雑誌「ニュートン」の今月号。

特集は「ドラマチック物理」というタイトルです。

 

 

特集の内容を、簡単に。

 

現在の物理学の先駆けとなったのは、「アイザック・ニュートン」でしょう。

ニュートンが生まれたのは、1643年。

この頃、物理学は、まだ、「自然哲学」と呼ばれ、古代ギリシャの哲学者「アリステレス」の作った体系が、絶対的な存在だったそうです。

 

ニュートンが生まれる直前、「ガリレオ・ガリレイ」や「ヨハネス・ケプラー」たちが、実験や観測によって、自然の現象を数学的に説明しようとする試みを始めていた。

 

ガリレイが、「地動説」を唱えたのは、有名な話。

ケプラーは、火星の位置観測のデーターを解析することで、惑星の公転運動の法則を発見する。

惑星の軌道は、楕円である。(第一法則)

太陽と惑星を結ぶ線分が、一定の時間の間になぞる面積は、必ず、同じになる。(第二法則)

惑星の公転周期の二乗は、軌道長半径の三乗に比例する。(第三法則)

 

そして、当時、宇宙の惑星は、太陽から「見えない力」を受けて、公転しているのではないかと考えられるようになっていました。

そして、ニュートンは、「木から落ちるリンゴ」と「地球を回る月」が、同じ力によるものだということに気がつく。

これが、「万有引力」と呼ばれるもの。

 

二つの物体には、互いの質量に比例し、距離の二乗に反比例する力が働く。

これが、「万有引力の法則」で、ここから、「ニュートン力学」という体系が生まれる。

 

ニュートンは、万有引力の法則に加えて、「運動量」などの、物体の運動に関わる量を、はじめて、きちんと定義する。

そして、運動する物体が従う、基本的な法則を「運動の三法則」にまとめた。

 

物体は、外から力を受けない限り、静止、または、等速直線運動を続ける。(慣性の法則)

物体に力が働くと、その力の向きに加速度が生じる。加速度の大きさは、その力の大きさに比例し、物体の質量に反比例する。(運動方程式)

物体Aが、物体Bから力を受ける時、物体Bも、物体Aから、大きさが等しく、反対向きの力を受ける。(作用反作用の法則)

 

ニュートン力学の、「観測や実験から導き出した仮説を、数学の言葉で定式化し、それを、実験や観察で検証する」というアプローチは、近代科学のあるべき姿として、認められることになる。

 

ちなみに、ニュートン以前、デカルト、ガリレイは、「慣性の法則」と同じものを発表しているそうです。

また、ホイヘンスは、「作用反作用の法則」を述べているそう。

ニュートンの成果は、これら、先人の研究の上に、成り立っている。

 

次ぎに、電気と磁気の関係について。

 

1800年、「アレサンドロ・ボルタ」が、電池を発明します。

これが、「ボルタ電池」と呼ばれるもの。

1820年、「ハンス・クリスティアン・エルステッド」が、このボルタ電池を使った大学の講義の準備中に、電流を流した瞬間、方位磁石が動くことに気がつきます。

これによって、「電気」と「磁気」に、何らかの関係があることが分かる。

 

そして、「アンドレ=マリ・アンベール」が、電流と磁場の関係を数式で表す。

直線電流の周りには、同心円状の磁場が出来るという「アンベールの法則」を発見する。

ここに、「電磁気学」が、始まります。

 

この、エルステッドの発見を知った「マイケル・ファラデー」は、「電気が磁気を生み出すなら、逆に、磁気も電気を生み出すことが出来るのではないか」と考えます。

そして、「磁場の強さが変化をする時、電流が生じる」ということを発見。

これが、「電磁誘導」です。

ここから、ファラデーは、「単極発電機」、そして、「単極モーター」を発明する。

これは、その後の「電気の時代」の基礎となる。

 

この、ファラデーの発明から、大きな影響を受けたのが、「ジェームズ・クラーク・マクスウェル」です。

マクスウェルは、ファラデーの生み出した「磁力線」や「電磁気線」の考え方を発展させ、電荷が電気力の影響を受ける空間の性質を「電場」、磁性体が磁力を受ける空間の性質を「磁場」と名付ける。

そして、マクスウェルは、電磁気の法則を、四つの方程式にまとめる。

これが「マクスウェル方程式」です。

ここに、電磁気学の基礎が、完成する。

 

この「マクスウェル方程式」から、電場と磁場の「波」が生まれることが導かれます。

これが、「電磁波」と呼ばれるもの。

そして、その電磁波の速度も、計算をすることが出来る。

この電磁波の速度は、当時、明らかになりつつあった「光速」の実測値と一致をした。

ここから、「光」は、「電磁波」であるということを、マクスウェルは、提唱する。

 

この頃、「光」は、「粒子」であるのか、それとも、「波」であるのか、論争が続いていました。

ちなみに、ニュートンは、粒子説、ホイヘンスは、波動説を主張し、対立をしていた。

そして、マクスウェルは、「電気」「磁気」「光」は、電磁気学で、統一的に扱えることを示したことになる。

 

マクスウェルが電磁気学の理論を発表した1860年頃、この理論は、数学的に難解で、実験での検証も難しいと思われていたそうです。

しかし、1879年、「ハインリヒ・ヘルツ」が、実験で、電磁波を捕らえることに成功する。

ヘルツ自身は、この実験は、電磁波の存在を証明しただけで、この電磁波が、何かの役に立つとは思っていなかったそうです。

しかし、この、電磁波は、無線通信として利用され、その後の世界に、大きな影響を与える。

 

次ぎに、熱とエネルギーについて。

 

18世紀、「蒸気機関」が、発明されます。

これは、イギリスに、産業革命を起した訳ですが、フランスの「サディ・カルノー」は、イギリスに対抗するため、この「蒸気機関」の研究に取り組みます。

 

この「蒸気機関」とは、「高温の熱源から、熱を受け取り、その一部を仕事に変えて、残りの熱を低温の熱源に捨てる仕組み」であると、カルノーは、本に記しています。

これを、「熱機関」と言います。

この「熱機関」の効率は、「高温、低温の二つの熱源の温度差だけで決まる」ということ。また、熱を全て仕事に変える「効率100パーセントの熱機関」は、不可能であることを、カルノーは、突き止める。(熱力学第二法則)

 

実は、19世紀の前半まで、「熱」とは、質量の無い「カロリック(熱素)」という物質で、生成も消滅もしないと考えられていたそうです。

しかし、「ジェームズ・ジュール」が、「熱」が、「エネルギー」の一種であるということを示します。

そして、ジュールは、「熱」が、「仕事(力をかけて動かすこと)」と関係していることに気がつきます。

この「熱」が、「仕事」に変わるということが、実験で確認され、これが、「熱が、エネルギーの一種である」ということ、そして、「された仕事量の分だけ、物体のエネルギーが増える」ということが分かり、「熱」が「カロリック」ではないと言うことが分かります。

 

1847年、「ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ」は、「運動、熱、電気、化学反応など、あらゆる形のエネルギーの合計は、一定である」という「エネルギー保存則」を提唱します。

1850年には、「ルドルフ・クラウジウス」が、気体の仕事と熱に関するエネルギー保存則として、「熱力学第一法則」を、定式化する。

これは、「エネルギーは、その合計量を保ちながら、色々な形に変化をする」というもの。

 

さて、「熱」は、「高温」から「低温」に流れます。

これは、なぜなのか。

 

電磁気学を作ったマクスウェルは、「気体とは、多くの分子が飛び回る空間である」と考え、この「分子の飛び回る速度の平均値」が、気体の温度であることを明らかにした。

しかし、当時、まだ、分子、原子の存在は、実証されていなかった。

 

この研究を発展させたのは、「ルートヴィヒ・ボルツマン」で、ボルツマンは、クラウジウスが導入した「エントロピー」という物理量が、「起こりえるパターンの多さ」を表し、これが、「乱雑さの尺度」であることを見抜く。

この「エントロピー」は、時間と共に、増大する。

これは、自然界は、「秩序のある状態(低エントロピー)」から、「乱雑な状態(高エントロピー)」に向かうというのが、熱力学第二法則の本質だということを示した。

このボルツマンが確立した、分子の集団の振る舞いを、確率や統計で捕らえ、マクロな性質を説明する学問は、「熱力学」と呼ばれる。

 

次ぎに、量子論。

 

19世紀のドイツ。

製鉄業の発展により、「溶鉱炉の温度を、正確にコントロールする」ための研究が、量子論に、繋がります。

 

高温の物体の分子や原子は、熱によって激しく振動し、そのエネルギーの一部を電磁波として放出する。

これが、「熱放射」と呼ばれるもの。

この熱放射の色は、温度によって、変化をする。

この熱放射をする物体の温度と、光の波長の関係を突き止めようと、研究者は、様々な公式を考案して行く。

そして、「マックス・プランク」が、1900年、実験結果と完璧に一致をする公式を発見。

しかし、なぜ、この公式が、実験結果と一致をするのかということは、よく分からなかった。

そこで、プランクは、「光として放出されるエネルギーは、これ以上、分割出来ない最小単位がある」という仮説を立てる。

これを「エネルギー量子」と名付けました。

そして、この「エネルギー量子」は、連続した値ではなく、飛び飛びの値を取る。

このアイデアが、「量子力学」の誕生のきっかけとなります。

 

なぜ、光を発する粒子の振動のエネルギーが、飛び飛びの値になるのか。

当時、これは、物質側に、原因があると考えられていました。

そこで、登場するのが「アルバート・アインシュタイン」です。

 

アインシュタインは、この光のエネルギーの、飛び飛びの値は、物質側ではなく、光のエネルギー自身にあると考えます。

これが、「光量子仮説」と呼ばれるもの。

そして、アインシュタインは、「光」を「光子」と呼ばれる粒子の集まりだと考えました。

しかし、当時、「光」は、「波」であるというのが定説で、この「光量子仮説」は、支持されなかった。

しかし、アインシュタインは、「光電効果」の実験で、「光量子仮説」が正しいことを証明する。

 

このアインシュタインの「光量子仮説」に影響を受け、「ルイ・ド・ブロイ」は、「波と思われた光が、粒子の性質を持つならば、粒子としての性質をもつものも、波の性質を持つのではないか」と考えます。

そして、1924年、ド・ブロイは、「物質波」と呼ばれる考えを提唱します。

 

1927年、「クリントン・デイヴィソン」や「ジョージ・トムソン」が、電子が、波動性を持つことを実験で証明します。

ここで、「電子」「光子」などの、ミクロな粒子が、波としての性質を持つことが明らかとなる。

 

この「粒子が、波としての性質を持つ」ということに関心を持ち、それを表す数式を探したのが「エルヴィン・シュレーティンガー」です。

1926年、シュレーティンガーは、「波動方程式」を発表。

この波動方程式を使えば、電子の波が、空間に、どのように広がっているのかが分かり、また、水素原子のエネルギーを、正確に求めることが出来ます。

「波動力学」の誕生です。

 

しかし、「波でもあり、粒でもある」というのが、どういうことなのか。

それは、未だ、答えは出ていない。

 

次ぎは、「時間」と「空間」について。

 

電磁気学のマクスウェル方程式や、実際の観測から、「光」の速度が、秒速、約30万キロであることが分かっていた。

しかし、この光速度が、「どのような状態で観測しても、同じ」という「ニュートン力学」に対して、矛盾することが、大きな問題となっていた。

ここで、アインシュタインは、「ニュートン力学」が、間違っているという結論にたどり着いた。

これが、「特殊相対性理論」です。

 

つまり、「光速度は、誰が観測しても一定」というのは、正しい。

これが、正しいということは、ニュートン力学が間違っているというのが、自然な考えとなる。

この「光速度」を基準にして世界を見ると、運動をしている観測者の時間は遅れ、空間は縮むということを、「特殊相対性理論」によって、証明した。

 

そして、この「特殊相対性理論」から、アインシュタインは、「エネルギーと質量の等価性」を導き出す。

つまり、質量は、莫大なエネルギーに変わり、莫大なエネルギーは、質量に変わる。

これは、1932年、「ジョン・コッククロフト」「アーネスト・ヴォルトン」の実験によって、証明された。

 

1916年、アインシュタインは、「一般相対性理論」を発表。

これは「特殊相対性理論」を、あらゆる動きに対応する普遍的な理論としたもの。

 

さて、アインシュタインが発表した「特殊相対性理論」ですが、これ以前、似たような理論を、先に、提唱していた研究者がいたそうです。

それが、「ヘンドリック・ローレンツ」と「アンリ・ポアンカレ」。

彼らは、「運動する物体は長さが縮み、時間の進みが、遅くなる」という「特殊相対性理論」と同じ結論にたどり着いていた。

しかし、彼らは、「ニュートン力学」の、「時間と空間は、絶対的なもの」という前提に立っていました。

そのため、物体の長さが縮むのは、「エーテル(光を伝える物質)と物質の相互作用によるもの」と考え、時間が遅れるのは、「数式上の、つじつま合わせによるもの」と考えていたそうです。

 

ちなみに、物体の縮みを計算する「ローレンツ変換」は、「特殊相対性理論」で、使われている。

 

以上のように、天才たちの発想と研究は、この宇宙を知るための世界観を、劇的に、変えてしまう。

以前にも書いたところですが、この宇宙で起こる現象を、「数式」によって表現出来るというのは、かなり、不思議なことですが、これが、なかなか、面白い。

しかし、自身の能力では、なかなか、理解をすることが出来ないのが、残念なところ。

 

そして、今、「相対性理論」と「量子力学」の間の矛盾を統一する理論が、探求されているようですが、これが、一体、この先、どうなって行くのか。

この謎を解き明かす天才は、登場するのでしょうかね。