今日は急に発達する低気圧のせいでかなり気温が下がると天気予報に脅されていたが、実際にはさほどでもなく。昼過ぎにはコートを手放して軽装で活動できるくらいの穏やかな春の気候になった。
気がつけば家の周りの雪がほとんど融けて、あとは日陰で凝り固まった根雪の緩みを待つだけ。自室でヒーターを点ける時間も減ってきたし、日没の時刻が目に見えて遅くなったから、疑いようもない春の到来を実感する。
いつの間にか、桜の開花を待ち望む自分がいた。毎年忘れずにやってくる冬が長くて厳しいほどにその出口となる春の光は余計に希望で輝いて、欠かさず体験を重ねることができる日本は凄いと、今更になって思う。
四季があって、季節の移ろいを感じることのできるのはとても尊いことだった。
TTPへの交渉参加が明言されて、近い将来、日本にも自由経済という荒波が押し寄せてくる可能性が一段と高まったこの時世では特に。交渉の行方に関わらず国内事情だけでなく国外にも目を向けなくてはならなくなった日本の農業にとって、外国との比較で自国の良さを再認識することは大いに意義があるのではないか。
少なくとも、TTPを導入すれば壊滅的な被害を受けるなんて、何一つ形が見えていないうちから反対していたって建設的ではない。TTPの議論が起きたのをきっかけに、原点に返って考えてみると気がつくことがあるかもしれない。
 
日本人というのは、歴史を紐解くまでもなく、古代から農耕民族である。その主たる生産物は主食である米であり、日本人は水田の領有によって独自の文化を培ってきた。
対してTTPを主導するアメリカは、狩猟民族を祖に持つ民族が航海の末に発見、開拓してきた比較的歴史の浅い国であり、本質が狩猟民族であるために、自らと異なる者から略奪することを否定しない。
こうした両者の違いを踏まえて。
今回のTTPの話から見えてきたのは、元々略奪を是としてきたアメリカの本当の目的は、独自の保護政策を築いてきた日本の内政に干渉できる鍵を掴むことではないか、ということ。極端なことを言えば、アメリカは経済面で実質的に日本を属国にしたいわけだ。もちろんこんな乱暴な話は、交渉の中ではっきりノーを突きつけねばならない。
ただし、TTPが提唱する理念自体は世界が目指す姿だから厄介なのだ。将来的にはこうでなくてはならないという理想であるからこそ、日本も自国の利益にならないと簡単につっぱねられないし、日本農業は世界からかけ離れた現実を突きつけられて駄々っ子みたいに反対するしかない。
農協はTTPに反対する姿勢を鮮明にしている。反対しなければ組合員の離反を生んでしまうという気持ちなのだろうか。日本で少なくない力を保持する天下の農協がこれほど先鋭化すのも解せないけれど、長い間ぬるま湯につかって利益を享受してきたことから考えれば妥当な判断なのかという気もする。とりあえず、農協は全ての百姓の切実な声を代弁する機関でないことは明示しておこう。
冷静に考えてみれば分かるのだが、関税撤廃や自由経済を求めるTTP構想というのは、参加する各国に対して貿易上のメリットとデメリットが同時に生まれる話であって、それは提唱国のアメリカとて例外ではない。狩猟民族を祖に持って略奪を否定しないアメリカにとって国外に市場を開拓することは国民的なモチベーションであって、実際に自国に何が起こるかは二の次という印象もある。
とにかく、何でも内向きな日本と、何でも外向きなアメリカの違いはこのTTPにおいても顕著である。そしてその違いを理解することが日本の勝機であるとも思う。
 
ここで話を最初に戻そう。
日本では当たり前のように四季があって、知らず知らずのうちに日本人は季節の移り変わりを実感するような体の仕組みを埋め込まれている。世界のほとんどの国でこれだけ豊かな季節の違いがないことを考えればこれは尊いことで、水量も豊富なら風土によって独特の特産物を持った日本の国土、そこから生まれた農産物の機微な旨さは、この国に生まれた者なら誰しも納得できるものだろう。というよりも、豊かな農産物に囲まれた日本人は外国人にはない第六の味覚を持つように、ものすごく繊細な味に慣れて生きてきたから、安さだけを武器にした安易な農産物で心が動くとは思えない。
TTPが求める自由経済はあくまでも政治的な貿易障壁の解消であって、個人が自発的に忌み嫌うのを制限できるわけではない。実はこれが一番大きいのだと思う。元が狩猟民族の外国で作られる産物は効率ばかりが優先されてユーザーの要望を細部まで実現することはなく、元が農耕民族でその土地によって独自の農産物を培ってきた日本人は故郷の味を各自で持つから、単純に価格の安さだけで外国の産物に流されるわけではないだろう。
それに、想像してみよう。例え関税が撤廃されて輸出がしやすくなっても、実際に島国である日本へ産物を運ぶにはそれなりの輸送費がかかることになるし、それ以上に人の行き来にお金がかかるから、日本で相当の利益がなければ成り立つものではない。僕の見立てでは、今も輸入している主要品目の輸入量には影響があるものの、それ以外の品目では国産品に勝てずにほとんど外国産は増えないと予想する。
実際に日本で作られるものは、農産物に限らず車にしても家電にしても外国で評価されてるケースが多々あるんだから、そんなに悲観する必要はないと思う。ただし怖いのは、アメリカとの交渉に負けて相手の言いなりに全てを受け入れてしまうこと。それに国内でも反対反対のネガティブキャンペーンばかりで、肝心の足元を固められないとすぐに負けてしまうと思う。
TTP構想は、アメリカも相手国の農業を潰すのが目的ではないし、世界の食糧事情が逼迫している現実も考慮して細部を詰めるだろう。ここで理解せねばならないのは、アメリカ主導の自由経済圏が現実を帯びてきたこと。そしてその来るべき未来が現実になったときに、日本が豊かな国土を利用した本当に力を持った農業のあり方を見つけていること。
農耕民族として生きてきた日本人の本領をここで発揮してやれ!

ペタしてね

昨日は午後から、僕の住む地区での年度末総会があったため、参加してきました。
行事報告とか決算報告とかやることは毎年何も変わりません。顔ぶれが若返ったせいか特に意見を述べる人もないので、議事は淡々と進行して今年度の役員が挨拶をすれば前半は終わりです。役員さん、一年間ご苦労様でした。
いつからやることになったのか、カップコーヒーを1杯ずつ頂いての休憩を挟んで、後半は氏子総代3名による神社関係の話です。これもいつもと変わりません。うちの地区では一年間に3つの祭りと年越しが神社の行事になるので、皆が集まるこの総会の時に今年の担当を決めたりお金の話をするわけです。
これもまたつつがなく・・・と思ったら大間違い。今年は意外な波乱が待っていました。
事の発端は、今年度の総代長が決めた、「空クジは神饌係をやる」という、成り行きからの思いつきとしか思えないこの発言からです。神饌係というのは毎回の祭りで神様に奉納する物品を用意して手渡していく大事な役なのですが、これまで神饌を務めていた人からそろそろ辞めたいという申し出があり、その準備のために今年は誰かが見習いに入ることになりました。その見習いに入る人を決めるのに、総代長が独断でいつも神社の係を決めるために行うくじ引きのうち、空クジを当たりとしたのです。
そのくじ引き。簡単に作った紙のくじをお盆に載せて回る人が向かい側から来たために僕はほとんど選べず、残った3枚のうち1枚をさくっと手にしました。結果は「荷持ち」。祭りを終えてから使ったものを蔵へ返す役なので、まあ、無難なところですね。隣の人が当てた「榊伐り」のような当日以外に負担のある仕事ではないので、一安心でした。
ところが!
役の方の不手際で一番肝心の空クジが誰にも引かれずに戻ってきてしまったそうです。そこで総代長がまたしても独断で決めました。「荷持ちがもう一度くじ引きして空クジなら神饌にするか」。・・・え?
ということで再度、荷持ちを当てた3人によってくじ引きをしてみたところ、今度も僕は荷持ちと書かれたくじを引きました。ああ、今度こそ安泰だな、と思ったら。空クジを引いたのが、今年の冬に葬式を出した家の大将でした。まだ葬式から間がないからということで春祭りだけは神社に上がらないと事前に確認していたので、空クジはまたも無効となり・・・まさかの3回戦です。・・・え?まさか・・・
そうです、そのまさかです。3回戦はじゃんけんにしたところ、1回目で僕が負けてしまい、空クジは僕のところへ。空クジがきたということは、自動的に神饌の見習いに入るということで・・・ナニコノクジウン。ウソデショー!ウソジャナイデショー!
そして、その後2回のくじ引きは誰が空クジを引き当てるかどきどきのロシアンルーレットタイムとなりました。
次の例祭で僕が当てたのは、またしても「荷持ち」。まさかまさかと思いましたが今度は空クジを当てた人がいたので、ひとまずスルー。その次の秋祭りでは「社務所幣殿」という要は神社の飾りつけをする係だったからいいと思ったら、今度もまた春祭りと同じく空クジが戻ってきてしまったので、社務所幣殿係がじゃんけんで空クジを決める、どこかで見た展開です。これでもう一度じゃんけんに負けたら貧乏神に憑依されてるので祭りを辞退しようかと思いました。で、その結果は・・・セーフ!だけどひやひやものだったぞ!
そんなこんなで、めでたく神饌という大役に挑むことになった今年の僕。ありえない展開で当たりを引き当てた僕はもしかしたら地元一のラッキーボーイなのでしょうか、それとも単なる道化にすぎないのでしょうか。神様、どっち?
 
突然ですが、ここで数学の問題です。今回のくじ引きに参加した人数を20人と仮定して、僕が空クジを引き当てたこの不運の確率を求めなさい。
分かりますか?

ペタしてね

この週末に北海道を襲った暴風雪は、一晩のうちに8名もの尊い人命を奪い去った。前日に秋田新幹線が脱線事故を起こしたのに続いての、異常事態。今年の北日本は記録的な大雪で財政に負担をかけているのは聞いていたが、春を目前にして惨事が立て続けに起こるとは、誰も予想しなかったことだろう。
雪で命を落としたその8名が共通するのは、何らかの理由で車を運転していて、その途中で立ち往生を余儀なくされたこと。瞬間最大風速が30mを超えたこの暴風雪の中ではまともな視界が得られず、とても正常な運転ができる環境ではなかったらしい。車を運転していて立ち往生してしまった人は、次に、助けを求めて車外に出るか、車内に残って救助を要請するか選ぶことになる。実際に、この8人もどちらかの選択をした。しかし無残にもこの暴風雪はどちらの選択も結果は同じだと嘲笑う如く、車外と車内の両方で尊い命を凍りつかせてしまった。それが今回の事件のむごいところだ。
ある人は、救助を求めるために車外へ出る選択をして、強風から我が娘を守るようにして息絶えた。ある人は、会社からの帰宅途中で立ち往生して車を捨て、自宅からさほど離れていない場所で力尽きた。またある家族は、通行止めの道へ迷い込んで猛吹雪に遭遇し、車に残る選択をしたところ、救助が遅れたこともあって一酸化炭素中毒で4人もの命が一気に失われた。正直なところ、ほとんどのケースでもう一つの選択をしても命は助からなかったのではないかと推測する。それくらい状況は緊迫していた。
特に僕が一番息を呑んだのは、身を挺して我が娘を守った父親の死因が「凍死」だったということ。自分から冬山登山でもしない限りはありえないはずのその言葉が、平地の、もう少しで人家があるような場所でよもや死などとは無縁な成人男性の命を刈り取ってしまったのには驚嘆した。が、それ以上に感じたのは、「凍死」という言葉が、普段は姿を隠しているだけで、実は時も場所も選ばず立ち現れるものなんだと再認識した。
その凍死の現場がどれほどの風雪で、どれほどの凍えが親子を襲っていたのかは、今になっては全く分からない。そりゃそうだ、暴風雪で人が死ぬような事態は現代日本ではほとんどないんだから。寒さや雪に対して免疫があるはずの道民でさえ対処できなかった暴雨風雪がまた襲ってくるのも困りものだし。ただ、僕の暮らすこの飛騨が比較的積雪の多い地域で、今年の出初式のようなマイナス10度超えの寒さが年に数回はあるような場所だから、このニュースは全く他人事ではない。
実際にこんな暴風雪が襲ってくればなす術はないだろうが、とりあえず今回の教訓から車内に取り残されたらマフラーの排気口を塞がないように気を配るべきだと学んだ。生活のすぐ隣に凍死という言葉があることも。そうやって一つずつ経験を積んでしか人は賢くなれなれないということも嫌というほど教えられた。
 
最後に、今回の暴風雪で犠牲になられた方々の冥福を心からお祈りします。

 

ペタしてね

蒼天。
この言葉が真っ先に思い浮かぶほど、今日の空はどこまでも澄んで、瑞々しかった。日中は道行く人が外套なしで出歩くくらいの暖かい陽気もあいまって、遠くの乗鞍がひときわ美しく見えるその景色に出会った時には目が覚めるほどの衝撃だった。
確かに暗く鈍重な沈黙に押し包まれる非生産的な季節は存在して、2月は間違いなく典型的な冬月で、3月の春月へ徐々に傾斜しかけた矢先。雪が解けても日当たりのいい場所ばかりでまだまだ道端には重機でのけただけで障害物にしかならない雪の壁が行動範囲の全域で目に付く。こんなものと一緒に付き合えだなんて、ほとほと雪国の暮らしは難儀するけれど、軟化した根雪の下には見えないだけで春が待機しているのだと確信する。
植物は人が思う以上に頑なにできていて、生存にとって厳しい冬を乗り越えて種を絶やさないシステムを、種子や萌芽の中に宿している。春になれば一斉に芽を吹き出して成長のためのエネルギーを溜め込む植物は、条件反射的にそうするのであって、自らそうしょうと考えて命令を下すわけではない。それが人間との大きな違いだ。けれどどちらも太陽の運行によって作られた春の時期になれば春らしい風景の一部となって春という鮮やかな発色を得て、そうした自然の営みにこそ生きる実感があるのだと思う。
僕は目の手術を受けて人工レンズによって採光する関係で、外出時には眼鏡を手放すことができない。眼鏡を外して楽になるとすれば家の中くらいで、元々視力の強い方ではなかったから暮らすことに支障はないけれど、像が鮮明に見える距離がPCの画面程度に設定されているから僕が実際に見ている景色というのは、うすぼんやりだ。見ようと思っても目の焦点の合うのがどうしても意識とずれてしまうから行動が鈍くなりがちで、もどかしい。気がつけば僕は、冬月のほとんどを裸眼の距離で生きていた。なにやらまた雪だとか除雪車の音だとか窓枠に仕切られた風景の鈍色が世界の全てだと信じきった季節がここにあって、僕が僕でないような自分がもどかしかった。
不安、そんな陳腐な言葉では言い表せられないほどの暗いトンネルが厳然とある。浅いこと、深いこと、いろいろな悩みや乗り越えられない壁を感じる中でうすぼんやりとした霧の中心に焦点をやれば、そこにあったのは僕の身体を引き裂くような激しい痛みだった。ただ生きていても少しずつ意識とずれてきてやがて崩壊へずれ込んでしまう脆弱な我々の肉体。それが僕の場合は一生の病を抱え込んで日々目に見えない痛みに苛まれてるんだから、いやそれも違って、内側から圧迫するような鈍い痛みを実際に感じてまずいと思うからこそのインスリン注射で、今や僕の暮らしを縛り上げる糖尿病と健康問題こそが全ての元凶なんだと改めて気付かされた。
ちょっと前、他人に指摘されて自分でも痩せたと認識した。痩せるんだよ、食べてるのに。ストレスが限界を超えると食事療法なんか糞食らえで甘いものやカロリーの高いものをばかすか胃袋に押し込んでるのに、身体は太るどころか痩せるんだよ。最初に糖尿病で入院する直前がこうだったな、なんて思い出す。その頃と違って今は血糖値を制御する知恵を持ってるからまともに入院するなんて事態には至らないだろうけど、その授かった知恵のために自分自身を痛めつけて自虐的な自分を卑屈な目で見下す悪い癖が身についてしまった。それこそが本当の病気だろ、なんて吐き捨ててみたり。
そんな僕に、蒼天。
全ての人に等しく与えられたこの清さ漲る空の片隅に僕の命も確かにあるのだと想像する。巨大すぎて掴みどころのない空は一面、茫漠ではある。上を見上げているばかりでは首が疲れてしまうだけで地を這う人生の行く末を占うこともできない。それでも、この馬鹿みたいに美しく澄みきった空の前では人間の意識化で何かを考えて何かを憂えること自体がちっぽけすぎて笑えてくる。
絶対的な存在感で迫りくる蒼い空の前で人類が何を成してもそれぞれが一片の欠片でしかない地球に属した命、思えばそこに犬も猫も象もライオンもサメもハチもカラスもトカゲもその他の区別なんてなくて、ただ皆、生きている。個が、種が、それぞれに重なり合って関わり合って必死にそれぞれの命を全うして生きて、気がつかない大きな部分でその潰えた命が実は地球を構成する細胞の一つだったのだと理解もできないままに死んでいく。細胞のようにそこにあって仕事を果たすことが存在意義なのだとしたら、僕もここにあって病気と付き合いながら生を全うすればいい。無理に自分をはみ出させようとしないで自分のペースで。
美しいと思えるその空が安全とかではなくて時には牙をむく、荒れる。そんなこと、農業をやってきた僕はよく分かってることじゃないか。雪国だから雪が降って積もって消えなくて心までも鈍色に閉ざして、春は逆にそんな暗いイメージの雪から雪解け水という計り知れない恵みを引き出して。そうこうするうちに、冬月は明ける。待ち遠しいと思っていた春はもうすぐそこだ。

ペタしてね

改めまして、私があべちゃんです。美しい新春の幕開け、まことにおめでとうございます。
ご指摘のように、私にとって総理大臣として迎える新春は2度目となり、私は今、格別の思いで美しいこの国の風景を眺めています。特に真紅の薔薇が咲き誇る事務所の演台からの風景などは最高ですね。以前もそうであったように、圧倒的な大差で私の薔薇が咲き溢れるようでなくては美しくありません。
ん?なに?私があの参院選での歴史的惨敗を演出したんだから醜いんじゃないか、だと。あなたには目の前の美しい立ち姿の私が見えないのですか。私が再び総理大臣に選出されたのは、一度は夜盗に奪われて地に落ちた醜い参議院を私の手で奪還して、本当に美しい国を実現させるためです。ああ、なんてドラマティックで美しいストーリー・・・私はきっと、この使命のために生まれてきたんでしょう。
・・・ごほ。では、ここから本題に移らせていただきます。
夜盗の面々に政治の表舞台を引き渡した数年の間に、この国はすっかり暮らしにくくなりました。醜くなりました。まず誰の頭にも容易に思い浮かぶのは、東北地方を中心に甚大な被害が出た東日本大震災と、同時に発生した福島の原発事故ですか。被災地においては、今でも生まれ育った自分の故郷に帰れずに苦労されている方が多数みえるとのことで、私は、心痛の思いでいます。津波に飲み込まれるなどして亡くなられた方の無念は当然ですが、生き延びた方もPTSDを患うなど心の治療を必要すると聞いて、心穏やかではありません。心の病というのは見えないものですから、政治も後手に回りがちで、本当は救いを求める彼らの声に応えきれなかったのが、従来の政治です。夜盗どもの政治です。こんなやり方をしていては、美しい国になどなるはずがありません。そこで私が提起するのは、ここに持ってきた、このろうそくです。
灯した炎の揺らめきが見えますか?この炎というものは、激しく燃焼して全てを焼き尽くす一方で、焼き払った後の灰が大地を浄化して次の命を宿すことから再生のシンボルともされています。私は、昨年のクリスマスでケーキのキャンドルに火を灯そうとするアキエからその話を聞いて、はっとしました。ろうそくの炎はこんな幸せなシチュエーションではなく、今から再生に向けて寒空を走り続ける国民の皆さんのために必要なのではないか、と。そう思って眺めてみると、実際の炎は紅だけではなく、青も黄も緑も混じりあった神秘を燃やして神々しく、美しいのです。これを被災者の現実と重ね合わせると、あの大津波で全てを失いながらも、残った人がお互いの手と手を取り合って懸命に、前へ向かって生きている姿に思えてなりません。ろうそくの炎と彼らに共通するキーワードは、再生です。もっと掘り下げて言えば、社会の歪みなどで今は困窮を余儀なくされる低所得者や、やむを得ない理由で生活保護を受けている方にとっては、再チャレンジの旗印にもなりうるものです(かく言う私にとっても)。
人々の希望であるこのろうそくとその炎を、私は「心のろうそく」と名づけました。私は、心のろうそくを随時持ち回り、公務中はどんなことがあっても絶対に吹き消さないことを誓います。ええ、どんなことがあっても、です。マスコミに追いかけられても、揉みくちゃにされても、夜盗どもの卑怯な政治手法に激昂しようとも、半島からミサイルが飛んでこようと、核が着弾しようと、また大津波が押し寄せようと、西の都でトオルちゃんが暴れようと、東の都で石原パパが切れようと、私の愛人が大臣室で甘えてこようと、閣僚の誰かが自殺しようと、私の支持率が10パーセントを割っても、夏の参議院選挙で大敗しようと、です。私は、決して、美しいこの炎を消させません。
なに、消してしまったらどうするか、だと。それは・・・私の政治生命が途切れる時です。だから皆さん、心のろうそくの取り扱いには十分気をつけてください。また以前みたいなことがあると困るでしょう?
以上。新総理から国民への、重大なお願いでした。
 
 
 
 
 
(監視者)
心のろうそく・・・お前の心の体現じゃないかよ!おいおい、揺れてる揺れてる。この人、そんないい加減な理屈で、以前の失態を正当化するつもりなのか?

ペタしてね

5日は、毎年のように午前中は消防出初式、午後は早い時間から分団の新年会と街へ繰り出しての飲み。その疲れも抜けない翌6日の午後には地区の新年会で、いつになくシャレー中西へ。
そして正月明けの8日は、朝から病院で定期検査。思ったとおりHba1c値は悪くなっていたけどそれだけで、「お酒はやめた方がいいねえ」とはまだ言われませんでした。結論としてはこれまでと変化なしだったから、とりあえず、ほっ。
 
それにしても、今年の出初式はこれまでになく寒かったです。まさかの、-10℃越え。何も出初式を狙い撃ちしなくても、なんて嘆いてみても寒いだけで雪も雨も降らないこの天気では取りやめになるわけがないから、朝早く起きて恐ろしいほどの寒さと格闘するしかありませんでした。
寒い寒いと高山の人からは揶揄される丹生川でも、これだけの寒さは1シーズンで数えるほどしかありません。その、-10℃越えの世界では、戸外に置いていた車のドアが凍りついて簡単に開かなくなります。フロントガラスをびっしりと覆った氷は頑固すぎて、お湯をかけないと容易にとけてくれません。もちろん、暖機運転に余分な時間を使うのは当たり前。十分に暖めたと思っても、よく見てみると朝かけたはずの熱湯が冷えて短時間のうちにまた新しい氷を作っていて、いつまでやってもきりがない、というのも厳寒だからこその現象、摂理です。
そればかりではありません。ここまで寒いと水道の水が凍って下手すると破損にまで結びつくから、飛騨のような厳寒の土地では水道関係のヒーターが必須です。だから、寒さが厳しい夜はトイレの方が寝室よりも暖かい、ということがよくあります。ただ、それでも完全ではないのが悲しいところで。本当に寒い日は、浴室に置いていたシャンプーの管の部分が凍ってがんとも動かなくなってしまいます。リンスに関しては、管だけでなく中身までがシャーベットになってしまいます。出初式の後の飲み会には、そうした使い物にならないシャンプーとリンスを、容器から強引に搔き出してなんとか仕上げていった悲しい経緯があります。
本番に関しては、例年より防寒を厚くしたのはもちろんのこと。あまりに寒すぎて放水訓練に使うタンクの水が凍るなど、予期しないトラブルがあった模様。それでも不思議なことに、丹生川を仕切る本部の消防熱はかえって燃え上がっていたようで、これだけ寒くても手加減は一切ありませんでした。始まりから終わりまで、みっちり。
さすがは厳寒の地の消防団です。本当に、飲んでなきゃやってられませんよ。


ペタしてね

「売れないは やはり売れない 福袋」


正月2日は書初め、ということで。正月らしい甘酸っぱい光景を、デジタル狂歌にしてしたためてみました。
これは、大型スーパーAの初売りでの光景です。普段から福袋なんて関心も持たない僕だから、決してお値打ちに福にありつこうと考えたわけじゃありません。家にいてもやることがなかったからです。暇だったのです。とはいっても、どこへ行くという当てもないから、とりあえず思いついたその店舗へ出向いてみた次第。決して福袋が目当てじゃなくっても、店に行きさえすれば、大々的に売り出してる福袋はそりゃあ目に入りますよ。正直なところ購買意欲はないけど、とりあえず物色してみるのが、こういう場所での礼儀です。メンズ衣服の詰め合わせ5点とか7点とかで1万円やら5千円やら。確かにこの点数では買えない値段だから安いといえば安いんですよね、間違いなく。しかも中身が予め見えていて実際に触って確認できるから、購入してからこんなはずじゃなかった、という一番最悪のパターンは避けられるけど・・・なんか微妙。なんでルームウエアが必ずセットになってるんだろう、という疑問以上に、大きめサイズの割合が高くて、最初から手の出しようがないんですよね。おそらくは売れないから残ったのと、売りたいけど誰も買ってくれないのと、両方。また別の店舗の場合は、僕が行った時に既に4種類のうち3つまでが完売していたのに、あと1種類だけはほとんど動かずにカーゴに積み残っているんですよね。なんでだろう、って思って中身を確かめたら、まず誰も似合わないレザーのジャケットとか。福袋だからって何を入れても招福になるわけじゃないですよね。あとは、これ絶対に在庫処分だろ、ってつっこみたくなるような下着や靴下のセット販売とか。あまりに見え見えだから、甘酸っぱい光景だなんて書かれるんですよ。これだけこき下ろしておいて、新年から諭吉さんが財布から逃げていった、なんてオチではありません。今年も福袋は買いませんでした。そして、したためる。
「売れないは やはり売れない 福袋」
ああ、日本経済は大丈夫かなあ・・・?

ペタしてね

旧年は、めでたく、マヤの予言が外れましたね。辰年なのに、世の中の秩序を変えるような革命も起きなかったし。まあ、日本が変わったとすれば、タカ派と言われるあべちゃんの復活くらいですか。民主も維新も抑えて自民が第一党に返り咲いちゃったから、ちょっと調子に乗ってますよ。このままだと、平和憲法を変えて日本でも堂々と軍隊を持てるようになるかもしれません。一度は任務を途中で放棄した前歴のあるあべちゃんの心が折れなければ、の話なので、多分、大丈夫でしょう(それもどうかと思うが・・・)。
さて、新年です。年が変われば空が紫色になって太陽がなすの形とかにはならなくて、なす子の神が世界を席巻するとかもなくて、今まで見てきた通りの穏やかな元旦の空がありました。それでいいんです。何も変わらずにあるのが、幸せなんです。
何せ昨年の年越しは、病院のベッドの上でしたから。もう数ヶ月で移転するっていうのに担ぎ込まれたのは旧の施設で、やはり入院となった時には何の悪戯か、といたく自分の不運を呪いましたね。その際の病名は「横紋筋融解」。こう書くと小難しいけど、要するに脱水症状の極度の奴で、間違いなく糖尿は関係がありますね。僕の場合はどうやら左腿の骨に近い部分の筋肉に傷がついたらしく、入院時は激痛でとても歩ける状態でなかったし、点滴で治療して退院した後もしばらく古傷の痛みに悩まされました。
昨年は、これのおかげでスキー場勤務を休まざるを得ませんでした。それも、思いっきり勤務中にやってしまったので今年はどうかと気を揉んでいたら、やはり、でしたね。スキー場からの葉書は来ませんでした。なんだかんだスキー場には助けられていたので、これはショックでした。
そうした経緯があって、今年はまともな仕事ができないままの年越しになってしまいました。年末に僕がやったといえば、毎年恒例の消防夜警と、大晦日の神社の火焚きくらいですか。どちらも寒い中での勤務で面倒くさいというのが先に立つわけですが、病院で迎えた年越しの悲惨さを思うと、こうした田舎の風習をこなしながらいつものメンバーが顔を合わせることのありがたさが身に沁みますね。
普段と変わらない年越しがいいと思います。だって僕の生まれたこの場所で染み付いた、田舎くさいかもしれないけどそれなりの意味があって、それなりの温みに満ちた年越しを否定されるのは、やはり嫌です。代わりの何か、なんて考えてもそれこそ無意味で。僕が僕のまま生きている、と感じられる故郷に僕の命のあるのが、地味だけど大切なんですよね。
 
新年から雑文ですが、今年もよろしくお願いします。
自分を追い詰めない程度に、ゆる~く更新していきます。

ペタしてね

それは、光り輝くコンサートの夜だった、辿り着いた都会は、何食わぬ貌で現れて、何万もの熱にうなされた人々の魂を一息に飲み込んだんだ、貪欲すぎる、思いの丈を語る間さえも与えられなくって、気がつけば君は、人々の重量に耐え軋むブリッジから、よもや転落しそうになっていた。灯火の設置されていない道の外れは新月の世界だから危ないよ、と優しく諭すと、君はブリッジの端に体育座りして拗ねるんだ、だって、私、あそこに泳いでる光るお魚とどうしても遊びたかったんやもん、いけないことだっては分かってるけど、どうしても。眉をひそめてブリッジの端から外を覗き込めば、世界を深い闇に染め上げる新月の、さらに一段深い闇色の吹き溜まりにその魚はいて、現世の決め事や契りに縛られることなく悠然と、月明かりを泳いでいたんだ、多分、君の瞳にはそう見えていたんだろうね。今夜の熱狂を待ちきれない人の波は絶えず流れ続けて立ち止まることなんかしない、名も知らない少女の手なんか握ってやったりはしない、いつもそうなんだ、君は、流れに身を任せて他の人の背中を追いかけていれば楽なのにね、道の脇に見つけた光る魚がいくら綺麗だって、そんなのコンサート会場の華々しさに比べたら比較になんかならない、ましてや危険を冒して寄り道するほどの価値もない、実際は空気を入れたバルーンなんだしね。それでも瞳を輝かせてその魚を捕獲した時のことばかり早口で喋り立てる君は、人々の流れから取り残されていても平然として、だから変わり者って言われるんだ、って軽く叱ってみたって何も動じない、そういえば君は変わり者だったね。ベッドから転落しそうになって、悲壮、いきなり来年からの変化と決意を口にする君の横顔が眩しくて、それが君の魅力なんだって教えてあげてるのに、会ったこともない相手と比較して困惑するような質問で返してきたり、君の真意はいつも新月に翳って見えなくて、君にしか見えない夜闇を泳ぐ魚が悲しすぎる。それでも僕が手を差し出せば握り返してくれて、温かい、どこにも魚鱗をまさぐるような不快な匂いや感触はなくて、確かに君は人間だよ、血の通う、生きて、生きて、決して死ぬために夜の池へダイブしてはいけないそんな命の、君、ほらバルーンならあげるから、さあ、帰ろう。たったひとりで醒めた僕の頭上をめがけてゆっくりと降りてきた大量のバルーンに群がる人々の間で一気に膨らんだそのバルーンは、正直、戦果として自慢したい気持ちを持て余す代物で、魚を抱え込むよりも厄介だったのだけど、コンサートの空気が詰め込まれてるから、君にその空気を感じて欲しかったから。君にとっては、それは新月の明かりを撥ねつけて躍動する魚にしか見えなくたっていいんだ、今夜も君を見つけられた、都会という巨大な生簀に生かされた数十、数百という魚たちの中で、君というたった一つの識別番号に再会できただけでも幸運、しかもバルーンまで手渡せた。変わり者の君は、せっかく手にしたそのバルーンを帰り道に手放してしまって、キャッチ・アンド・リリースなんて口にしたけど、遂に新月の翳で君の表情を確かめられなかった。僕らを包む大気よりも重いバルーンが明るめの都会の夜を泳ぐように転げ消えると、一つの束縛を手放して身軽になった君がいつもの貌に戻って、切々と自分の思いを語るんだ、普通になりたいんだって。光り輝くコンサートのステージは終わっても、人々の興奮はまだ終わらなくて、ふわふわしたバルーンが都会の入り組んだ路地にまで入り込む、人の目が届かない場所で銀色の魚に変化する、新月の夜がもたらす魔法にも君は平然として、胸を張って前だけを見るんだ。来年、いいや来年のその先、君の這い進む人生のその先に何が待ち受けていようとも、おそらく君はいつもの君で、少しくらいの涙なら自分で拭い去って胸を張って、お願いだからというから、僕もそうするよ。君は心配ない。君は心配ない・・・

ペタしてね

いつの間にか、師走ですね。
この時期は、毎年、冬の仕事をどうしようかと迷った挙句、ほとんど何も動けずに過ごしてしまうのですが、今年はやっと奮起。です。
ハローワークに通うのはもちろん、とりあえず地元の派遣会社にも登録して、かなり頑張ってアンテナを張ってみました。やはり今の時代はどこも厳しいですね。仕事自体はあっても条件の合わないところが多すぎて、限られた自分の時間がリストの山に埋没していくのを肌で感じました。徒労。
とにかく仕事を、と飛び込んでみたのが、例の交通量調査です。でもこの仕事って、天候に左右されてしまうから思うように日数を稼げないんですよね。とてもこの程度では小遣いくらいにしかならないので他の安定したバイトが必要だったのですが、これがなかなか難航しました。
その中で一番の事件は、ある有名店の倉庫のバイトですね。ここは面接を受けて一応は採用されたのに、自分から辞退しました。ここは正社員並みの厳格なスケジュール管理、とでも言えばいいんでしょうか。僕のように平日も休日もなく予定が入る特殊な人間ではとても仕事にならないので、契約を結ぶ前に断りの電話を入れました。
正直な話、ここは有名店でもあって期待していました。それだけに、何が何でも会社の犬になるよう求めてくるような職場の雰囲気を知った時には失望しました。おそらくは、これが現実なんですよね。ネームバリューなんて信用ならないと悟って、ようやく僕は開き直りました。
さるぼぼを開いて、とりあえず電話して、面接を受けて。やはり予想通り、こちらの希望に応えるような職場環境があると分かって、ようやくここに決めました。警備会社。
警備員の仕事に関しては昔からなんとなく避けてきたところがあったのですが、考えようによっては一番分かりやすくて、必ず需要もあるから決して悪くはないんですよね。だってどの仕事でも、勤めである限りは時間から時間。立ちっぱなしになるのも警備員に限った話ではないし、勤務の時間帯も世間とずれていないからストレスになるわけではありません。第一、仕事がないと本当にまずいことになるから、今はかなり救われた気持ちでいます。
現在は、法令で決められた研修期間中。来週からようやく制服に袖を通して警備員デビューですよ。はてさて、どんな感じになるんでしょうか。
 
あ、書き忘れていましたが、スキー場からの葉書は届いていません。僕の存在は完全に忘れられたんでしょうね。それもかまいませんよ。
自分の痕跡を残さずに去るのが僕の望みなんだから。

ペタしてね