続きまして、です
前回ブログを書き出したら
長くなってしまい
尺におさまらず
続きから
先にこちらを訪れた方は
前回の(新しい氣☆過去の不要な遺産)
を読んでいただけると嬉しいです
ジャッキー・ロビンソンの勇気
一年前のアメリカ
2022年4月15日
2本の豪快なホームランを放った
大谷翔平選手がつけていた背番号
『42番』
全球団の全選手、監督、コーチが
この日だけ
『42番』をつけて
プレーするのを許されている日
4月15日は
【ジャッキー・ロビンソンデー】です
2023年は
日本時間で4月16日になります
20世紀半ばまで
メジャーリーグガーは
白人選手のみでした
今、さまざまな人種の方が
堂々と活躍できる背景には
その壁を切り開いた
ジャッキー・ロビンソン
という黒人選手がいてくれたからです
内野手で、3割打者
盗塁も決める瞬足
ところがグランドに出ると
黒人を罵倒する
差別の声の嵐が吹き荒れ
その差別は「殺す」と
脅迫状さえも届くほどでした
しかし
ジャッキーは感情を表に出さず
耐え抜きました
彼を支えていたのは
『やり返さない勇気』
それは想像もできないほどの
過酷な環境でしたが
彼は
自分の使命の一つとして耐え続け
そんなひたむきな姿に
観客だけでなく
ピッチに立つ選手をも変えていきます
さまざまな差別の嵐の中
ジャッキーは
日増しに声援が
大きくなる観客の様子に
『黒人選手が
チームに勝利をもたらすなら
肌の色は関係ない』
ということに確信をもちます
やがて
多くの人が憧れる
メジャーリーガーまで登りつめます
しかし
栄光を掴んだあとでも
差別の壁に苦しむことに。。。
希望しているコーチや
監督にはなれず
球界の引退を決意
しかし
ジャッキーは歩を止めず
黒人の為に
奔走する人生を捧げました
ジャッキーの行動は
球界のみならず
アメリカ全土を変えていきます
20世紀
人種隔離制度で根強く
差別が残り
”黒人と一緒に
野球するなどありえない”
という時代の最中に
ジャッキーは生まれました
ジョージア州で
祖父は奴隷として連れてこられ
暴力、労働はあたりまえ
ジャッキーが大きくなり
働けるようになった頃でも
月給は安く、長時間労働
過酷さから
父は消息不明になります
母は、カリフォルニア州の兄を頼り
家政婦として働きながら
5人の子をきりもりするという
家庭環境で育ちました
食べ物は
水とパンだけの日も多くありました
子供の頃
家の前の通りを掃除していたら
白人の少女が
差別用語を使ったので
言い返したところ
少女の父親と
石をぶつけ合うなどの
トラブルになったこともありました
そんな時でも母は
『白人に対して
卑屈にならず、誇りを持ちなさい』
家族に恥をかかせることで
自分の人種に
恥をかかせることになる
と説いて聞かせていました
10代になると
友達と共にいたずら盛りに
そんな時に出会った牧師の導きで
スポーツとの
運命的な出会いを果たします
おかげで
スポーツで有名な大学に
進学が出来ました
しかし、2年で中退
このまま進学しても
根強く残る人種差別に
黒人は活躍の場を与えられず
先がないと見据えての
彼の決断でした
その後一度は
スポーツを教える職をつくも
戦争でその道も絶たれます
それでも
国の為にと
誇りをもって軍隊に入りましたが
その中でさえも
差別は続き
バスに乗れば
一番後ろに座れと注意を受け
怒りが抑えられずに
暴言を吐き
席の移動を拒否します
そのことで
連行され取り調べを受ける事態に
反抗的な態度を続け
軍事裁判にかけられる事になりました
幸い、刑にかけられることは
ありませんでしたが
軍隊に嫌気がさし、除隊。。。
どこにいっても続く差別
そんな中で
新しい出会いもありました
黒人の黒人による
野球のリーグ
ネグロリーグに
入団が決まったのです
メジャーリーグに比べると安いけど
お給料も出る
安いといっても
母の家政婦としての稼ぎに
比べると破格の金額でした
後に
ジャッキーの人生を変える
運命的な出会いと
使命との出会いが始まります
ネグロリーグは
想像以上に過酷な環境でした
なぜなら
黒人のためのリーグで
観客は
それほどお金もないため
高いチケットを販売することも出来ず
試合数をこなして
運営費を稼ぐしかなかったのです
長距離を
乗り心地が悪いバスで
揺られながら過ごすことに加え
黒人ということで
ホテルやレストランで
寝食することが出来ず
バスで長時間過ごすことも
多かったのです
選手への待遇は
メジャーリーグとは
大きな差がありました
ジャッキーは
お金を稼ぐ方法として
ずいぶん惨めなように思えました
そんな頃
運命を変える出会いを果たします
メジャーリーグ球団
ブルックリン・ドジャーズの会長
ブランチリッキーとの出会いです
戦争の最中でメジャーリーグは
白人の選手不足となっていました
そこで
リッキーは解決策に
黒人選手に目を向けました
ネグロリーグにも
スター選手がたくさんいて
メジャーに加われば
黒人の観客たちも
呼び込むことが出来きるので
『経営的にも潤うのではないか』
という考えと
それだけでなく
リッキーは学生野球時代
遠征先での苦い経験がありました
チームメイトの黒人選手の
宿泊を拒否され
なんとか自分の部屋に
一緒に寝るということで
許可をもらいました
その夜
黒人選手が手をかきむしりながら
『この黒い手!この手が白ければ!
私だって
みんなと同じようにやれるんです』
と涙を流す様子を
目の当たりにしていました
経営の立場だけでなく
個人的にメジャーリーグに
黒人選手の参加を希望していたのです
のちに”偉大なる実験”と呼ばれる
”黒人のメジャーリーグの参加”
の提案を打ち出したのです
この”偉大なる実験”に
球団は猛反対
リッキーは球団を説得をし
許可を取りつけました
そんなリッキーが注目したのが
ジャッキー・ロビンソンです
ジャッキーは
思いもよらない話に
感激し
言葉がでないほど驚きました
リッキーは、問います
「君はどんな事態が起きようと
怒りを抑えて
プレーする勇気があるかね?」
ジャッキーは、問い返します
「やり返す勇気がない選手に
なれということですか?」
「そうではない
やり返さない勇気
をもった選手になるんだ」
さらに
予想されるあらゆる罵声を
リッキーは演じて浴びせます
負けん気の強い
ジャッキーにとっては
とても耐えがたいものでした
リッキーは力説します
「挑発にのれば相手の思うツボだ」
ジャッキーは
「出来るか分からないが
やらなければならないものだ
ということだけは分かる
この実験に失敗すれば
私に続くすべての
黒人のチャンスを潰してしまう」
黒人の未来の為に
すべてを飲み込もうとしたのです
戦争が終わった直後の1945年
まずはマイナーリーグである
モントリオール・ロイヤルズに入団
瞬く間にそのニュースが
世間を騒がせました
しかし
否定的な意見ばかり・・・
それも
想定内の事態に
当時26歳のジャッキーは
必死でやり抜く覚悟を
心に決めていました
野球シーズンが始まる前に
結婚
奥さんのレイチェルは
出会った時
肌の色が
目立つ真っ白いシャツを着て
堂々としているジャッキーに
黒人としての誇りを
もっているさまを感じ
ジャッキーもまた
すべてを理解してくれる
レイチェルの姿勢に
どんな悩みも
相談することができました
二人はこれから待ち受ける
過酷な現状に
一緒に乗り越えることを誓いました
マイナーリーグでの成績は
3割4分9厘で
首位打者
リーグ優勝に貢献
しかも
チームの観客動員数の
記録を更新
申し分ない成績で
いよいよメジャーリーグへ進出
『42』の背番号をつけた
ジャッキーがいよいよ登場です
観客も満員
その多くが黒人でした
しかしながら
当初の成績は、振るわず
黒人は 落胆
白人は 侮辱
デビュー5戦目で
やっとヒットを打ちます
それでも
相手チームの選手は
ジャッキーに辛らつな言葉をかけます
味方のチームメイトも
素知らぬ顔
ピッチに味方は誰一人いず
拷問にかけられているような
毎日でした
しかし
『ここで腐っていては
何もならない』
と気持ちを強く持ち続け
観客席では
白人のヤジの中
見守る妻のレイチェルもまた
『お願い耐えて』
と祈る気持ちでいました
家では
疲れ果てて帰ってくるジャッキーを
やさしく癒し
妻はまるで
「激薬の解毒剤かのようだった」
と語っています
支えもありジャッキーは
次第に活躍しだし
チームに勝利を何度も呼び込みます
それでも
チームメイトとは
以前うまくいかず
試合後のシャワーも気を使って
誰もいなくなってから使い
相手チームからは
活躍のひがみから
嫌がらせもエスカレート
わざと頭をめがけて投球し
激しくスパイクされる
それでも
『やり返さない勇気』
というリッキーの言葉を守ります
激しいスパイクには
ジャンプしてかわしながらの送球
今ではたくさんの選手が
おこなうプレーですが
嫌がらせに対抗するために
ジャッキーが編み出した
ともいわれています
ただ、ひたむきにプレーをし続ける
そんな姿に
観客たちも
応援に熱をいれ
日々高まっていくそのようすに
ジャッキーも
手ごたえを感じていましたが
直接向き合う選手達にとっては
肌の色こそが
嫌悪を感じるものであって
なかなか受け入れられるものでは
ありませんでした
相手チームの選手からの
「そんな黒い手をして
恥ずかしくないのか」
「ジャングルに帰れ!」
という心無いヤジに
怒りを必死にこらえ続ける日々に
ある日、変化が訪れます
キャプテンのリースが
ヤジを受けるをジャッキーの肩を
抱き寄せたのです
「きさま!そいつの味方かよ
恥をしれ!」
とヤジをぶつけられますが
リースは
「俺たちは野球をしにきてるんだ!」
と反論
チームが変わり始めた瞬間でした
ゴロを打った相手選手が
わざとジャッキーの足を踏みつけ
倒れたジャッキーに
味方全員がかけつけ
「俺たちの仲間に何をしやがる!」
とチームが一丸となって
ジャッキーを守ってくれたのです
打率、ホームラン、盗塁
に大活躍をおさめ
メジャーリーグでは
この年から設けられた新人賞に
ジャッキーが選ばれました
それは
ジャッキーが
認められた証でもありました
2年も過ぎたころ
リッキーはこのように伝えます
「今や君は
一本立ちした
後は君でやれば、大丈夫!」
と声をかけました
なぜ、このように伝えたのか
それは
いつまでも黒人選手が
卑屈な態度でプレーすることを
状態化させてはならない
後に続く黒人選手たちが
一人の大リーガーとして
扱われるようにしていく
必要があったからです
その道すじを作るのに
これまでの耐えしのぐやり方ではなく
モデルチェンジを果たす時でした
ジャッキーにとっての
待ちに待った転機の訪れです
我慢し続ける日常から脱出し
ジャッキーは
必要以上に我慢するのを辞めました
判定に不服があれば抗議し
ヤジには反論
選手にとっては
当たり前の行為ですが
なまいきだとの批判もありました
しかし、その態度を
変える気はありませんでした
それは
崩れ始めた人種の壁が
元に戻ることはないということを
ジャッキーは
確信できたからです
自分は大リーガーで
観客から求められる存在
肌の色でははく
プレーそのものに注目されていると
誇りをもっていたのだと思います
一人の誇り高き
メジャーリーガーとして
MVPにも輝き
6年連続、打率は3割を超え
ついには
ドジャーズが
メジャーリーグで最強とされていた
ヤンキースを破り
念願のワールドシリーズを初制覇
その試合、ジャッキーは
しょっぱなからホームスチールを
見事に決め
チームに勢いを
与えたと言われています
闘志あふれるプレーは
一流選手の証である
オールスターにも連続出場
差別からのスタートが
多くの人の心をつかみ
応援される選手になったのです
日米親善試合として
ドジャーズが来日した際に
日本でも
初の黒人メジャーリーガーは
注目を集めていました
帰国後
他のチームからのオファーも
来ていたジャッキーでしたが
体力の衰えもあり
翌年引退
日本での試合が
最後の試合となりました
引退後
指導者を希望していましたが
選手としては良いが
監督としては
”向かない”という球団の判断に
人種の壁を再び痛感しました
”白人は
黒人の命令を受けない”という
バカげた見方が
まかり通っていると失望し
球界を去ることになります
メジャーリーグは
チャンスすら与えない
この頃のアメリカは
自由を求める黒人に対して
それを抑えようとする白人との
対立が激化
非暴力を訴えるキング牧師が
法の下の平等を訴えていた頃で
引退後
ジャッキーは
食品会社で働きながら
黒人達の訴えを支援する為に
募金活動をつづけていました
その中で
ジャッキーが感じたのは
白人は昔に比べたら
良くなったからと
黒人を黙らせようとする
【黒人自身の手で
扉を開くことが大切】と考え
黒人の為の銀行の
創設者の一人となります
家を建てようにも黒人に
貸してくれる銀行がなかったからです
自分のように
メジャーリーグで活躍できる
恵まれた環境を経験した者が
恵まれない黒人達の
地位向上のチャンスを
作り出さないといけない
という強い思いがありました
まだまだやるべきことは
あると考えていたジャッキーが
多忙を極めていたある日
黒人メジャーリーガー誕生の
25周年のイベントに
家族で招待されます
25年たってもまだ
黒人監督は一度も
誕生していませんでした
イベントのスピーチでは
「いつの日か
黒人が監督として
3塁コーチャーズボックスに立ち
陣頭指揮をとる姿をみられたら
無上の喜びを感じると思う」
という言葉を残しました
残念ながら
その光景をみることはなく
その9日後
波乱に満ち
大偉業を達成した
初の黒人メジャーリーガーは
心臓発作で帰らぬ人となりました
初の黒人監督が誕生したのは
その3年後のことでした
ジャッキー・ロビンソンの墓石には
こう刻まれています
人生というのは
他の人の人生に
少しでも影響を与えない限り
意義のあるものではなくなる
生前、よく言っていた言葉です
1997年メジャーリーグは
ジャッキーのデビュー50周年に
彼の背番号『42』を永久欠番とし
「人種の壁」を破ったことを記念とし
デビューした4月15日を
【ジャッキー・ロビンソンデー】
に制定しました
妻のレイチェルは
過剰に取り上げられることを
ジャッキーは喜ばないと話ました
”こんな良い選手がいた”
ということだけ
記憶してもらうことを望んでいると
それは
黒人だから
白人だからという
肌の色ではなく
差別がない
一人の選手として
すべての選手が扱われることが
当たり前の世の中になって欲しいという
希望の願いではないかと感じました
2023.3.7のブログのテーマの
ギフテッド
(ワームムーン☆ギフテッドの回)
ジャッキーが手にしていた
ギフテッドは
もちろん野球の才能
でもあるだろうけど
黒人で生まれてきた
自分の存在そのものが
ギフテッドだったのではないかと
私は思います
これからの黒人の未来の為に
生まれながらに身につけてきた
”神様からの贈りもの”=ギフテッド
黒人であることで
何度も何度も
身も心も切り裂かれるような
辛い体験をします
しかし
そこに希望や未来を信じて
ゴールを目指し
自身で体現していったからこそ
多くの人の心に影響を与え
今でも心に残る
偉大な選手となったのでしょう
ジャッキーの墓石に
記された想いと共通する
【ギフテッドを他者に活かす】
そのために行動していく
元々は
負けん気の強いジャッキーが
数々の試練に耐えられたのは
黒人みんなの未来が
自分の肩に
自分の手にあったから
そして
家族の支え
一人ではとても
頑張り切れなかったかもしれない
だから
生まれる時に
身につけている
選んできた
神様からの贈りものと
呼ばれる才能は
まずは自分の為に
その才能を発掘し、発揮する
そしてつぎに
誰かの為に
その才能を少しでも活かす
もし
自分の才能が見つかりにくければ
人や動物・自然 が
笑顔になること
喜んでもらえること
役にたつこと
を些細なことからでもいいので
探して
やってみるのがオススメです
その中で
自分がどう感じるのかを
探ってみてください
そして
私の意見としては
他人の人生に
影響を与えなければ
意義がない
というのは
そればかりでもないかな
と思っています
自分だけの為に生きる人生でも
かまわないと思います
ただ、他者がいることで
同じように分かち合えること
共有できることをもつことは
人生がより
華やぐことに
繋がるのではないかと思います
さまざまなところでささやかれる
新時代という
新しい氣が充満しやすい時期に
ジャッキー・ロビンソンが
体現してくれた
『やり返えさない勇気』
これまでと同じエネルギーの場所で
対抗し続け
留まるのではなく
私達は常に
新しいエネルギーに向けて
歩だしているということを
これからも胸に
今までの経験も糧にして
同じエネルギーで返さない
一つ別の次元から
物事に対処していくことで
負の連鎖を
断ち切る勇気をもっていきましょう
自分が受けた嫌なこと
されたことを
次の世代に残さない
無意識領域から
現れてくる事柄に
つい同じエネルギーで
返してしまう場面や
傷つき留まってしまう時も
あるかもしれませんが
『やり返えさない勇気』
の意識を心にもつと
現れる世界が
もっと優しくなっていくと
私は思います
今起こっている戦争も
過去に起こった戦争も
過去の遺産として
痕跡を残さないように
どんどん新しいエネルギーに
塗り替していけますように
そして
あなたの中に
やり返したい想いや
恨む感情が沸いてきた時には
チャネリングの
エネルギーワークをオススメします
目の前に
青い炎を思い浮かべてください
ラピスラズリの鉱石のような
瑠璃色でもある
晴れやかな群青色の炎です
その炎を前に
ハートと喉の位置に
やりきれない想いを
別の炎の色として
イメージし
たぎらせていきましょう
喉や胸の部分が
少し詰まって締まるような
感覚が起こるかもしれません
ハートの炎を喉まで押し上げて
一つの炎にしていきます
喉の奥が少し詰まる
感覚があっても
無理のない範囲で
続けていきましょう
炎が一つになったら
目の前で燃え盛る
青色の炎の中に
融合させていきます
喉から出て
外側の炎と一体になります
一体化に伴い喉の詰まりも
取れていきます
完全に移行するまで
目を閉じて
静かに待ちましょう
ご自身の感覚で
自分の中の炎がなくなり
外側の炎と融合できたと思ったら
今度は
自分の中の
静けさを感じてみましょう
そして
静かに息を吸い
深く、強く
吐き出していきましょう
留まっているエネルギーを
押し流していきます
続いて呼吸を繰り返します
呼吸に集中している間に
外側の炎は自然と消え
すっきりと晴れ渡る
青空が目の前に
啓(ひら)けていきます
青い炎のイメージは
ラピスラズリの色・瑠璃色・群青色
どの色でもOKです
ご自身がしっくりくるもので
※喉が詰まる感覚があった場合は
くれぐれも無理せずに
言葉に寄り添い
イメージや体感が出来る方は
ぜひ
出来ない場合は
文字を目で追いながら
言葉の情景を
出来る範囲で想像してみてください
文字にもエネルギーは宿り
必要なエネルギー調整が
スタートしていきます
傷ついて留まっている
エネルギーをクリアにして
すっきりと晴れ渡る
新しいエネルギーを
定着させていきましょう
先日ニュースで
イタリアに漂っている移民の船が
救助されたニュースを見ました
なんの装備もなさそうな
木造っぽい船に
人が溢れんばかりに乗っていて
中には多くの子供や
赤ちゃん、妊婦さんも乗っていました
いつ転覆しても
おかしくないような船に
乗らなければならない
ひっ迫した環境だったのかと思うと
胸が痛くなりました
インタビューに答えていた方が
「黒人では
生きていくことさえ出来ない」
という切実な訴えが
心に残りました
ジャッキー・ロビンソンが
切り開いた未来が
まだまだ浸透していく
必要があるのだと感じました
最近
下の子の夢はなんだろう
と思い聞いてみたら
「王様 」
「そっかー王様なんだね~」
ちょっと予想外の返答でしたが
かわいいなと思っていたら
「王様なら
戦争を辞めさせられるでしょ?
平和にしたいから
王様になって戦争を辞めさせるの」
『なんとあっぱれ』
感動しました
子供でも
戦争はやってないけないと
分かってる
平和を願っている
何の為に戦っているのか
平和な道はないのか
平和を祈る想いが
早く届くといいなと願います
2回に渡り
お付き合いくださいました皆様
ありがとうございました
4月16日(日本時間)に
『42番』を着た日本人選手の
活躍がとても楽しみです
それではまた