✨才能✨

いかんせん人は、本来の『目的』を忘れ『方法』にこだわる時がある。
かく言う私もそうだ。
スピリチュアルの世界を覗き込み、その深遠に触れようとする時『それ』しか目に入らなくなり、他のものが霞んでしまうのだ。

ヒーリング、クリアリング、アクティベーション、ブロック解除、過去生の書き換え、アチューメント、カードリーディング、様々な技法がある。
『それ』を扱えて、伝授、マスター、プラクテショナー、也になりたいとスピリチュアルの世界を知ると思うのではないだろうか。

そこにはある種の特別感があり、神秘性と自己を肯定出来るだけのパワーがあるからだ。
その中においても、もちろん素晴らしい技量と性質を持っているメンターと言う方々もいるだろう。

私も色々な方の話を聞いたり、セッションを受け、その時々に気づきがあり、手放したり、受け入れたりしながら自分を内観した。
そして、そのどれもが素晴らしいと思うのだが、私はその様に出来るかと言うと出来ない。
もちろん、やれば出来るのだが、私が言いたいのは
『それ』が私のやりたい事なのか、と言うことなのだ。
『それ』を目指して、模索して内観してきたが、どうもうまくいかない。
なぜなら、
『方法』
にこだわっているからだ。
本来の
『目的』
であるはずの

自分を生き、その在り方や関わり方を通して私を輝かせること
それが既に癒しやエネルギーを伝えていくことになるのだと言う事

を目指しているはずが、
やり方や役柄にこだわると、
ある一定の既存の方法に合わせてしまう。
それでしっくりくるのなら、何も問題はない。

それが自分に合っているのだ。

しかし私は、かかとのずれた靴下を履いている様な、度の合っていない眼鏡をかけている様な、何ともしっくりこない感じがついて回った。
私に対してそもそもの需要がないのは、恐らくその様な迷いとズレから来ているのだろう。

簡潔に言うなら、
私が私を生きていない。

と言える。

花が咲けば 蝶が寄る
才能が開花すれば自ずとそれを必要とする事が起きる。
ならば、
私はまだ眠っている才能、または気づいていない適正があるのではないだろうか。
そう思うと少し気持ちが高揚する様な、待ち遠しい明日を迎える様な楽しみがある。

私はただ私を生きたい。
安心の中で自由に
こだわりや制約を超えた先で
誰とも違うオリジナルな方法で
目的を達成したいのだ。

ピタッとくる方法で
私に合った靴を履き
視界を見渡す事の出来る眼で
到達すべき目的地へ向かい
今日も歩いていく。
その道のりは全て完璧だ。

愛を込めて。