西田幾多郎「善の研究」を、読了。

やはり、難しく、よく分からない部分も多いのですが、それでも、かなり面白い。

これは、想定外でした。

「哲学って、こんなものだったのか」

と、言う印象で、かなり、これまで、勝手に、自分が持っていた「哲学」のイメージとは、かなり異なる。

もっとも、それは、これまで、一度も、哲学の本を、ちゃんと読んだことがないので、完全な想像に過ぎなかったのですが。

 

 

やはり、この本には、詳しい注釈、解説が付いているので、かなり、読みやすい。

本文は、かなり難しく、理解できないことも多いのですが、この注釈、解説によって、ある程度の印象は、持つことが出来る。

しかも、この注釈、解説が、本文の、すぐ近くに掲載されているので、とても、読みやすく、分かりやすい。

もっとも、この解説もまた、難しいもので、本文に比べれば、いくらかは、マシと言った程度。

そのため、僕が、この本の内容、西田幾多郎の言いたいことを、どこまで、ちゃんと理解出来ているのかは、分かりません。

もしかすると、全然、違うことを想像して、読んでいたのかも知れない。

しかし、それでも、非常に、面白く、もっと、早く、読まなかったことを後悔しているところです。

 

さて、そもそも「哲学」とは、何か。

この「哲学」は、「この世の中、世界、宇宙が、どうなっているのかという『真理』を求める学問だ」という話は、以前、ある本を読んだ時に、知りました。

つまり、「哲学者」が、何をしているのかといえば、「この宇宙全体の様相が、どうなっているのか」ということを、その頭脳を駆使して、追及している人、と、言うことになるのでしょう。

そして、今では、「科学者」と呼ばれる人たちもまた、この「宇宙の真実の姿を知る」ために研究を重ねている訳で、ニュートンやガリレオなども、当時は、「哲学者」だったという話。、

 

しかし、この「哲学者」と呼ばれる人たちの思考の範囲は、「科学者」と呼ばれる人たちの研究をする範疇を、大きく超えて、この宇宙の、あらゆるものを包み込むことになる。

それは、目には見えないもの、実際に、存在をするのかどうか、分からないものにまで、真実を求めて、その思考は、及んで行く。

つまり、「科学者」の研究範囲は、「哲学者」にとっては、不十分。

その話は、また、今後、書くことになると思います。

 

そして、本に書かれた内容に踏み込むのは、次にして、今回は、この「善の研究」という本についての解説をしたいと思います。

 

西田幾多郎「善の研究」という本は、明治44年(1911)1月に、弘道館という出版社から出版されます。

これは、西田幾多郎が、京都帝国大学に、倫理学の助教授として赴任した翌年のこと。

 

この「善の研究」は、第一編「純粋経験」、第二編「実在」、第三編「善」、第四編「宗教」から成りますが、実は、これらは、最初から、一冊の本にするつもりで書かれた訳ではありません。

 

まず、最初に書かれたのは、第二編「実在」と、第三編「善」で、この二つは、西田が、金沢の第四高等学校で、「倫理」を教えていた時に書かれた、講義の草案を元にしたもの。

この二つは、明治39年、「西田氏実在論及倫理学」という表題で、印刷されている。

最近の研究では、この二つは、それぞれ、独立した形で、雑誌にも掲載されているということ。

それとは別に、「実在論」の部分は、「実在について」という題で、明治40年(1907)3月、「哲学雑誌」に発表されているそうです。

 

第一編「純粋経験」は、最初、「純粋経験と思惟及意思」という題で、明治41年(1908)6月、「北辰会雑誌」に、発表。

次いで、「純粋経験と思惟、意志、及び知的直観」という題で、同年8月、「哲学雑誌」に掲載。

この第一編「純粋経験」は、第二編「実在」の前半で扱った主題を、更に、掘り下げて論じたもので、「善の研究」の中では、最も、学術的で、難解な部分となっている。

 

第四篇「宗教」は、元々、三つの論文だったものを集めたもの。

第一章から第三章までは、最初、「宗教論」についてという題で、明治42年(1909)5月、「丁酉倫理講演集」に掲載。

第四章は「神と世界」という題で、明治42年(1909)7月、同誌に掲載。

第五章は、「知と愛」という題で、明治40年(1907)8月、「精神界」に掲載。

 

以上のように、「善の研究」という本は、それぞれ、講義の草案や、論文を、一冊にまとめたもので、元々、一冊の本にするために書かれた訳ではない。

そのため、本文の中に、重複をするところや、同じ意味を表すのに、別の言葉が使われている部分も、多く見られ、前後関係が、おかしな部分も見受けられる。

つまり、「善の研究」という本は、文章的に、多くの不整合や不統一を抱えていて、それが、内容の理解しづらい部分の一つでもあるのですが、内容的には、体系性と統一性を維持し、思想上の矛盾や不一致は、全くと言って良いほど、見られない。

 

この「善の研究」の出版の経緯ですが、西田が、自分の思想をまとめ、一冊の本を出そうと考え始めたのは、明治41年(1908)の初め頃と考えられるそう。

そして、出版の話が具体化をするのは、西田が、学習院から京都に移る明治43年(1910)の夏頃と思われるそう。

この時、西田の手助けをしたのは、第四高等学校時代の同僚、得能文と、生徒だった、紀平正美。

得能は、出版社探しを、紀平は、編集作業を行うことになる。

この時、西田は、紀平に原稿を託し、編集を一任する。

原稿といっても、それは、すでに、論文が印刷をされた冊子や、雑誌の束だったそう。

 

得能が探した出版社、弘道館から、紀平の編集をした「善の研究」が、こうした経緯で、出版をされることになる。

ちなみに、「善の研究」という本の題名も、紀平が決めたもの。

この「善の研究」は、当初、あまり売れなかったようですが、大正10年(1921)に、岩波書店で再版をされた頃から、広く、読まれるようになる。

これは、当時、人気作家だった倉田百三が、自著の中で、この「善の研究」を持ち上げたことが一因と考えられるよう。

そして、この「善の研究」は、今でも、版を重ね、広く、読み続けられている。

これは哲学、思想関連の本では、例外的ではないかという話です。

 

さて、この「善の研究」の歴史的意義について。

 

古代ギリシャで「哲学」というものが生まれ、この「哲学」が、日本に入ってくるのは、幕末、安政年間(1854から1860)のこと。

徳川幕府は、安政3年に、蕃書調所を設置して、文書を翻訳し、西洋の進んだ科学技術、文化を取り入れようとする訳ですが、その中に「哲学」があった。

しかし、この哲学は、いわゆる実社会に役に立つ「実学」という訳ではない。

しかし、蕃書調所の教授手伝並だった、西周、津田真道の二人は、この哲学に目をつけ、独学で勉強を始める。

ちなみに、「哲学」という言葉は、西周が翻訳をした言葉。

哲学に関する多くの言葉が、この時、西周の翻訳によって、生まれることになる。

主観、客観、先天、後天、理性、悟性、感性、観念、意識、命題、還元、帰納、演繹などは、西周が、翻訳をした言葉です。

 

以後、日本の中で、哲学というものが広まって行き、哲学書も出版されることになりますが、それは、ほとんどが、啓蒙書の類で、また、他の哲学書も、日本の仏教思想や儒教思想に、西洋哲学を、安易に、合わせようとしたもので、なかなか、日本独自の哲学が生まれることが無かった。

そこで、ようやく、登場したのが、西田幾多郎「善の研究」で、この「善の研究」は、日本で最初の、自前の哲学書であり、日本における哲学の「独立宣言」の役割を担うものだったと評価をされるそうです。

 

これほど、面白い本。

もっと、早くに読まなかったことを後悔。

やはり、勝手な想像による偏見は、良くないということですね。