さて、宮武外骨が、「頓智協会雑誌」で、帝国憲法発布をパロディにして、天皇に対する「不敬罪」で、裁判となり、禁固3年の実刑判決を受けたことは、以前、紹介しました。
明治22年(1889)、宮武外骨、22歳の時のこと。
この本に、宮武外骨が、その獄中生活を回想した文章が掲載されています。
石川島の監獄に入った宮武外骨。
独房に入れられたそうです。
しかし、宮武外骨は、「これは、冤罪だ」という思いが強かったそうです。
理由は、宮武外骨本人に、天皇に対する「不敬」の意志は、無かったというところ。
そして、「頓智協会雑誌」の、この号を出版するにあたって、事前に、警察に、内容を説明し、「不敬罪にはならないだろう」という見解を得ていたこと。
そして、刑務所に入った宮武外骨は、「自分は冤罪で、刑務所に入れられた。だから、刑務作業など、一切、やらない。そのために、どのような処分を受けても構わない」と、考えたそうです。
そして、実際に、独房に入ったまま、刑務作業には、出て行かなかったそう。
しかし、この石川島の刑務所。
所長は、大浦という名前の、薩摩出身の人物で、かなり、人間の出来た人だったよう。
毎日、宮武外骨の独房を訪れ、色々と、宮武外骨に、気を遣ってやっていたようです。
一人では、寂しいだろうからと、宮武外骨と一緒に、有罪判決を受け、刑務所に入ることになった二人と、同室にもしてやったそうで、「君に、刑務作業に出て貰わないと、他の人たちに示しがつかないから、作業は、しなくても良いから、取りあえず、現場にだけは、出てくれないか」と、説得。
まあ、それなら、と、宮武外骨は、刑務作業に出ることにする。
そして、宮武外骨が、作業をすることになったのが、刑務所の中にある印刷所。
これも、所長の大浦の配慮でしょうか。
そして、何と、宮武外骨は、刑務作業の傍ら、勝手に、自分の詩集などを作って、そこで、印刷し、周囲に配ったりしていたそう。
当時、刑務所の中といっても、随分と、融通が利いたようですね。
刑務所の中など、入ったことがないので、現在の刑務所の中の様子など、どのようなものか知らない訳ですが、テレビなどで、時折、刑務所のドキュメントなどを見ると、かなり、厳しいような印象。
とても、自由が許されるような環境ではない感じ。
昔、「塀の中の懲りない面々」という本が、ベストセラーになりましたよね。
著者は、安倍譲二さん。
この本、読んでいないのですが、テレビドラマは、同じタイトルのものを、見たような気がする。
確か、主演は、渡瀬恒彦さんじゃなかったですかね。
内容は、全然、覚えていないのですが。
安倍譲二さんについて、ネットで調べてみると、良いところの家の生まれで、かなりの秀才で、運動能力も優れていたようですが、とんでもない、いわば、ハチャメチャな人生を送った人のようですね。
僕が知っているのは、テレビタレントとしての安倍譲二さんだけ。
昔は、とんでもない破天荒な人が、表舞台に出て、活躍をしていた。
今では、考えられないですよね。
今なら、ネットで叩かれて、どうしようもないでしょう。
個人的には、確かTBSの二時間ドラマ枠で放送されていた、泉ピン子さん主演の「女性刑務所」のシリーズが、好きでしたね。
また、放送されないでしょうかね。
さて、宮武外骨は、禁固3年の判決を受ますが、未決勾留日数も加えて、計3年8ヶ月も、刑務所の中に居た。
若い時の、この入獄経験が、宮武外骨の、その後の人生、「反権力」を、徹底して、貫くきっかけになったということ。
ちなみに、刑務所を出た時に、両親が、東京に出て来て、香川県の実家に連れ戻し、おとなしく、農業をさせようとしたそうですが、東京の兄が、「今後、外骨に、このようなことは絶対にさせない」と保証をして、宮武外骨は、東京に残らせて貰ったそうです。
しかし、その後も、宮武外骨の人生は、騒動が続きます。

