✨良寛✨

あまり歴史は詳しくないのだが、歴史的考察や時代背景、人物等を知るのが好きだ。
話を聞いて理解出来ても、きちんと史実を伝える事は苦手なので、歴史の話を大風呂敷を広げて話す事はあまりない。しかし、何故か今回はそう言った類の話。

歴史の史実等のソースや詳細な解説を求められると何となくしか答えられないので、理論的に解説できない。いや、全く詳細を語れない。まるで覚える気がないから。お勉強は嫌い。
結局、感覚的に捉えているだけなのだ。
なので、何となーくの知識で語っているとご了承頂けると有難い。
それでも歴史上の人物など、その時々に影響を与えた英雄、聖人と言われる人物や事柄は興味深い。
昔から深く共感する歴史上の人物が何人かいる。

私の故郷新潟は、良寛、上杉 謙信と縁が深い。
上越市や佐渡に島流しにあった親鸞聖人、世阿弥や日蓮聖人も縁があると言える。
どちらかと言うと世間的には謙信公や親鸞聖人の方がインパクトがある様に思う。謙信公は戦国武将の中でも取り分け好きな武将だ。

今回は、私が共感する良寛について思うこと。
良寛は誰もが知っている清貧の歌人、和尚ではないだろうか。
新潟では幼い頃から昔話として語り継ぎ、地元でも愛されている。

良寛の在り方やその生涯が、私はとても好きで共感出来る。
目立つ様な大きな業績は残していないが、常に自分の真実を生き、大衆に説法を説くわけでもなく、己の生き方や関わりの中で人々に教義を説いている。

砕けた言い方をするなら、
上も下もないのだ。
皆平等。
誰かに神輿を担がせる訳でもなく、
高座に自身を置く訳でもない。

修行を終えた後、僧侶でありながら生涯寺を持たず、和歌を詠み、子供達と日が暮れるまで鞠を付いて遊ぶ。
ありふれた日常の中で自分の宇宙を持ち、それを人々と共有して生きる。なんて謙虚で美しい在り方なのだろう。

足るを知る。と言うことは時に難しい。自分にとっての必要なものを本当に分かっていなければ出来ないことだからだ。
それはミニマリストの様に物質的なものを極限まで手放すということに近いのかもしれない。
私は無駄は美しいと思っているので、そこまでの断捨離をするつもりはない。
物でも空間でも、ある意味『遊び』のような無駄はあって然るべきだと思っている。
それは精神的にも同じくいえる。
なんでもかんでも、かんじがらめよりもある程度のゆとり、遊びがある方が融通がきくからだ。

良寛はその様な自分らしさを保ちながらも、大袈裟に説教をするわけでもなく、真理を説いていたのだと思う。

私も風来坊の様に気の向くまま生きていたい。
とどまらず、柔軟に、その時々で姿形を変え、一貫した真を持ちながら。
んー、これって菩薩や神だなぁ。
かくありたいね。

愛を込めて。