芦屋のタロット・占星術師 広

 

こんにちは。広です。

 

先日楽しみにしていた「国宝」を観に行ってきましたニコニコ

この作品を観て、

私の持つロゴスではとても追いつかない、

もう、今年1番の映画なのではないかと思いました。

 

このお話はフィクションで、実在の特定人物がモデルなのではないそうなのですが、

 

少し昔の・・・私で言えば父母の世代あたりの時代を追いかけていくこの時間と空間が

 

もしかしたら、垣間見たかもしれない、私もその片隅にあったのかもしれないパラレルを感じました。

 

主演は吉沢亮さん。

 

吉沢さんの出ている作品を全て見たわけではないのですが、

 

この方の心の中の悪魔の表現がいつも凄くて格別だなと思うのです。

 

そういった作品のイメージが私の中で何十にも重なっていて、

もう既に吉沢さんがどんなに笑顔でポスターになっていていても、背後に悪魔がちらついて見えてしまう驚き(私の思い込みです)

 

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

さて、

この映画を観て思ったことですが、

 

“天才とは・・・“

 

天才とはよく「孤高」などと形容されますよね。

 

確かに名を残した天才達は、実際に孤独であれ、はたまた沢山の人々に囲まれているのであれ、

状況は様々なのですが、本人の意識としては、愛に溢れたとか、家族愛とかのイメージには結びつかないことが多いような気がします。

 

今回の主役の喜久雄についても、

産みの母は原爆症で幼少期に亡くなっており、

実父は抗争の折に目の前で殺害され、

天涯孤独の身で物語がスタートします。

 

そこからの人生も、

たくさんの支援や愛を差し出されてはいるのですが、

そこに心を開くことはなく、ひたすら芸を磨き、辛い境遇に耐えて耐えて、

全てを捨てて芸に注いで行く人生を歩むこととなるのです。

 

はてこれは、、、

 

私はいつも生命の樹を基に考えてしまうのですが、

 

峻厳の柱に意識を集約して降下して行くこの生き方に

 

慈悲の柱にはどんな意識が流れているのでしょうか。

 

抽象度が高く、個の意識に細分化されることなく、この宇宙の意識を

“芸術“というもののままで降ろしてきたのでしょうか。

 

私が思うに、

抽象度の高い意識・・・大きな愛の意識(対個人ではなく対全人類への博愛や慈善など)や芸術の意識(対宇宙の愛の表現)、この地球の中でまだない、まだ言葉として定義されない意識(発明など)を現実化する人々は、おそらく月の働きが特徴的なのではないかと思っています。

 

ここで言う月とは、個人のフィルターや安全弁や潜在意識の役割をするイエソドの意味での月です。

 

この宇宙で起こる様々な事象は、そのまま個人の中に直接流れ込んでくるわけではなく、

何度か個人の受け取れるサイズへとフィルターを通過してサイズや時間や空間に適するように変換されているのだと思います。

 

だから、私達は自分の知りうる範囲の中のことしか分かることができないのです。

 

だから、安心してこの地球上で繰り返す毎日を当たり前だと思えているのです。

 

それに加えていわばうまいこと意識が分散されていて、

 

欲望もあれば、律することもあり、

 

希望を持つこともあれば、執着を手放すこともあり。

 

イエソドのフィルターのおかげで、太陽系の終末を本気で心配する必要もなく

 

身近な思考と身近な感情を行ったり来たりして、個の人間らしいサイズで生きているのだと思います。

 

けれど、この月のイエソドのフィルターがうまく機能しない、または特殊な機能をしていると、

 

宇宙からの大き過ぎるサイズの意識を、個である小さな自分が受け止めなければならず、

 

身近な思考や感情、つまり一般的にこうしたらああなるよなという思考をすっ飛ばしてリスク云々もなく邁進するのみとなるでしょうし、

 

個人間の愛の問題には気づかないのかもしれないです。

 

こうして、天才は、一般的な人々では考えられないリスクを取り、努力を続け、

 

愛や感情の問題に振り回されることなく、宇宙の意識をこの地球上に結晶させるのでしょうか。

 

天才本人としては、個人間の愛よりも抽象度の高い意識とつながっているので(おそらくコクマー・・・恒星天とも海王星とも言われています)、バランスをとっていて、大いに満足感はあるのかもしれませんね。

 

その場合は、身近な思考や感情の問題は、天才本人が生み出す作品への問題として機能しているのでしょうか。

 

そんなこんなと、

人間とは・・・とても考えさせられる映画でした。

 

この映画について色々と余韻に思い巡らせているのではありますが、

 

占星術で言えば、トランスサタニアン(冥王星海王星天王星)が効いている出生図であり、

特に冥王星が太陽と関わっていて、土星が同時に強いということは外せないのではないでしょうか。

 

そんな出生図を持っていても、そもそもこういった遠天体は、その辺りのお誕生日の人々は皆似通ってしまうので、

つまりこんな人生はなかなか現実化できるものではない、伝記レベルの人物と思って良いでしょう。

 

それもなかなかに魅力的ですが、

1人の人間の一生には、バランスの取れた思考と感情を育てていくのが良いのではないかと思います。

 

「愛にできることはまだあるかい」RADWIMPS ←ふと浮かんできたのですが、ある意味で正反対の視点だなと思います。

 

リアルなところでは、このあたりを反芻するところでももう十分なのではないのでしょうか。

 

今回も長くなってしまいましたがお読みいただきありがとうございます。

 

今日もよき1日をお過ごしください!