昨日、変なことを思い出した。
高校生のころ水泳部にいた。
合宿のような感じで水泳部10数人で地方へ行ったとき、現地の高校生と仲良くなった。
その中のある男の子と特に仲良くなったのだが、
それを見た水泳部の同級生に「やりまん」と言われた。
私は帰国子女でこの言葉の意味を知らず、友達に聞いて意味を知った。
そのとき、「なーんだ、そんなことか」と完全に流した。
私はその男の子と何かあった訳ではない。
そもそも、そのときの私は処女だったし、恋愛経験はかなり少なかった。
言われたことに対し、怒りも、焦りも、悲しさも、後悔も、何も感じなかった。
今思い返すとかなりひどいこと言われたと思うし、
その言同級生も嫌なやつではなかったのに、なんでそんなこと言ったんだろう?と不思議に思う。
奇跡のコースで言う「ゆるし」とはこういうことだ!
罪意識や罪悪感がなければ、一般的な「嫌なこと」が起きても何も感じずニュートラルでいられる。
「やりまん」と私は無縁だったから。
このときの無の反応が「ゆるし」の証明じゃないかと思う。
何か無意識的に罪意識や罪悪感を心に秘めていると、怒りとか焦りとかネガティブ感情が湧いてくるのではないか?
私たちは「愛」であり「完璧」であるから、本来は何があっても、何であっても、「罪」とは無縁。
何に対しても罪意識や罪悪感を持つ必要はない。
ネガティブ感情が湧いたときは無意識に罪を感じてしまっているということだ。
これを思い出し、罪がないことに気づき、その感情を手放したい。
私たちに罪はないし、他人も罪はない。罪とは存在しない。
なぜから私たちは完璧であり、ひとつ(ワンネス)だから。
ちなみに、「罪意識」や「罪悪感」にはバッチフラワーレメディーの「パイン」が効きます。
特にこの感情を強く感じた時にフラワーエッセンスに手放しを手伝ってもらおう。