みどりです。

 

 

手放したことと決めたこと。

今日はこれを書こうと思います。

 

 

 

 

実はしばらくブログをサボっていましたー!

そのかわり、すごーい浄化ウィークでした。

 

 

というのも…

昨日は満月満月でしたよね。

 

 

 

満月

手放しとか

浄化のタイミング

と言われています。

 

 

私もまさにその通り。

すごい浄化がやってきました。

 

 

この2日間で

28ページも!!!

ノート書きまくっちゃいましたよ…

 

 

 

長くなりそうなので

何度かに分けて投稿しますー♡

 

 

 

 

その前に!!!

先ほど午前中に仕事中の彼から

突然電話がかかってきました。

 

何事だろうと思って取ってみると、

「今家にいるの!?それならいいよ!」

と。

 

 

はあ?一体どうしたのかと思ったら、

仕事でうちの近くに来ていて、

道端を歩いていた女性が

私にそっくりだったので、

「みどりー!」

と大きい声で呼びたかったけど、

叫ばなかった!

 

あれは私だったのか確かめたかった、

という話でした。

 

 

そんなことでわざわざ電話してくれるなんて。笑

かわいい人。

あ〜愛されてるなー♡を感じた瞬間でした。

 

 

 

ってことでノロケはここまでにして、笑

本題です。

 

 

私は11月から彼と同棲を始めて

今日現在まで丸4ヶ月とちょっと、

完全に無職で生活をしてました。

 

 

住む場所はある。

彼が家賃や光熱費は払ってくれてる。

 

でも、食費や生活雑貨費は折半していて、

私はただただ貯金を削っているだけ。

 

 

昔からの知り合いはみんな

私のことを「仕事命」と思っているようで、

会うと必ず「仕事はー?」と聞かれる。

 

 

なので今無職な旨を伝えると、

「みどりさんが働いてないなんてもったいない」

と言われることが多くて、

 

答えるのが面倒で、最近はあまり

外へ出て誰かに会うのを控えていました。

 

 

もう、ただお金がなくなっていく毎日。

それでも、なんか、

とにかく働きたくなかった。

 

 

 

それは、

「きっとまた…」があったから。

 

 

きっとまた、いやになる。

きっとまた、責められる。

 

 

そんな気持ちが見え隠れしてたんです。

 

 




 

大浄化が起こるきっかけとなったのは

フェイスブックの投稿を振り返ったこと。

 

たまたま2年くらい前の自分の投稿が

目に入ってきました。

 

 

それは2011年を振り返っていた投稿でした。

 

 

そう、今日は3月11日ですが…

 

 

あの大震災が起こった年です。

 

 

 

 

私はその時、北海道の鉄道会社で

駅員をしていました。

 

 

今もコロナで同じような状況なのかなー

 

外国人専用窓口を担当していたので、

お客様がゼロだった日のことを

鮮明に覚えています。

 

 

その2ヶ月後の5月、

北海道内のトンネルで

特急列車が脱線し、車両が炎上するという

事故が発生。

 

 

詳細については割愛しますが

「あってはならないことをやってしまった」

という経験がここで生まれました。

 

 

 

6月、近所をランニング中

車にはねられる。

 

 

9月、会社の社長が入水自殺。

 

 

年が明けて2012年になってからも

2月、また脱線事故が発生。

 

 

4月の終わりのある日、

急に背中が痛み、気胸が発生。

しかも、生理のたびに肺に穴があく、という

珍しい症状だということがわかる。

 

毎月イテテテと言いながら仕事をしていました。

 

 

2013年は大きな脱線事故が2回、

そして毎日のようにどこかしらの特急列車から

火が出たり煙が出ていました。

 

 

そして2014年、

今度は会社の会長が自殺。

 

 

 

事故があるたびにテレビ局がやってくる。

テレビをつければ責められるニュースばかり。

 

新聞一面で大バッシング。

 

スマホをひらけば

ネットニュースのコメントも

SNSのコメントも。

 

 

お客様からももちろん。

 

 

帽子を飛ばされる、

唾をかけられる、

罵声。

 

 

お前らは信じない。

金全部返せ。

まともじゃない。

終わってる。

 

 

そんな毎日でした。

 

 

でも私は駅員の仕事が好きでした。

困っているお客様を

何とかして目的地へご案内する、

それが純粋な「仕事」だと思ってました。

 

 

北海道と本州を結ぶ

一本の陸路(線路)が断たれると、

 

空路か海路を替わりにご案内するしか

手立てがなく、

 

特に私たちは駅内の通訳業務もしていたので、

海外でトラブルに巻き込まれて

パニックになっているお客様が

なんとか帰国便に間に合うよう

替わりの手段を1から調べてご案内したり。

 

 

ヒッチハイクのボードを

作って差し上げたこともありました。

 

 

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2016年の終わりに

私は鉄道会社を退職しました。

 

 

そんなこんながあっても

仕事は相変わらず好きでした。

でも、これ以上働いていても

昇進することもなければ

安定するわけでもない。

自分の成長も見込めないことを理由に

離れることにしたんです。

 

 

そこから1年刻みで

違う仕事を転々としました。

 

 

そして直近の前職。

 

 

またしても私に不運のミラクルがやってきました…

 

 

 

 

続きます。  ▶︎▶︎