✨自分教✨

これからの時代はオリジナリティの時代だと思う。
これまでは皆んな同じ、皆んな平等、皆んな公平、と声高らかに謳ってきた時代だが、これからは違う。
平等、公平はより強調され、本当の意味でのそれらを手にする事ができる。ただし、自分が望めば、だ。

その中において、自分らしさやオリジナリティというエッセンスは欠かせない。誰かと同じである事や、皆んなと同じやり方をする必要はなく、自分だけが持ち得る感覚で物事を捉え、行動していくことが容易く生きるヒントになってくるからだ。

それは例えば宗教に似ている。
自分という神に従い、忠誠を誓い、信仰していく。
その姿をみて、共感してくれたり、携わったりする人も現れるだろう。
ただ一つ違うのは、皆んながそれぞれに自分教の神であるということだ。その関係性に、従う者、従わせる者という縦割りはない。
コラボはあっても、侍従関係はないのだ。
自分を信じ、尊び、愛することが自分教の最大の教義であり、真理だからだ。

だからもし、何かをしようとした時に、その答えを自分教以外の教えに照らし合わせても、おそらく、しばしの気休めにはなっても、私の真理に辿り着くことは難しい。
簡潔に言うなら、私が決めていいのだ。もとい、私が決めなくてはいけないのだ。
それには責任も信頼も伴うが、本当の自由がそこに在るからだ。

これからは、多くの自分教があちらこちらに出来てくるだろう。
まずはそこに入門しても良い。
自分なりの真理に辿り着いたなら、門下生を卒業し、自身の教えを立ち上げればよいのだ。
試行錯誤して、様々な取り組みをしていくことは必要だ。通過しなければ見えてこない景色もある様に、一見遠回りしていることが一番の近道であったのだと、後に気付くことがあるからだ。

全てがとんとん拍子では、本質を見定めることが出来ない。
壁にぶつかり、四方八方を塞がれたからこそ、本当に求めている事が浮き彫りになっただけのこと。
前進も後進も出来ないなら、壁をよじ登るのだってありなのだ。

周りを囲われた様に思った時は、
真っ直ぐに上を見上げてみよう。
そこには何の囲いもない、真っ青な空が果てしなく続いているのだから。
いつだって私の味方は私自身だ。
誇り高き自分教の唯一神は、いつも私と共にいて、他ならない私自身なのだから。

愛を込めて。