2.3日前にこの騒動は知っていましたが、昨日、
どんなものかと思い、例の過去に記載されたという記事を検索して、
びっくり仰天‼️
朝から気分が悪くなり、一人で怒り狂ってました💢
この怒りをどうしたらよいのかと考えたら、自分一人ではどうしようもなく、息子くんにも伝え、LINEで自分が思う怒りを語っていました。
この方の雑誌記事は、色々なものが存在するようでしたが、その一部を取り上げて見た感覚として
「お母さん」と度々出てくる言葉に、母の存在と言う関係を垣間見る気がしました。
相手の被害者の方が、助けを求めるように
「お母さん」と叫んだことに対して「お母さんだって!」と嘲笑うかのように暴力を振るい、
ある時は、せっかく届いた年賀状に対して、お母さんが罫線を引いて下書きしたはがきに、一生懸命に文字を書いてくれた事に対して、
「お母さんが定規で線引いて…」
「スゲェ汚い字で(笑)」
と奇妙がるかのようにバカにしていること。
こちらにこの文字をそのまま書くことにも抵抗がありました。
見てくださった方のご気分を害したら申し訳ありませんが、「作品とその人とは関係ない」「過去のことだから」と言うのは、今回ばかりは、通用しない、犯罪行為に近いように思いました。
お母さんから手を掛けてもらうことが、よほど羨ましかったのだろうか。
それにしても、人の心、倫理観のかけらすら見えてこない。
自分が同じことをされたらどう感じるのだろう。
音楽とは、音一つに作り手の魂が宿り、聴いた人は心を動かされる不思議な魅力があります。
言葉はそれぞれ異なっても、心で世界が一つになれるようなそんな大切な場を、傷つけ汚されること自体許せなく腹立たしさを倍増させるのでした。
オリンピックの開幕式など
"無音で良い"
と言う意見に大賛成でした。
昨夜になって、この件は決して解決したとは言えませんが、一時落ちついたようで、このもやもやしたものが、少しは収まりましたが、被害者の方はきっと思い出したくない出来事であろうし、その親御さんのお気持ちを考えたら自分の子がそのような目に遭った事を知り、さらに深い傷を負うことに違いありません。
新聞で、気になる記事を見つけると、それを取り上げて度々どう思うか子供達と考える時間を持つようにしています。
つい最近、中日新聞に掲載されていた記事、
中日春秋です。