里の実質的支配者である豪族の主が来訪したその日は、朝から爽やかな秋晴れで、里を見下ろすように鎮座する遠くの霊峰がはっきり見えていっそう神々しかった。
里にとって特別大事なその日のために、大人たちは数日前から忙しく立ち働いて日常の作業は後回しだった。饗応へ肉を出すために猪を狩ったり、目隠しのための壁を丸太を組んで作ったり、普段より多めに薪を集めてきたり、道端の草を刈り取って少しでも道を歩きやすくしたり。いつもと変わらぬ笑顔を浮かべていても言葉の端々に穏やかならざるものを感じる大人が少なくなく、直接業務を担当しないこどもたちにもその異様さは伝わっていた。決して、心から歓迎したい相手ではない。でありながら失礼にならないもてなしをせねばならないという矛盾を、こどもたちにきちんと納得させられる大人は、誰ひとりいなかった。
無理もない。里の長老にとってもまともな話し合いを経ずに他郷から支配を受けるのは初めての経験だ。事を理解できるはずの大人でさえその不満を完全に抑えるのに苦労してきたくらいで、こどもたちの疑問に答えられるような余裕はこの里にはなかった。
だから、その日もいつもと同じように早朝の水汲みを命じられたこどもたちは、あまり面白くなかった。この里では、降雨が強くない限りは五人から十人の集団による水汲みが日課になっていて、いくら重労働といってもその意義を理解していたからぐずる子はほとんどいなかった。ところがその日は、大人たちの異様な雰囲気に触発されたからか、出発の直後から文句を言う子が多くて、やや歩かねばならない渓流から水を汲んで集落へ戻るだけの作業に普段の倍くらい時間がかかってしまった。こどもたちの中ではちょうど中間の立場にあった彼は上と下の両挟みにあって、言葉に窮する場面が多々あった。
彼としては、皆で苦労して生産した米に群がって簡単に飯を食える豪族に従って様々な無理を呑まされるくらいなら、いっそ豪族と戦った方が里の利益になるのではないかと考えていた。だが、ほとんど兵力といえる兵力を持たないこの里では、彼の意見は受け入れられなかった。全員の命があるだけでも儲けものだと言うのだ。下手に抵抗した里では斬首もあったという噂を聞けば、確かに複雑な気持ちはあるが・・・
その日、こどもたちはあまりにも統率を欠いたために水汲みは一往復で免除された。その代わりに言い渡されたのは、自分より年下の者を泣かせないように教育することだった。良いように解釈すれば子守りなのだろうが、その日の彼にとっては大人の仲間入りを無碍にする面倒な事象にすぎなかった。時間があれば山に入って木の実の採集をと考えていたのも叶わず、年下の子の面倒を見るだけで時間がすぎていくのが、とても嫌だった。
この頃の里では成人の儀式を迎えた大人と、それ以前のこどもははっきり区別されていた。数えで十二を迎えたその月に行われる成人の儀式自体は古式に則って行われるからごく質素で、時間もそうはかからない。儀式の夜に出されるご馳走にしても、やっと酒が飲めるくらいの違いしかないのが現実だ。彼にしてみればその成人の儀式を終えれば里を離れねばならない厳しい掟があるのも承知の上。だから大人になることは怖いが、大人になってより責任の重い仕事を任されることには幼少の頃から憧憬があった。それも、かなり強く。事あるごとに竜との関連を疑われてあまり居心地のいい生き方をしてこなかった彼の事情もあるし、自分の為したことが他者を動かして団体としての成果になるその充実感を想像して顔がにやけるせいもある。彼はこの里で成人としての体験ができないからこそ大人に執着し、大人になることを意識するからこそ、普段から年齢よりも落ち着いた思考をするようになっていた。
彼はこの時、七歳。もちろん体格的にも精神的な成熟度においても大人には敵わなかった。それは現実と認識しつつ、彼だからできる何かがあるのではないかと日々、悩み苦しんでいた。
いつもの割り振りどおりの面々で簡素な昼食を済ませると、ほどなくして里人は全員、広場に集められた。広場は集落の片隅にある開けた場所で、大きな会合や季節ごとの祭祀はここで行われる。里にとっての要人である豪族の主をもてなす場所がここになったことは、誰も疑いをもつことではなかった。
豪族の主らは、なかなか姿を見せなかった。竜を監視するための櫓からなら広い視界があるので里に向かう人の隊列をいち早く発見できるはずだが、監視役の若衆からの連絡もない。秋の高い空は未だ健在だ。普段なら大人たちに混ざって冬に向けての準備作業に励んでいるところが、いつになく手持ち無沙汰。里人がたくさん集合していても何もすることがなく待機を続けることは、彼には苦手だった。
せめて竜でもいてくれれば、という密かな望みもこの時季にはほとんど期待できなかった。夏、中天の太陽が燃え盛るのと同調して闘いを開始した竜は、陽を背負い眩しい影となって夏の間中闘いを続け、分厚い雨雲に太陽の威光が掻き消される秋の初めに地へ堕ちて、そこからは大地を這いつくばってしか移動できなくなる。我々、人間と同じく。竜はそうやって毎年似たような生態を繰り返してきたから、秋の深まるこの時季は里の近くにいないことが推測できるし、実際に今朝の段階で櫓から確認できる位置に竜の姿を認めることはできなかった。
彼は、竜の存在が気になっていた。それはおそらく、物心ついた頃から彼の出生は竜との関連があると聞かされてきたことや、森の泉から彼を助け出したことを自慢げに語る兄弟のうち獣のように鼻の利く弟からさんざん「竜の匂いがする。こびりついてる。」と散々言われてきたことからなのだろう。何度自分の身体を嗅いでみても、彼には自らの汗や泥や肥の匂いくらいしか感じることはできなかった。その兄弟は普段から他人をからかって笑うような性格ではないので、全くの嘘ではないのだろう。いや、嘘どころか、全てが真実なのかもしれない。彼の側からは竜の存在は消滅してはならないものだった。特に敵対するでもなく、必要以上に自分を庇うものでもなく、とにかくそこになくては自分の脆弱な存在が消えてしまう、と思えるのが、あの竜だった。
それに対して、彼は、人間である豪族の主には何の尊厳も感じなかった。集合の号令があってから時間が経ちすぎて、まだ他人の服の裾を掴まないと外へ出られない小さな子がぐずりだした。こうならないために子守を任せたのに、と心ない大人たちにどやされて、彼は慌てて自分の担当する子の手を引いて、里人の集団から離れた。それは、担当する子が一人でおしっこをできないから察してそうしたのだが、よく聞いてみるとおしっこではなくて、里人全員が神妙な面持ちで集合したその異様な雰囲気に耐えられなくなったようだった。分かる。彼は担当の子をなだめながら、皆から離れたここからなら逃げ出せると、不意に邪な考えを巡らした。
いや、違うだろう。彼は、誰かが削りかけで放置していた石器の刃をたまたま見つけて、人に見られないように麻でできた衣服の繊維のほつれに引っ掛けるようにそれを隠し持った。いざとなれば戦うんだ。豪族の主を殺すんだ。彼は、自分の引いてきた子が不審がるくらいに、何もないうちから武者震いしていた。

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里が豪族の支配下に置かれた次の年。強引な手段で周りの里を次々に併呑して面積だけなら戦国時代の小国くらいの領主となった豪族の主が、いきなり巡視のために来訪することになって、里はその準備のため少し異様な空気に包まれたことがあった。
里ではやっと村人総出で稲の刈り取りを終わり、これから迎える寒い時期に備えて木の実を採集したり、畑作物の収穫を進めつつ保存食の製造を始めた頃だった。
この時代の米は赤米が中心だった。大陸から伝来した時は後の主流となる白米も一緒だったが、この頃の日本では水田環境や稲作技術が貧弱だったために赤米でしか収穫量を確保できなかった。赤米は、日本の野山でも原生していたくらいに適応能力が広く、白米ほど手をかけなくても栽培できる代わりに、味についてはそのままでは苦すぎて他の雑穀類を混ぜてやっと、くらいだったようだ。
う。それでも既に定住生活を始めていたこの時代の人々にとっては、保存が利いて比較的少量でも炭水化物を摂取できる赤米は、暮らしになくてはならない大事な食べ物だった。この里では集落の中心に高床の倉庫を作って収穫後に備蓄し、それを食事ごとに取り出して煮炊きする暮らしを送っていた。
この頃は集落単位で水田を営んでいたから、おそらく食事も集落ごとの取り決めに拠っていたのではないだろうか。家はまだ寝起きの場所でしかなく、人はまだ生活全般を集落の規範に縛られていた。食事や仕事はもちろん、信仰も、誰と結婚するか、集落として何をするか、本当に全てだ。だが現代人の感覚で考えてはいけない。この時代は個を差し出して里として一体になることで個人の命を保障されたから、そうした人の群れをはぐれて流浪の民になることは死を意味していた。生活の規範があって縛られることが逆に人々の安心に繋がっていた面もあるのだろう。
里に押し寄せてきて強引に里を支配下に置いた豪族は、自らも似たような境遇であるため里の規範を改変するまではしなかった。豪族の兵を常駐させて、毎年、幾ばくかの米を納めるよう求めただけだった。訓練した兵士とともに乗り込んできて自ら最長老と面談した豪族の主は、人懐っこそうな笑顔に狡猾さを隠しながら、終始上機嫌で自分の思いを一方的に語って去っていったそうだ。彼の言葉を信じるならそんなに生活が変わるはずはないのだが、実際には豪族から派遣された兵士の食事まで面倒を見ることになって豪族は里の民からとても疎まれた。
前述したように、人々が土着の神を信仰していて生活の規範に影響を与える部分があるのも良くなかった。派遣された兵士たちは近隣の里の出身者ばかりではあったが、この里ではやはり他人だった。彼らは、里の者が長らく守ってきた倉庫の出入り口に陣取っていたので、里人は備蓄した穀類の管理さえままならない。それだけでなく、彼らは里の者が自然に行ってきた土着の神に対するささやかな祈りやまじないを見かける度に白白々しい眼で里人を見下したから、なおさらだ。
それらの兵士は里を守るためにいるという豪族側の建前を鵜呑みにする里人は誰もいなかった。あわよくば倉庫の前にいる武装した兵士をそっくりそのまま略奪者に豹変させる狙いもあるのは疑いようがない。ただし里の者は、実力行使に及んできた豪族が本当はそれに見合う富を持ち合わせてなく、配下の里に派遣する兵士たちは単なる見栄なのだと見抜いていた。だから一つ顔の皮を剥がせば本性が露になって張りぼての支配は足元から崩れ落ちる。そう考えなければやっていけない気持ちで里の者は耐えていた。
その年は思いも寄らない兵士の常駐のためにただでさえ少ない備蓄が大幅に削られてしまった。しかも春先からの天候不順で稲作が思うようにならず、平年よりも収穫量を減らした。そんな中で豪族の主が来訪する、失礼にならないもてなしをする必要がある。まだ幼い彼には全く理解できないことだった。

この時代は国が発生する前の黎明期である。人間は好奇心の動物であるらしく、水田が発達して定住が始まる以前のかなり古い時期から徒歩で全国各地を回っており、実は今日の我々が考えるよりもずっと島の諸事情に詳しかったと考えられる。全ては過去の旅人が残した口伝を繋ぎ合わせたものだが、おおよそであっても島のどこに何があり、どんな人が暮らして、この次に何が起ころうとしているかを知っているというのは驚きだし、そうした適切な知識があったからこそ、全国の力を結集して一つの国を作り上げる必要性を嫌というほどに認識していたはずだ。
認識してはいた。が、誰もそれを実現できなかった。目の前の暮らしを優先すればどうしても大事が疎かになってしまうから。自分の属する家族や集落などの小事を誰かに代わって貰えるほどの余裕がなければどのみち全国をまとめ上げる大作業は無理だった。それでも更なる高みを目指す人間の飽くなき欲望の終着点は共通していたわけで、国を作ろうという情熱はこの時代どこにでも燻っており、それが単発の花火とその鎮火を繰り返しながら、少しずつ目指す方向へは進んでいた。
ただし南北に長く、場所によって全く気候も風土も異なる複雑なこの列島の話だから、その場所によって文化や思想の習熟度合いには差があって、概ね雪の降る地域ほど遅れる傾向はあった。この話の舞台となる里は内陸部にあって毎年のように降雪があって冬は雪解けまで我慢を強いられていたから、必然的に時間の進み方は緩やかだった。大事が何もなくて安寧な暮らしを求めるだけならそれでいい。竜の存在以外にはあまり脅威を感じたことのない里の民はまだ、国作りを目指す情熱の恐ろしさを正確には認識できないでいた。
里の現状は、定住生活にようやく慣れて、内外の諸問題を解決しながらどうすれば里の富を増強できるかを考え始めたくらいの段階。信仰としても、神威を感じさえすればそこにある老木や巨岩や風景が神へと昇華するような原始的な様相であって、どうしても広域的な連携とは結びつきにくかった。それが悪かった。
近くの裕福な里で勢力を蓄えた豪族がその里に軍隊を送り込んできて、圧倒的な戦力を前に戦わずして降伏を余儀なくされてしまった。これは彼が六歳の冬に起きた大事件だ。以降、里はその豪族に対して幾ばくかの米と兵士を納めねばならなくなり、自ずと生産力に限界があるため里は急激に衰えていった。
その豪族は、国作りのためのやむを得ない併呑だと強調しながらも、実際の支配は自分の懐を肥やして少しでも楽に生きたいがための強引な兵力の行使であった。里の民は最初から見抜いていたが、圧倒的な力の前に誰も文句を言えなかった。やはり自分の死は誰もが怖かった。里全体で力が足りなければ自分の屍を超えて逆襲してくれるわけもなく、犬死にを選ぶくらいなら降伏の方がずっとましだった。
そんな時代。そんな実情。
時折豪族が里の統治に口出ししてくることがあっても、支配欲からのことだから、まともに抵抗しなければ特に問題は起きなかった。年貢として米を納めることだけが、里に課された使命だといえた。豪族の派遣する兵士たちは水田の管理や米の収穫量にはうるさかったが、民の拠り所とする信仰の部分については割と大らかだった。大きく見れば彼らも天を統べる霊峰を仰ぎ見る立場で、地元に帰れば土着の神を信仰する同士だから心の有り様にまで立ち入ることはしなかった。豪族の支配を許しはしても里はまだ平和だった。人はまだ本格的な殺し合いを望んでいなかった。
この頃の人々の暮らしはとても粗末なものだった。それは近隣の里を支配下に置いたその豪族にしても事情に変わりはなく、たまたま拠点を置いた環境が良かった程度の理由で力を持ち得ただけ。たまたま余剰人員がいて彼らを兵士として鍛錬できたことが他と違ったくらいで、専属の兵士がいること以外の暮らしぶりは基本的に周囲の里と変わりはなかった。まだまだこの時代、地方の豪族は主といっても農作業から完全に解放されることがなく、人々の統治に骨を砕く理由もないから半ば放置が当たり前だった。
近隣の豪族やその兵士にとっても一筋縄でいかなかったのが、あの竜の存在だった。竜の生態についての知見や日頃の監視活動については、里の者を凌駕することができなかったから。かなり早い段階で竜の存在や竜に対処する苦労する現実を聞き及んではいても、豪族の主は想像して共感する心を持ち合わせていなかった。残念ながら、それがこの地域の現実だった。やがて豪族は廃れ、支配下の里は統治から見放される。
竜に食われずに生き残った彼が幼少を生きたのは、そうなる前の時代だった。他人よりも感性の豊かな彼には思うことがたくさんあった。が、彼の屈託ない意見は大人たちに悉く封殺された。農作業に従事して少なくない貢献はしても、彼は所詮こどもにすぎなかった。彼はそれが物凄く悔しかった。

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竜は、人の里の動きと関係なく子孫を残す死闘をしながら年を重ねていた。
彼とその母親の肉を食べ損ねたことなど、もはや微塵も覚えていない。竜は基本的に後悔することがなかった。何かを為すのに迷いがあるにしてもその多くは警戒のためであって、一度行動に及べばたちまち直前までの迷いは過去になる。竜にとっては目の前に転がっていた旨そうな肉を食べ損ねた経験など、過去、数多。いちいち一つの事象に拘っていてはきりがないし、他の肉食動物を凌駕するためにもそれは必要なことであった。
そんなつまらない過去よりも、竜にとっては一年のうちで太陽の力が極大に達して敵である異形の者が次々に襲いかかってくる夏という季節が到来したことが気がかりだった。これまでの経験から、異形の者は太陽が顔を出している時間帯ならいつでも竜に襲いかかってくることが分かっている。
敵意を剥き出しにして時に単独で、時に集団で襲撃してくる異形の者が狙うのは不死の力を得た竜の血肉である。完全に成仏することなく現世への未練が有形化したような彼ら異形の者は、生前の自分の姿から幾つか欠陥を抱えた姿で空中に現われて、ほとんど何の工夫もなく圧倒的な力を持った竜に挑みかかってくる。彼らが竜の血肉を求めるのは、それを食せば現世にもう一度降誕できると信じているためで、言葉が通じない狂った彼らには竜の咆哮もその他の威嚇もまるで通じない。だから竜は毎年のように彼らと闘う羽目になる。生と死の中間にあるような異形の者は人間を含む他の生物からは姿が見えず、竜が鋭利な牙で喰いちぎれば簡単に消滅するような不安定な存在だ。生物の中で抜きん出た能力を持った竜が彼らの一体に負けることはまずないだろう。だがひと夏のうちに異常なまでの執念で襲撃を繰り返す彼らはあまりにも大量だから、竜はいつもその数に負かされてしまう。しかも数が多いからそのうちに気付く者が出てくる。目の前の成体なら熾烈な戦闘に勝利せねばならないが、ある祠に匿われた竜の卵なら比較的簡単に浚ってくることができるではないか。そうなのだ。竜は、遥か昔に創造神に約束された通り、この世に実際の卵を得ることができる代わりに竜本体とそれらの卵を狙ってくる異形の者と戦わねば、悲願である竜の子孫とは永劫に出会えない。そして、これまで一度も異形の者たちに勝利したことはなかった。竜が煉獄に囚われている最大の証左である。
もちろん竜が好き好んで困難な道を選んだわけではない。誰とも戦わずに自らの子孫を得られればそれに越したことはなく、他の動物と同じように子育てをしたり自分と同じ血を持った血族同士で結束したりするのが、竜の密かな夢。が、運命がそれを許さなかった。毎年のように英気を養って万全にしても、ほとんどの年は卵を全て食い荒らされ、もし我が子を見ることがあっても乾涸びた遺骸を発見するにすぎなかった。
それでも竜は一つの失敗に挫けることなく、次の挑戦へと気持ちを切り替えてきた。過去に拘ることなく、努力すれば実るであろう理想的な未来を夢に描きながらここまで進んできた。この年はもしかしたら。この年はもしかしたら・・・
正直なことを言えば、もう自分の子孫を残す運命はありえないのだ、という思いはある。ただ竜は、一縷でも望みがある限り自分から諦めたくなかった。いつだって戦いを放棄してどこか安全な場所へ逃げることはできたが、それは自分の誇りが許さなかった。
だから竜は、今年も懲りなく現われた異形の者と中空で対峙した。いつもと変わらない、梅雨空が一気に離散した後の澄み切った青空が闘いの合図だ。生死の境にあるためかぼんやりとした陰影でしかない異形の者の身なりには生前のような尊さは微塵もないから、竜は空を浮きながら存分に暴れることができる。竜は、腹の底にある鬱積をぶちまけるように吼えた。竜の咆哮は人の里にもしっかりと届いていた。
里の住民によって生かされた彼は、不意に届いてきた竜の咆哮に思わず動揺して雲ひとつない青空を振り返った。この時、彼は六歳。竜の話題が出るたびに、彼が一緒に育った兄弟や里の人がわけありな表情をして話を逸らそうとしていたから、こども心ながら自分が竜と何か関連があるのではないかと感づいていた。
「なにぼうっとしとる。手、動かせ。」
人手の足りないこの里では六歳といっても貴重な労働力だから、義母がたしなめるのは無理もないことだった。この里の子でないと既に知っていた彼は、ここまで育ててくれた義母に逆らえなかった。鉄はまだ持たせてもらえないので、樫の木で作った粗末な鍬を器用に使って畝の土寄せに汗を流す。しかし彼は義母の目を盗んではたびたび竜の様子に目を配っていた。
何か気になる・・・
 

ペタしてね

その里においては竜の動向を知って早めの対処を取ることが責務だった。具体的には継続的な監視。集落全体で水田を中心とする農耕に従事する里にとって若い男を供出することは痛手であったが、交代で櫓に立って専門的に見張りをする必要性は住民の誰もが理解していた。
竜の巨体は、地上に降りて頭を正対させただけで数千年を超える杉の巨樹を見下ろすほどで、寸胴の胴体部からもっと先の尻尾部分を含めればどれだけの全長になるかも定かでない。見た目と違わぬ竜の超重量が地上にあるときは体躯とは相対的に短めの手足が支えるだけ。それが翼もないのに自在に華麗に空を舞い、夏場の日中は吃驚するような咆哮を上げて見えざる何かと戦闘を繰り広げるのだから、いつだって竜を見上げるしかない里の人間にとってはたまったものではない。生まれた時から竜がそばにいて見慣れていても距離が迫ればやはり脅威を感じるし、実際に何らかの被害があったときには心底、竜の存在が疎ましくなる。それでも竜がそこから動く気配はなく、既に構えた里の集落をむざむざ捨てる理由もないから、民はそこで竜を監視しながら暮らしてきた。聞けばかなり昔からある伝統的な里の有り様らしい。竜の通り道に近い里はどこも似たような事情を抱えていたこともあって、人々は竜の監視が必要なことを黙って受け入れていた。
竜を監視する櫓は里の外れに建てられていた。ぎりぎり集落へ合図を送ることができて、なるべく竜の通り道に近い位置。この里の場合は楢や栗や山桜が原生する森の頂上部を切り開き、元々あった栗の老樹を利用する形で簡単な高床を作って、粗末ながら監視の拠点としていた。基本的に詰めるのは里の若衆から二人で、一日交代。
その日も早朝から櫓の勤務は始まっていた。若衆自体さほど数がいないので組み合わせはほぼ決まっていて、若衆で年長になる男とその弟、といえば里でも安心できる組み合わせだと太鼓判を押されていた。
その日の朝は竜がどこか遠くにいて櫓からでも姿を確認できなかったので、まあ穏やかなものだ。里を追われた浪人や隣村からの密偵の姿を見つけることがあるから油断できない程度で、竜さえ近くに現われなければ武装する必要はまずないといっていい。が、昼過ぎになって森の泉へ竜が舞い降りた時から二人は顔つきを変えて竜のいる方向から眼を離そうとしなかった。
普段から監視をしている者が見れば、その日の竜がいつもと様子が違うのは簡単に分かった。櫓から直接泉を眺めることはできないのだが、巨体のためにどうしても頭部や首を隠すことはできず、その動きだけで機嫌を計ることができるのだ。監視に立った兄弟は二人とも、何かに警戒していると思った。そして読み通り、竜は日課である午睡をやめて飛び去ってしまった。二人はあまりに意外な行動に、思わず顔を見合わせた。日頃から意思の通い合った兄弟でもあるから、危険な行為ではあるが森の泉に行って確かめることに異論はなく、すぐさま行動に移った。
異常を知らせるためにまずは口笛で集落に合図。それから念のために石槍と木製の盾を持って、獣道へ分け入っていく。沢伝いに斜面を降りていきなり視界が開けたところにあるのが、件の泉だ。元々は森の奥にひっそり佇む平和な場所だったのだが、ある時竜が飛来して周囲の木々を薙ぎ倒してしまってから開けた地形になったと言われている。その際に立ち入り禁止になったから用事がなければ来ることはなく、兄弟にとっては何年かぶりの訪問となる。
人一倍鼻の利く弟は、泉に到着する直前から「くせえ」を連発していた。前の時も同じ反応だった。弟ほど鼻の良くない兄でさえ、松脂や薬草を混ぜて焦がしたような強烈な竜の匂いには顔をしかめた。さっきまでそこにいた痕跡だけでも存在感のあるのが、竜だ。少しくらい監視に立った経験が長くても命が持たないな、と兄は内心思っていた。
それにしても美しい泉ではないか。特に覗き込まなくても春の日差しを透過した水底まで鮮明で、耳を澄ませば豊富な水を送り出す湧水の調べ、掌で掬い上げて口へ運べば冷涼な感触が喉を通過して最高に旨く、緑がまだまばらな森の木々に適度に混じった山桜の今が見頃な満開の花との調和も良い。こうした素晴らしい環境だからこそ竜が好むのだろうし、人が立ち入りを禁止しなくても、竜が遮断することでどのみち竜の手に落ちてしまうことだろう。人間など竜の前では無力すぎて笑えてくる。
準備してきた武器や防具だってそうだ。里ではまだ農具にしか使用許可が下りていない鉄を使うのならともかく、自然に生えていた竹を切断して先端を尖らせた竹槍や長い木の棒の先端に殺傷能力のある石を縛り付けたくらいの武器で、どうやって体表をびっしりと覆った堅固な竜の鱗を引き裂くというのだろう。こんなものでは、相手が人間でもよほど上手くしない限りは致命傷を与えるのも困難だ。それでも何も持たないよりはまし。実際に竜と対峙して果敢に挑んでいくためではなく、気配だけでも十分に人を威圧できる竜のいない留守に少しでも近づく勇気を得るためにその弱い武器は必要なのだった。
出てきた時は勇んでいた兄弟ではあったが、いざ泉の縁に立ってみるととても竜の寝床を探索する気持ちにはなれず、自然と足は反対側に向かっていた。苔むした岩や分解の進んでいない腐葉土がほとんどの泉の縁は滑りやすくて歩きにくかった。風も強かった。薄まったり濃くなったりしながらも滞留するばかりの竜の匂いが忌々しかった。
泉に来てから「くせえ」ばかりを繰り返していた弟がそれ以外の言葉を発したのは、探索を始めてから数刻後のことだった。「人が倒れてる!ほら、あっちの崖のほう」
手がかりさえ掴めば竜に食われ損なったあの親子を発見するのは容易だった。風に煽られるたびに散りゆく山桜の真下に放置されていたせいで親子の身体には淡い色が紅色に見えるほど花びらが重なっている以外は、親子は誰にも触られていなかった。兄が調べてみるとまだ成人の儀式も迎えていないと思われる母親は死後硬直を迎えていてその死は明白だった。顔に見覚えがないから、どこかから流れてきたのだろう。対して彼女がそこで産み落としたであろう赤子については、もはや産声を上げる気力を失って憔悴しきりながら、なんとか命があった。何があったのかを知らない兄弟はひどく動揺した。が、せっかく助かったこの小さな命に一刻も早く母乳を与えなければ今度こそ息を吹き返さないだろう。今度も兄弟の決断は早かった。
泉の清冽な水で簡単に赤子の身体を拭いて母親のそばに落ちていた布にくるんでやる。まだ座っていない頭部はうまく支えないと首ごと折れてしまいそうだから自然と優しい手つきになる。思ったよりも重みがあって体温をちゃんと感じられることにいまさら感動する。慣れない手つきで心音を聞かせるように大事に胸に抱いた兄は、とにかくこの赤子を救い出したい一心だった。兄が思わず駆け出すと、弟も武器を拾ってその後にすぐ続いた。不思議なことに、兄弟は危険な場所にいながらその時ばかりは竜の脅威を忘れていた。
 
兄弟の機転と民の協力があって、一度は竜に食われかけた彼は何とか一命を取り留めた。だが出産から時間が経っていたので彼はなかなか回復せず、かなり長い間、死線を彷徨うこととなった。自分では何もできない小さな命だからその間、たくさんの人に迷惑をかけた。また彼は竜の懐から助けられて母親が里の者でもないから、本当は彼が穢れの存在ではないかと猜疑心を持つ民も少なくなかった。
結果的に、彼は生きた。息を吹き返したその時ばかりは神の奇跡として民は歓喜に沸いたものの、彼がそれだけですんなり里に受け入れられたわけではなかった。神の奇跡こそが竜の仕業だと強硬に主張する者がいて、里の長老に「穢れの子だから殺すべきだ」と直訴する事態が起きて里は騒然とした。この時代、どこの馬の骨だか分からない者を簡単に養えるほど余裕がないことも事実。だからこそ里の長老たちはひどく苦慮した。苦慮しながらも彼自身の生きる意志がなければ奇跡はなしえなかったという最長老の意見が通る形で、彼は生かされた。ただし彼が成人を迎えるまで、の厳しい条件だ。
この世に生れ落ちたとしても半数近くは大人になれないで死んでしまうような生存自体が困難な時代。最初から、竜との関与があるという理不尽な理由でいつ喉元に刃を突き立てられてもおかしくない彼が、条件付とはいえ里での共同生活を許されたのは最長老の温情であった。
ともかくも、彼は生かされた。様々な偶然が重なることで手に入れた生存の二文字は彼の人生にとって必ずしも幸運ではなく、むしろ幾多の波乱に翻弄されることになる。だがあの時、竜に食われてその血肉になるのが最善だったわけでもないだろう。生きることは苦悩と足踏みの連続だ。例え生まれた時に本人の意識しない複雑な事情を抱え込んだとしても、それを言い訳にしたり弱さに負ければどのみち生きて寿命を全うすることはできないだろう。彼の試練が始まる。


 

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竜とて、食らう。動物である以上は違う種の命と肉を食らって血肉としなければ満足に生存できない生物に共通の事情を持つ。竜は森の動物を襲うばかりでなく、不用意に近づいてきた人間を殺してその肉を食らうこともたびたびあった。
とはいえ一日に三度も四度も飯が必要な人間とは違って竜の身体は特殊だから、腹が減って動けないなんてことはまずなくて、一ヶ月に一度くらいきちんと栄養を取ればそれで足りる程度だった。元より何十万年という他の生物にはありえない寿命を持つ竜のことだから、食事と食事の間隔が長いのも無理からぬことだ。
竜には、そうした長寿命を支えるだけの身体の仕組みが備わっていた。血気盛んで時々その体躯以上の破壊力で暴れることもある竜の力の源は、極度に活性化されて煮え滾るように熱くなったどす黒い血の循環にある。その血の活性化を行う臓器が竜に独特のもので、例え竜の心臓を抉り出したとしてもこちらが残っていれば最初は心臓の代役となりながら本物の心臓を再生し、やがては本来の機能を取り戻して完全復活するのだと言われている。
その竜の血を活性化させる臓器とは、五臓六腑で言うところの「脾」ではないかと考えられる。心、肺、肝、腎、と並ぶ五臓の一つに数えられながら人間の脾臓では役割が軽すぎるため謎とされてきた、その「脾」なる臓器。実は竜の体内にあって竜を活性化させる臓器と考えれば辻褄も合うし、中国思想の五臓が完璧に備わった竜が長生きできる理由も納得がいく。
だが竜は、自分の身体についての詳しい知見は持ち合わせていなかった。竜が分かるのは、口から食らった消化されない植物の繊維や金属質を固めることでできた竜の鱗が体表を覆って守る体内には大切なものがしまわれていて、その大切なものを奪われてしまえばいくら長寿の竜といっても肉体が崩壊するかもしれない、ということだ。
自らの肉体が崩壊してしまってはいくら不死でも何も意味がないから、それは竜にとって事実上の死といって差し支えないだろう。竜はその肉体の崩壊を、自分の子孫を残せないことと同等に恐れていた。
確実に自分が生き残っていくためには、食べることが不可欠だった。ほとんどは縄張りを離れた森の動物や何らかの理由で命を落とした生物の遺骸を食らって満足したが、どうしても腹を満たせない時は上空から狙いをつけた人間の集落を急襲して出合わせた人を掻っ攫い、自分の寝床へ運び込んで頭からかぶりつくこともあった。何万年というこれまでの歴史の中で食らった人間の数などいちいち覚えているわけがない。数え切れないほど夥しい数だ。しかし他種の命よりは少ないだろう。固い繊維を編みこんだ服は消化不良を起こしやすいし、「呪」の一環で身体の各所へ施した顔料は肉の味を悪くするし、小賢しい知恵があって奴らは火を用いるから狩りに手間取ると思わぬ痛手を被ることがある。要するにわざわざ人を襲う理由がないから最近は人との接触を避けていた。
それだけに、人間の方からやってきて自ら肉を差し出すなんて思いも寄らない幸運だった。目の前のご馳走を前にして食指が動かないはずがなかった。が、すぐに食いつくことはためらった。新鮮な肉を好む獣は竜だけではないし、落し物の肉となればどのような罠が待ち受けているかも分からない。
竜は慎重に泉の様子を伺った。泉といっても竜にとっては口をつけて水を飲める程度の水溜りにすぎないが、その日のような柔らかな日差しが降り注ぐ日和には澄み切った泉の水がますます透明度を増して水底の湧水や川魚の水中での躍動まで全てを見通すことができる。感覚を研ぎ澄ましてもっと広い範囲に注意を向けてみても、気性の荒い春の風が時折葉のない広葉樹の木立を激しく揺さぶっては収まりを繰り返すだけ。まだ身体の熱を完全には奪われていない人の雌とその赤子以外に気配を感じない。泉に面した崖の上からせり出した一本の山桜が、淡い優しげな花を満開にしてこんもりと盛り上がり、その儚くも美しい姿を泉の水面に映し出す。静かだ。人の雌とその赤子が崖下の大きな岩の陰で倒れたその場所には、生々しくて濃厚な血の匂いが異常なほど充満しているというのに。
竜は、泉の反対側から身を乗り出して、恐る恐る人の雌に鼻先を肉薄させた。個々の認識など持ちようのない竜のことだからその雌が美人であることは何も関係ない。まずは鮮度を確かめたかった。それに腕の中に大事に抱えられた赤子の状態も知らなければ。竜が自らの顎の尖った部分を器用に使って雌の身体を仰向けにしてみると、それまで薄汚い布にくるまれて見えなかった赤子の身体が雌の腕からずり落ちて初めて陽の光を浴びたその子は、まだ臍の緒をつけたままで身体を洗われてもいない様子だった。その子は生殖器があるから、雄だ。彼を産み落とした雌は出産だけで力を使い果たして既に事切れていたが、驚いたことに弱弱しい存在でありながら彼は生きて呼吸をしていた。
竜はそれを知って、ますます興奮した。一つの命が次の命に魂を吹き込む瞬間はそうそう立ち会えるものではないし、全力で生きるために母体から底知れぬ英気を受け継いだ新生児というのは、死んでも旨い。生きているなら、なおさらだ。
最高のご馳走を目の前にして口腔から涎の分泌が止まらなくなった竜に慈悲の呼びかけなど届くはずもなく、生きるために人を食らってきた竜は躊躇することなく大口を開けて、雌もろとも彼を食らおうとした。おそらく竜の殺気と彼の持つ生存本能が咄嗟にそうさせたのだろう。彼は初めて泣いた。この世に生を受けたことを高らかに宣言するとともに何者も我を奪うな、という必死の主張。その日の荒ぶる風にも決して散らない彼の喧しいほどの泣き声を間近で聞いて、竜は思わず怯んだ。
崖の上から舞い降りた一片の桜の花びらがその怯みに割り込んできて血のぬめりが拭えない赤子の肌に張り付いたことから、竜は一気に食う気を失って身体を寝床に引っ込めた。興醒めだ。元より抵抗する赤子を無残に殺す趣味はないし、暇を持て余すこの時間を午睡で過ごしたいだけなんだから、泣き止まない赤子に構っても仕方あるまい。
竜は面倒がる眷属に荒々しく命じて浮遊の力をその身に借り受けると風のない上空まで一気に上昇して、いずこかへ飛び去った。竜には分かっていた。守る者を失った人間の赤子は他者が爪を振り下ろさなくともすぐに死ぬ。一思いに丸呑みにするのもいいがどうせ死ぬんだから弱い生き物の糧となって大地に還るのだ。
竜にとってその出来事は、食える肉を食い損ねた、それだけのことにすぎなかった。
食える肉を食い損ねた・・・

 

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里は桜の季節を迎えていた。といっても、ある原木の複写として全国に広がった染井吉野と呼ばれる品種はこの頃まだなくて、桜として人々に愛されていたのは山桜のような元々自生していた原種ばかり。しかも品種によって咲く時期がまちまちで、花の有り様も花びらが五枚までの一重から十枚以上の八重まで多岐に亘っており、今日のように花見のために宴を開く習慣もないから、桜の花でさえそこでは季節に彩を添える一つの自然現象に過ぎなかった。
人々にとって有益なことがあるとすれば、毎年ほぼ同じ時期に咲く桜の開花によって農作業の進捗を測れることぐらいか。やや冷涼な気候のこの里では桜の開花は少しばかり遅く、桜色というよりも赤黒い炎のような力強い花を咲かせる一本の山桜がおおよその目安にされていた。その山桜が満開を迎えて散るまでに種を撒いて準備を済まさねば、間に合わない。人々はそれを体感的に知っていたからこの時期は農耕に余念がなく、どうしても必要な付き合いがない限りは、生活の場を離れて心を癒すなどということもなかった。
そんな人間たちの余裕がない暮らしに対して、竜のそれはのんびりとしていた。竜にとってこの時期は長い冬眠から目覚めて英気を養い、次の夏から始まる壮絶な戦いに向けて十分な準備を整える期間。竜は桜が好きだった。桃の花も好きだった。梅の花も。要するに春の時季に咲き誇る美しい花なら何でもよく、特に何をするでもなく過ごす昼日中は里の近くの泉で午睡をするのが密かな竜の日課だった。まだ棘の少ない春の日差しを浴びながら美しい花々に囲まれてうとうとする時間は竜にとっての至福だった。
竜はその日も、配下の眷属に命じて清らかな泉のそばにできた自分の寝床へとふわりと舞い降りた。それは竜が気に入って巨体を横たえただけの陽がよく当たる窪地のような場所なのだが、一度自分の匂いをつければどんな森の動物も竜に近づかないことを、竜はよく知っていた。その代わりに竜も、他種の動物が築いた縄張りをむやみに侵すことはなかった。竜にとっても獣たちが縄張りを主張するためにした糞尿の匂いは警戒が色濃くてどうにも落ち着かないのだ。
その点、比較的水量の多い泉のそばなどは肉食動物にとっても草食動物にとっても動線の交わる地点であるから特定の獣に独占されていることはまずなく、こんこんと湧き上がる水の匂いによって不快さが薄まっているから竜は好んでそうした場所に自らの居場所を作っていた。自らの超重量が少しばかり周囲の木立や萱を薙ぎ倒し、場合によっては泉の形が変形することなどは気にしない。些事を気にしては竜の好きには生きられない。
その日は風が強くてまだ緑のまばらな周りの木々がやけにざわついていた。泉の寝床に着いてから微かに鼻をくすぐっていた気になる匂いがあるのだが、折からの強風に散らされてうまく匂いの元を特定できない。竜は長い首をもたげて泉の上空から何度も執拗にその探索を試みた。竜は決して視力が良いわけではないので、敵意を剥き出しにして向かってくる相手以外の探索には嗅覚と聴覚が頼りなのだ。竜を特徴づける頭頂部の立派な角の脇に生えた二つの耳に集中を傾けても何も分からない。
これは午睡を諦めようかと考えたその時、風がやんだ。周囲の空気を撹乱する風の力さえなくなれば匂いの出所を探り当てるのは造作もないことだった。半歩ほど身を乗り出して改めて探索すると泉の反対側にそれはあった。・・・人の死体だ。
竜の通り道であるその辺りで人の姿を見かけるのはいつぐらい振りだろう。お互いに緊張しない程度の距離から人の営みを眺めることはよくあるが竜にはよく分からない生態の生き物だとつくづく思う。
竜の目にも死体は人間の雌だとすぐに分かった。麻のような丈夫な植物で拵えた服がはだけて乳房の膨らみを露にしたまま横倒しで事切れていたから。その人の雌は何かを腕の中に抱いて両足も曲げて誰かからそれを庇うかのような様子で、まだ年端もいかぬ未成熟な雌ではあっても内腿の辺りに濃厚な血の匂いが滞留しているから疑うようもない。人の雌は自らの産み落とした赤子を抱いたままこの場で息絶えたのだ。
竜は興奮で鼻息を荒くした。硬直も始まっていない人の死体は狩りたての感覚を味わえるまたとないご馳走だ。しかも生まれたての赤子となれば、なおさら。これは何という幸運だろう・・・!
 

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時は遥か古代。場所は倭と曖昧に呼ばれていた島国の内陸部。
我こそは覇王に、と意気込む者が各地に群雄割拠して小さな領地争いはありながらも、全国をまとめあげる大勢力は未だ現われず。人々の暮らしは長老が治める各集落ごとの掟に従うくらいの制約しかなく、住民の大半は米や粟などの雑穀を生産して食いつなぎながら、粗末でも穏やかな日々を送っていた。
その頃の人々が心の拠り所としていたのは、風土に根ざした地形や自然環境に神威を感じ、それを畏れあやかる自然発生的な宗教心を暮らしの規範にした見えざる「呪」というもの。比較的大きな集落をまとめる長老格の中にはこの「呪」を自在に操って自らが現人神となる者があり、自分に対する異常な信仰心による呪縛で人々を統治する邪馬台なる国も出現するのだが、それは数世代後の話。
世の中の潮流から取り残されたかのように平穏な風景が広がるその里では、専ら陽が昇る方向に鎮座する霊峰の峰峰が人々にとっての畏怖であり、夏でも融けない冠雪を頂く大いなる御姿を事あるごとに崇めることで暮らしが成り立っていた。その頃はまだ神社のような特別な施設はなく、無形の祭祀を行う場所や対象が自然の装いでそこにあるだけだった。どうしても理解できない現象や誰にも共通して畏れを感じる場所があれば、それだけで信仰心が芽生える時代。
里を取り巻く自然は豊かだった。見晴らしのいい台地を切り開いて民の住処とした他は、隣の集落へと続いてやがては山を下る獣道のような生活道路が数本あるくらいで、ほとんどが手付かずだった。楽に得られる水だけはなかったが、そこは年中雨に恵まれたこの国のこと。台地の一方を縁取る小高い山の裾には湧水する場所が幾つもあるし、もっと奥の集落から流れ下る比較的緩やかな渓流までいけば誰に気兼ねすることなくたっぷりと水を利用できる。普段はおとなしく見えても過去には実際に何度も氾濫して人家を押し流してきたその脅威と比べれば、水汲みのために少し歩くくらいは苦にならない。
全ては遠くに鎮座する霊峰のおかげだと、人々は信じていた。栄養状態が良くなくてもそれが一般的だから疑いもしないし、誰もが徒歩だから強靭な足腰を持ってさえいれば特に不便だと感じることもなかった。
里において特殊なことといえば、そこが竜の通り道となっていたことだけ。配下の眷属に命じてその巨体に浮力を与える能力を持っているから一年の半分は大地に降りることなく移動できるが、壮絶な闘いを繰り広げるうちに浮力を失って這い蹲るしかできなくなるから、竜が通ると分かる場所へは人はみだりに立ち入ったりしなかった。
いったいいつからあるのかも定かでない、それが里の掟。民と竜との暗黙の了解。
里にとっては人間など相手にしないほど巨大な生物に抵抗して貴重な人命を失うのは得策ではなかったから、長老がこどもたちを教育して里の掟を厳しく伝え守っていた。しかし不思議にも里での竜は忌み嫌う存在ではあっても、崇めへつらい感謝する対象ではなかった。有形の存在として常に人間の監視が行き届いていたから、見えない危害を心配する必要がなかったのだ。そのために民と竜は共生のような関係にあった。自然発生的に起きたことだから、人々はそうであることに何も疑いを持っていなかった。
もちろん、その無敵に見える巨大な竜が煉獄に囚われて果てしない戦闘に明け暮れていることを民は知らなかった。人にとっては当たり前のようにできる子孫を竜は持ちえず、天涯孤独であることを民は知らなかった。いつやむともない苦しみや痛みで身体が引きちぎられそうになりながらも懸命に生へこだわり続ける一つの命であることも、民は認識し得なかった。
そして竜もまた、異なる種である人間に余計な感情を求めなかった。竜にとっては人間など関心を持つべき存在ではなく、したがって自らの邪魔にならない限りはむやみに爪を振り下ろすこともない。
そうやって人間と竜はうまくやってきた。誰かが決めたのではなく、ごく自然に。

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生きながら苦しみもがくあらゆる命に告ぐ。神はいない。細胞の一欠片と同等の個体にすぎない命が属する種の理を超えて救済を求めることは最初から禁忌であり、各々に課せられた命の使命に従ってしか誰も存在し得ない。
そうだ、神はいない。宙の切れ目にしか見えない瞼を固く閉じて創生からの年月を眠って過ごした一つ目の創造神を名乗る彼の者もまた、厳密には誰かによって使命を与えられた存在にすぎず、この地球上のどこからその名を呼べど叫べど本物の神は現われない。それが神だと思い込むことでしか、脳内の銀幕に都合のいい幻影を映し出すことでしか、神の存在を信じることはできない。
それが生きとし生けるものに与えられた暗黙の制約である。宇宙が作り出された最初からそうだった。おそらく宇宙が壊れるその日まで神は現われないだろう。
この世の片隅に産み落とされた竜と呼ばれる生物もまた、巨大で膂力に満ちた体躯から多くの人々に畏れられながらも神ではない。地球上のあらゆる命が円環で繋がった食物連鎖に結ばれることなく特殊な位置づけにあるために人々の想像力を超えてしまっただけ。本当は間違った欲望のために永遠の煉獄を生かされて孤独に苦しむ、ひとひらの命にすぎない。我々人間と変わらない生の苦しみや痛みを感じつつ生かされる、生き物の同胞にすぎない。
だから竜は死を恐れる。他の生物と比較にならないほどの巨体で生まれその巨体を維持するのに多くの食料を必要としない特殊な構造を持ちながらも、生物である以上いつかは訪れる肉体及び精神の崩壊に対しては無力であることを本能的に知っていた。世界中のどこを探しても他の竜とは出会えず天涯孤独な己の死が何をもたらすかも理解していた。
自分が死ねば竜は絶える。竜の生きてきた証さえ残らない。その予見できる限り最悪の未来を回避するためには子孫を作らねばならない。そうだ子孫だ。自らとそっくりの形にできた自分と同じようで違う存在、どの生物にも等しく与えられているはずのその恩恵を、竜は異常なくらいに欲した。しかもその子孫の活動ぶりを永劫に渡って見守っていければ最高だ。
子孫と永遠と。本来なら両立しえない欲望を抱え込んでそれを行動に移してしまったことから、竜は結果的に創造神を名乗る者からその両方を手に入れられると約束された。しかし強欲な竜が実際に与えられたのは、死ぬことを許されず永久にまだ見ぬ子孫を守るために戦い続ける生き地獄だった。戦闘と平穏の時期は何度も繰り返され、そのたびに竜は、守りきれずに中身を失った殻だけの卵を抱いて眠りに就くのだった。自らの未熟さを噛み締めながら。
竜に課せられたその永遠の煉獄は、もちろん理を踏み越えようとしたことへの懲罰である。だが歯を食いしばって、時に優雅に、時に雄雄しく人々の前で戦い続ける竜の姿はいつしか畏怖の対象となり、長い年月をかけてそれは信仰へと昇華した。皮肉なことに一片の命としての苦悩が竜を神へと押し上げたのだ。ただし、竜はその事実を知らなかった。例え知っていたとしても目の前の戦闘と満身創痍の身体を労わることに余念のない竜にはそんなのは些事にすぎないだろう。あまりにも長い年月を生きすぎた竜には地上での人間の暮らしの移ろいなどいちいち関心を寄せるほどのことでもなかった。
竜は、ただ生きる。自らと、まだ見ぬ子孫のために。這いつくばって罰を受け入れる。多種多様の命が息づく大地の上で。
これから始まる物語は、そんな竜に訪れたある出会いと別れの記憶である。竜にとっては鼻歌を歌うほどの刹那でありながら、本当は海よりも深くて尊い・・・そんな命の旋律を奏でよう。

 

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昨日は、青年部の総会があったので、久しぶりにスーツを着て参加してきました。
総会は農協の2階会議室。懇親会は、同じ丹生川のシャレー中西。その後はそれぞれに散会して帰る者もあれば町へ繰り出す者もあり。
特に波乱などはなく、穏やかに全てが済んでいきました。35名の部員数を抱えながらもまとまった印象があり、さすがだと思います。
 
さて。今回の総会は、僕にとって現実を再認識する場にもなりました。
以前から悩みではあったのですが、うちがトマト出荷に参加することを強く促されたのです。かなり強く、です。
販売単価や安定性で考えればトマトを作ることに優位性があるのは明らかで、それが丹生川を一大産地に押し上げている理由なのだと思います。だからこそトマトにシフトする意味が大きいのでしょうが、うちの場合はあまりにも事情が特殊すぎて、今から参入してもやっていける自信はありません。
今からトマトをやるためには、一から農業を始めるのと変わらないほどの経費がかかるからです。いくら助成があってもハウスを増やす経費からしてきついですし、それをもし借金で賄うとなれば失敗できないので、これは大博打になってしまいます。もし僕が健康ならそういう博打も仕方ないかもしれませんが、糖尿病があって思うように力を発揮できない今の状況ではとても無理です。
僕は今、病気の治療として1日に4回、インスリン注射を打つ必要があります。こうした薬物療法をしている糖尿病患者というのは、すぐにエネルギーが切れて2時間持たないし、低血糖というまずい状態にならないよう、常に体調に気を配らねばなりません。
実際、この身体では日中ハウス内で細かい作業をするのがとてもしんどいです。やはり無理ができない身体なのだと痛感します。
いつからこうなったのかは分かりませんが、僕が健康を損ねた時点で周りについていけなくなっていたようです。泣き言を言っても始まらない、これが僕の現実なんですね。
あまりにも酷すぎる現実・・・
 
確かに実務としての農業は、僕には限界があってトマトやホウレンソウはかなりきついと思います。ただ、大きい船に乗り込むばかりが正解ではないですし、うまくいかないから農を捨ててしれっと他の仕事に就くというのも現実的ではなく、今のところは直売所中心の規定路線で頑張るのがベターではないでしょうか。
百姓の子は百姓。土地に縛られて生かされながらすべきことは、やはり農に寄り添いながら苦悩して苦労して明日の今を模索すること。
今年から2年間は出荷組合の支部長という役職もあるので、僕は他人のサポートをすることで地域農業に貢献することを考えています。どんなに悩んでも答えなんか出ないんだから、目の前のものに真剣になるのも、一つの生きる道だと思います。

 

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