目にまつ毛が入って思った。

 

エゴとは目に入ったまつ毛のようだ。

痛いし、心地悪いし、イライラいするし、目を閉じたくなり、、

視界が曇り真実が見えにくくなったりする。

 

今朝もまた夫へイラっとしてしまった。

病院にかかりたいとのことで、数日前から私はなんども病院に電話して、色々と確認したりして、結局だいぶ先まで予約がいっぱいだったため、

行ける日の朝一に電話して当日予約を取るという方法しかなかった。

おとといと昨日は出勤していたため、対応してあげたが、在宅勤務の今日までも朝一の電話を頼まれイラっとした。

通勤時間はかからないし、人目を気にすることもないし、そもその仕事は9時からなんだから、今日は自分で電話できるはず。

それなのに、自分で電話するのが面倒で、甘えて私にお願いしてきた。

 

「は?」

私を暇だと思っているのか?

私をこき使うのか?

私をなんだと思ってるんだ?

 

エゴが大暴れした。夫とは軽い喧嘩に。

最終的に夫が逆ギレして自分で電話することに。

 

そのあと冷静になり、またエゴにやられてしまったことが見えた。

病院に電話することは一瞬で終わる大した仕事ではないのに、エゴは猛反発。

そして、私はエゴの仕業に気づかず、イラっとしてしまった。

エゴは自己価値が低いと思っていて、それを肯定する出来事が起こると守りに入ってしまう。

それが反発の正体。「私は十分でない」「私は価値が低い」というエゴの思い。

そして、エゴはアドレナリンやコルチゾール(ストレスホルモン)をどばっと分泌させ、身体までも戦闘態勢に。

まるで目にまつ毛が入り、真実である「愛」が完全に見えなくなってしまった状態だった。

 

すべてがエゴの仕業だったことに気づき、「ごめんなさい」とこの出来事を「ゆるす」ことを選択した。

精霊に、許したいので助けて欲しいとお願いした。

(※ここの「ゆるす」は以前にも書いた「奇跡のコース」的意味である)

本来の私は愛、ワンネス。なぜ夫に対して愛ある対応をできなかったのか。

なぜ忘れてしまい、気づけなかったのか。

そりゃ、今まで何十年もエゴ主体で生きてきたからで、その長年の習慣を脱却するにはそれは時間がかかって当然。

イラっとする出来事が起きたそのあとに「ゆるす」ことができれば、それで十分だということが分かった。

出来事と「ゆるし」の間の時間差を少しずつ縮めていけば良い。

急ぐ必要はない。ゆっくり、寛大に、許していけばよい。

目に入ったまつ毛がいつの間にか無くなったようだ。

 

数分後に夫に予約た取れたか聞いてみたら、「取れたよ」と普通のテンションで返事された。

「ゆるす」ことができたから、イラっとしていた夫の態度も普通に戻っていた。

精霊のサポートを借りて、ちゃんと「ゆるす」ことができていた。

今まで「ゆるしたい」と思ってもちゃんと許せたかという実感がなかったが、今回は瞬時に結果を見せてくれた気がした。

私が試みていることは間違っていなく、このまま「奇跡のコース」に従っていくと良いと教えてくれた。

 

どうしても焦ったり、急ぎたくなってしまうが、時間は関係ない。

自分のペースで気づいたときに許せば良い。

そのうちイラっともしなくなる日が来る。

少しずつ、少しずつ、目から鱗が剥がれていくように。