こんにちは
今日もご覧いただきありがとうございます
今日はちょっと、私のことをお話してみようと思います。
今、悩んだり、苦しんでいらっしゃる方が、読んで少しでも勇気や希望を抱いていただけたら…と思い、敢えて私のネガティヴな経験を書いてみることにしました。
きっと、こうしてお話しするために経験してきたのだと思うのです
内容的に決して美談ではありませんが、こんな過去のお陰で今の私になれたので、今、希望が見いだせない方には読んでいただけると嬉しいです。
ただ、めちゃくちゃ長文になってしまいましたので、お暇な時にでも(笑)。
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私は36歳のシングルマザーです。
今では、どんな状況(世間一般的に苦境・失敗と言われるような)においても
“ありがたい”
“幸せだ”
“素晴らしい経験の中にいる”
と思えるようになりましたが、もちろん生まれつきそんな風に思えた訳ではありません
ちなみにこんな顔です
私は出生直後(生後2~3日)ですでに口中に口内炎が出来てミルクを飲めず(通常赤ちゃんは母体の免疫を受け継いで生まれるので、出生間もなく病気になるのはあり得ないことです)、その後も、ほんの少しのミルクを飲んでは吐き、どんどんやせ衰え、1~2歳までの間に2度も病で生死の境をさまよったりと、ずいぶん親に心配をかけました。
幼稚園の時には一カ月休まずに通えたら、先生が大興奮するほどでした(笑)
また、小学生の低学年では自律神経失調症になって微熱が数カ月も続いたりと、小学校低学年まではとにかく体のことで苦しい思いをしていました。
ところが、私のあまりの病弱さにノイローゼ気味だった母は、私が体調を崩すと必ず私を叱ったので、私は熱があるのを母に知られないために、渡された体温計を平熱になるよう調節したりしてごまかし、母を安心させることに必死でした。
最近になって分かったのですが、実は、母の胎内に宿った時、当時父と上手くいかずに離婚を視野に入れていた母が
“あぁ、妊娠してしまった・・・
これで離婚は無理だ”
と、落胆したのが胎内の私に“母の第一声”として聞こえたため、私は自分を『望まれない子』として責め続け、ストレスで憔悴していたのでした
それでも何とか成長して体力もついて来た小学4年生のとき、親の仕事の都合で転校した私は、熾烈ないじめにあいます。
朝、普通通りに登校すると、昨日まで仲良く遊んでいたクラスメイトが誰一人挨拶すらしてくれないばかりか、授業中にとがった鉛筆で背中から刺されたり、物がなくなったり、「タイマン」といって放課後呼び出されて喧嘩することになったり・・・
そしてそれを病気と同じように親に話せなかった私は、ストレスを悪いこと(←時効なので突っ込まないでくださいね☆笑)をして発散して、補導されたり。
もちろん(?)やられたことを、やり返すこともしました
すさんだ小学生です(笑)
それから、ちょっと不良な中学時代を経て、そこから大学を出るまでは、割と人並みの山と谷で過ごせたように思います。
そして、23歳で電撃結婚。
いざ結婚してみると、旦那様は、お酒でちょっと壊れがちな人で、多重人格になったり、オネショをしたり、キレてみたり・・・
(キレるのは素面でもありましたが)
旦那様のご両親もそれなりに個性的な方で、
お父様は愛しい息子(旦那様)を家に引きとめるために包丁で自分の手を切りつけてみせたり、私の相談話がナゼか「困った嫁を貰った可哀想な旦那様」の話になって旦那様に筒抜けたり、
お母様は「可愛いNORIチャン。お嫁さんに来てくれてありがとう」と私に言った直後には、旦那様に「あの子(私)は、全く何を考えてるのか理解できない!」などと愚痴をこぼしたりしていたようです。(旦那さまから怒鳴り口調でお叱りを受けて発覚☆)
他にもたくさん勉強させていただきながら(当時は感謝などまったく出来なかったので、友人との会話の内容は愚痴と、“楽しかった過去”ばかりでした)、4年が過ぎた頃、娘を授かりました。
お父様は私たちの娘(孫ですね)を見て、自分の息子(旦那様)の名前で呼びかけたり、旦那様は仁王立ちで娘を睨みつけたりしていましたし、私もいつキレるか分からない旦那様が怖くて、旦那様に背中を向けると動悸がして脂汗がにじむような状態だったので、そんな環境から娘を守りたい一心で、離婚を真剣に考えました。
でも、私の母は私生児だったため、“片親”ということに尋常ではないコンプレックスを抱えた人でしたし、何より娘にとってどうするのが一番良いのかの答えが見えず、恐怖と責任感の間で一人でどんどん思いつめていきました。
その当時、旦那様は単身赴任で、私はアパートに娘と二人きりで過ごしていて、何日も「会話」をしない日が続くこともあったり、離れているのをいいことに(?)旦那様が私に嘘ばかり話していたために何が現実か分からなくなっていたりしたので、それが余計に煮詰まった原因かもしれません。
(もちろん、親には自分のそんな状態を全く話していませんでしたし)
お友達と会っている時と、娘をあやしている時だけ感情を取り戻しましたが、他はロボットのように無表情・無感情で、毎晩
『夫が事故か何かでポックリ死んでくれますように』
『あしたの朝は目が覚めませんように』
とお祈りして眠り、朝、目が覚めると生きていることにガッカリしました。
食事どころか、立って歩くこともままならなくて、でも「娘にミルクを」という想いだけで床を這ってキッチンに辿りつき、食パンをほとんど噛まずにやっと丸飲みして過ごしたこともあります。
結局、旦那様の行為で限界がやってきて、私は娘を連れて一時的に実家に戻りました。
けれど、経過を一切話していなかったために、私の両親も理解や受け入れることが出来ず、私は
「お前の努力と辛抱が足りないんだ!」
「そんなのどこの家でもあるような夫婦喧嘩だろう!」
「子供のためにも早く帰れ!」
と、責められ、実家でも心は全く休まらず、私はそんな中で娘のために命を長らえようと、どんどん感情を殺していきました。
当時の記憶はいまだに一部欠落したままです。
そんなある日、ヒステリーを起こした母は
「こんなロボットみたいに気持ちの悪い母親なら要らない!
子供は私たちが育てるから、どこでも好きなところへ出ていけ!
お前なんていなくていい!」
というような言葉(これも記憶があいまいなのですが☆)を私に投げつけました。
それを聞いた私は、精神科からいただいていた薬をあるだけ全部一気に飲みました。
(他にも手当たり次第に家にある薬を飲んだような気がします)
実際には今どきの薬では、どんなに大量に摂取しても苦しいだけで死ねないのですが、その時の私は
“好きでこうなったんじゃない!
生きなくていいなら、今すぐ死にたいんだ!
早く楽になりたい!”
という想いで(その時は死が何よりの幸せに思えていたので)、後先を考えられないままとにかく飲んでいました。
すぐに気付いた父が私を病院に運んでくれ、私はそれから3日ほど正気を失った程度で済みました。
けれど、病院に運ばれ、薄れていく意識の中で、父が私に頬ずりしたのが分かったのです。
父は涙を浮かべた顔で
「こんな時でもないとこんなことも出来ないからなぁ」
と笑って言いました。
その時、私は一瞬にして自分の生きる目的を思い出したのです。
『私は、幸せになるために生まれて来たんだ!
笑って生きるためになら、自由に変化を選んでいいんだ!』
と。
そこからは、それまでの状態から見ると信じられないほど急速に元気になりました。
最終的に、もう一度旦那様と話し合って、修復は難しいことを確認して、離婚に至りました。
それから生活のためについた営業の仕事で、本当に短期間にスピリチュアルな能力のある方に次々と出逢い、一気にスピリチュアルの世界に導かれました。
それから漠然と感じていた自分のシンクロ能力が、“気のせい”ではないことを知り、ライトワーカーとしての使命を全うして生きることを決め、勉強を始めました。
その中で本当にたくさんの素晴らしい出会いと学びを与えていただき、今日の私がいます。
もちろん、今現在も、これからも、終わることなく日々勉強ですが、もう二度と自分をあそこまで追い詰めたり、命を投げ出そうとしたり、『どうにも出来ない』と考えたりすることはないのが確信できます。
離婚当初は『笑って生きなくちゃ!』とガチガチに入っていた肩の力も抜け、今では当たり前のようにどんな状況でも自然に笑えます
思い悩んでいた時、わずか7年前には、本当に、まったく、想像すらしていなかった生活です(笑)
そして今は、元旦那様や元旦那様の家族、私の家族や、すべての出来事に
『ありがとう。
あなたのお陰で私は今、心から満たされて笑えます』
と感謝が出来、幸せに満たされています。
これは、私だから特別味わえる幸せ・・・ではありません。
すべての人が“幸せになるために生まれて来た”以上、誰でもが感じられる幸せです
辛い経験には、神様の
『もっと幸せを求めて、楽に生きていいんだよ』
というメッセージが込められています。
だからどうか、あなたも信じてみてください。
“人はいつでも変われる”
“経験のすべてを自分の幸せに繋げていくことが出来る”
“あなたには自由がある(『どうにもならない』ことはない)”
ということを。
私に限らない、たくさんの実体験者が、あなたも笑顔を取り戻せることを知っています。
どうか、あなたが幸せを選んでくださいますように・・・
本当に長い文になってしまい、ごめんなさい
ここまで読んで下さった方がいらしたら、本当に本当に感謝です
私のネガティブな過去にガッカリさせたならごめんなさい。
でも、そんな“不良”で“非・理想的”な私も、大切な私の一部です
今はそれを愛しく思えるので、こうして書くことが出来ました。
ただ、父の頬ずりは今でも思い出すと涙が溢れます。
(この記事を打つ時も泣いてしまいました)
こんな『生き見本』が少しでもお役に立てたら嬉しいです。
これからも、みなさんに私の出来る限りのライトワークをお届けしていきますので、どうぞよろしくお願いします
ライトワーカーNORI☆彡