こんにちは

あなたの人生を笑顔にするカウンセラー

ライトワーカーNORIです


今回は 虐待やDVを『受けた』と認める勇気 の続編です

まだ読んでない方は先にこちら↑を読んでみてね

上の記事では
『虐待やDVを受けたと認める勇気』を出すことを
オススメした訳ですが。
今日は
『“なぜ”、認めることが大切か?』
のお話

そもそも
『認める』という行為が
どういう意味を持つか
考えたことあるかな?

実は
虐待やDVに限らず
病気でも
失敗でも
数字的な結果でも
不合格でも
あるいは
『好き』『嫌い』という感情や
コンプレックスなどなど
何でも
『認める』ことが
その先へ進むための
スタートラインになるの

現実・現状から
目を背けていては
決して
前には進めない

だって
『認めない』ってことは
言い換えると



さっき挙げた例でいうと
“私、あの人のことが好きかも


と『認める』ところから
恋がスタートする訳ですよ

ところが
“私があの人を好きな訳ない❎”
と、認めるのを拒否したら
例え、本当は好きでも
その恋はないことになっちゃって
恋のスタートラインには立てないよね

だから
認めることが始まりなの

ただし

『認める』というのは
あくまでも
“ふむふむ、そうなのね

『現状把握をする』
『事実を受け止める』
というだけで
『受け入れる(=それを『よし』とする)』
ってこととは
全くの別物

受け止める、と
受け入れる、って
似てるけど違うんだよね

『受け入れる』は
その事実や行為が
自分に影響するのを許すこと
だけど
『受け止める』は
その事実や行為を
認識するだけで
自分に影響するのを
許可するかしないかは
別の問題として
答えを選択して良いの

そう思うと
認めるのも
少しハードルが下がらない


でね

私の場合で言うと
『あれは虐待だった』と
認めたことで
“事実を客観的に見る”ってことの
スタートラインに立てたんだよね

その結果
“ちゃんと愛されてた(愛されてる)”って
思い込みじゃなく
確信できたよ

そして
そう確信できたら
虐待はしてはいけないことだけど
今もされてる訳じゃないし
もう完結でいいかな

手放せた

あとは
自分が同じようなことをしてしまわないように
反面教師にするだけ

そして
時間が経ってたり
今までに何度か気持ちをぶつけて
すでにほとんど昇華済みだったせいか
母への気持ちは何も変わらなかった

でも、もしも
認めた結果
“愛されてなかった”と
気付いたとしたら
その時はまた
その事実を受け止めて
「で、どう捉える?」
「それとどう向き合う?」
「今後にどう反映させてく?」
「これでスッキリして完結させる?」
って
次の答えを選べば良いだけだしね

もちろん
その過程の中で
泣いたり
笑ったり
悩んだり
怒ったり
ばんばん感情を出しちゃってOK

大切なのは



さぁ
あなたは
何のスタートラインに立つ?

今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました


HAPPY

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