河原家を出て暗闇坂を挟んだ隣の但馬家に向かいます。
この但馬家は他の2つの武家屋敷と違って植木なども当時のままです。
庭には漢方で使われるニッキ(胃腸薬)の木もありました。
物凄く合理的だったんですねぇ。

はい、ここで昨日の河原家の門と比べてください。
袖木門は同じですが、左右の板の枚数が1枚少ない3枚です。
これは但馬家が150~200石のちょい下級の武士だったからです。
門を入ったところ。門から建物までの距離も少し短いので
建物全景が写せません。正面に見えるのが客用玄関、
右手にあるボランティアの方が立っているのが家人用の玄関です。
上がりがまちは4畳。1畳狭くなっています。

もうひとつ河原家との違いがわかりますか?
実は河原家の壁は漆喰だったのですが、この但馬家はただの土壁です。
そういうところでも武士の格付けがなされてたんですね。
客間。河原家には上がれませんでしたが、ここ但馬家は上がれます。
12畳半で、ふち付きの畳、床の間があります。
鎧兜はイミテーションです。

主人の間。この辺は河原家とそう変わりません。

お勝手から家人用玄関を見たところ。
河原家にはお勝手に面して御小姓の控え室がありましたが、
当然但馬家にはありません。ここも毎朝火を入れるそうです。

家人の間。すのこ天井に縁なし畳は河原家と同じ。

但馬家を後にして、続いて名も亡き武士の家。
100石程度の武士です。
これくらいになると門の横に板塀がつきません。

トタン屋根になっているのは消火設備がつけられないため、
消防法の規制によるものだそうです。無粋ですねぇ。
右が客用玄関、左が家人用玄関です。
しかもよく見てください。板戸が小さいと思いませんか?

実は上がりがまちが3畳になっているのです。
しかもこのクラスの武士になると客用玄関に障子がありません。
さらに客用玄関のたたみもふち無しです(苦笑)。

ここも上がれるので上がらしてもらいます。
客間。押し入れを開けて展示に使っています。
ここで初めて押し入れが出ました。
そう、前の2軒は格上なので押し入れがなく納戸だったんです。

お勝手。かまどが2つあるのは意味不明です。
屋根裏や床板、柱が明るいとおもいませんか?
そうなんです。3軒のうち、ここだけはトタン屋根なので、
かまどに火を入れられないのです。
茅葺きなら火を入れても自然と煙が回って屋根から抜けるのですが、
トタンで塞いだので家の中が煤だらけになってしまうのですね。
そう言う意味では昔の建物ってよく考えて作ってあったんですね。

さて、この家には他の家では改装されていたものが
オリジナルのまま残ってます。
それが・・・
\ジャ~ン! トイレです!/

裏に回って建物の全景です。わかるかなぁ?
基礎石の上にただ家が乗っかっているだけってのが。
これだけ開口面積が広い家なのに地震に強いのは、
このように地面に固定されていないからなんですね。

以上、佐倉の武家屋敷からお届けしました。
最後まで読んでくださったあなたに、全ての良き事が雪崩のごとく起きます。

