、初めてこの指輪を身につけた。


この指輪は、いつだったかパパが私にくれたものだ・・・。

ごみ置き場に落ちていたものだったらしい。

「ねぇ、これキレイに拭いて磨いたらちょうどぴったりのサイズなんじゃないの?」

私はそんなパパの言葉を無視した。

だって、ごみ置き場に落ちていた指輪なんて・・・と思ったから。


私はパパからその指輪を受け取らなかった。

もうパパの手から受け取れなくなってしまった・・・。

指輪も淹れてくれるお茶も、何もかも。



パパ、私大事な人が出来たの。

背が高くて、いつもニコニコしていて、大きな笑顔で笑ってくれて

いつでも大好きだって言ってくれる。

そして、私のパパやママや直を大事にしてくれる。

そんな人。


パパに会いにこの間来てくれたんだよ。

お線香をあげたい、そして、お母さんに挨拶したいって・・・。



パパに紹介したかったな。

一緒にお酒を飲みたかったな。




パパ・・・。

いつも「コーヒーに少しだけブランデーを入れてごらん!」と言って

すすめてくれていたよね。

ブランデーだけちょっぴりママと一緒に飲んでみたよ。

ママはむせてしまったの。

おかしいでしょ?



お家の中から少しずつ、パパのものがなくなっていく・・・。

パパが使っていたスリッパ、イスに置かれていた座布団、歯ブラシ、タオル、ヒゲ剃り・・・。


もう戻ってこないんだと、ようやく実感。

パパの歯ブラシのない洗面所は、違和感がある。

何かが足りない。淋しい雰囲気。


この間、パパの骨をお墓の中へ納めてきた。

パパに触れるのは、火葬場以来。

あの時は、まだほんのりあったかかったっけ・・・。

パパは冷たくなったり、あったかくなったり、大変ね。

骨壷の中には、ぎっしり白い骨。

お坊さんが私の手のひらに骨を乗せてくれた。

「お墓の中に、みなさんの手で納めて差し上げてください。」

私はこの骨を納めたくなかった。

だって、そうしたらパパが帰ってこないことを認めたことになってしまう。

きゅっと骨を握り締めた。

私の順が回ってきた。

骨をそっと投げ込んだ。

なんだか今、自分の後ろにパパが居るような、そんな感じがした。

背中がふわっとあったかくなった気がした。



お坊さんの話を聞きながら、私だけが泣いていた。

「骨になると人は軽くなる。ではなくなった分の重さはどこへいったのか。

 それは、煙になって空気中に自由に漂っている。

 そして雨に含まれ、地上に再び降りてくる。

 食べ物や様々なものに吸収され、やがて皆さんのすぐそばにめぐってくるでしょう。

 肉体は離れてしまいましたが、いつでもすぐそばにいるのです。」

こうして話を聞いている今も、この空気の中を自由にパパは飛んでいるのだろう。

どこへでも好きなところへ行ける。

呼べばいつでも来てくれる。

いつでもパパは見ていてくれる。


そう思ったら、何故だか涙が止まらなかった。



今こうして指輪をはめている私を

パパはきっとすぐそばで見ているのだろう。

そしてにこっと笑って

「ほーら、やっぱり欲しいんじゃないかー」

と決まっていうだろう。


あした、ジュエリークリーニングに指輪を持っていこうと思う。

「ほーら、パパ!キレイに磨かないともらってあげないんだから!!」






夢にパパがでてきた。

それとも、私がパパのいるところへお邪魔していたのかな・・・?


ピアノ室の窓から見える、見慣れた背中。

白いランニングシャツに、焼けてシミだらけで真っ赤な大きな背中。

すぐ分かる。

自分でも出したことのないくらいの大きな声で叫ぶ。

「パパーーーーーーーーーーーーー!」

大きな背中がくるっと振り返る。

そして、ゆっくりゆっくりスローモーションで再生しているかのように

窓を開けて、部屋の中へ入ってくる。

ボロボロの青いサンダルを脱ぎ

いつもの半ズボンから生える足を

部屋の中へ一歩二歩と進めていく。

毛だらけの手と足。

あー、私のよく知っている手足だ。


その大きな背中を背負った人は

少しずつ私のそばへ近づいてくる。

けれども、私は一歩も動くことが出来ない。

声も出ない。


そして、足がぴたっと私の前で止まった。

私は、聞こえないくらい小さな声でつぶやく。

「パパ、帰ってきたの?」

そして、そう言うのと同時にパパの手のひらをつかんだ。

手を握ってみる。

あったかい・・・・・・。

あったかくて、分厚い手のひら。

小さい頃に沢山つないだから、よく覚えている。

間違いなくパパだ。


もう一度強く強く、もう離さないとばかりに握り締める。

パパは何も話してくれないけれども

にっこりと微笑んでいた。



気づくと、ママが部屋に入ってくるところだった。

私はまた大きな声をあげる。

「ママ!パパ、帰ってきたの!!」




そう叫んだところで、夢は終わってしまった。

もっともっと、パパと一緒にいたかったのに・・・。

もっともっと、手を握っていたかったのに・・・。



私が最後に霊安室でパパの手に触れたときは

すでに冷たくなっていた。

胸の前で組まれた手。

指には、小さなかすり傷が少しだけあったように思う。

あの時、私はどうしてもパパに触れたいと思った。



顔の布をとり、号泣した。

大の大人がわんわんと声を上げて、泣いた。

「パパ、痛かったね。びっくりしたね。」

それだけ言うと、もう後は言葉にならなかった。

何かをしゃべっているのに、自分でも何をしゃべっているのか分からなかった。



パパの顔が、あまりにもパンパンに腫れていて

まぶたが真っ黒になっていて

こわくて、顔には触れる勇気が出なかった。

私の知っているパパの顔ではなくなっていた。

それでも私は、パパに触れたかった。

だから、かけてあったお布団をずーっとめくってみた。

パパの手足は折れてなんかいなかった。

かすり傷が所々にあったけれども

大きな怪我はなかった。


そして私は、パパの組んである手に自分の手を乗せた。

冷たい・・・。

それはまるで、ゴム製の何かを触っているようだった。

パパの指をさすってみる。

あっためてあげようと思ってさするのに

ちっともあったかくなんてならない。


そうしているうちに、また涙が止まらなくなる。

また大きな声をあげて泣いた。

霊安室の外には、直がいたけれども

私は、小さな子供のように泣きじゃくった。




あの時触ったパパの手とは違った。

あったかくて、柔らかくて、生きている感触・・・。



どうかもう一度だけ。

お願いだからもう一度だけ、パパのあったかい手に引かれたい。

そして、いつものように

「ほら、車くるぞ!寄って寄って!!」

と、叱って欲しい。


それなのに、もうパパのあったかくてグローブのような手は

私達のそばにはなくなってしまった。




また、夢で今日も会いたいと強く強く思う。

今日会えたら、パパに美味しいコーヒーを淹れてあげよう。






今日でパパがいなくなってから、ちょうど一ヶ月。

あっというまの30日。


少しだけパパとお話。

骨壷の前に座って、お線香をあげてみる・・・。

まだ実感がない。

あの骨壷の中には、砕かないと入らなかった程

ぎっしりと骨が入っているはず。

その瞬間まで見届けているのに、実感が湧かない。

今にも玄関の開く音がして

いつもの「どしっ、どしっ」という恐竜みたいな足音を響かせながら

2階へあがってくるのではないかと思っている。


パパ・・・。

どうしてそんなに静かにしているの?

いつもの大きな声で、大きな笑顔で、ワハハと笑ってほしい。

そして、いつものように

「ほら、アイスどれ食べる??」

と言って、一番にアイスの種類を選ばせて欲しい。


パパを思うとき、私はいつも幼稚園の頃の記憶の中にいる。

夏休みが大好きだった。

休みの日には、いつだって私と直を連れて

色んなところへ行ったね。

市民プールの流れるプールでパパは横泳ぎをしていたっけ。

その帰りには決まって、カキ氷を食べながら

SEIYUの屋上にある小さな遊園地で

ゴーカートに乗せてもらったり

機関車に乗せてもらったりしたっけ。

団地の公園にもよく行ったね。

二人乗りブランコをこいでもらったり

ジャングルジムから下りられなくなった私をむかえにきてもらったり

砂場で遊んだり

滑り台からダンボールをしいて一緒に滑ったり・・・。


そんな時のパパは、いつだって笑っている。

一緒にいる私も直も、同じように笑っている。


けれど、もうそうやって笑ってくれるパパはいなくなってしまった。




あと2日で夏休みが終わる。

私の夏休みは、もうきっと永遠に来ない。

パパと一緒に過す夏休みは、もう一生おとずれない。



パパの部屋の誰にもめくってもらえないカレンダーはまだ7月のまま。

そこには、一生懸命に咲くひまわりの絵。

私の部屋のカレンダーばかりが、どんどん先に進んでいく。

いやだ。

まだ止まっていたい。

まだ7月のままがいい。

まだパパに甘えていたい。




お線香のにおいでいっぱいになった我が家は

パパに包まれているみたいで、何だか安心した。

写真の中のパパは、今日も笑っていた。

でも、切れた蛍光灯を換えてくれるのはパパじゃなくて

ママと私・・・。


パパ、いつ帰ってくるの・・・・・・・?