ついに、大河ドラマ「べらぼう」が、最終回を迎えましたね。

 

「東洲斎写楽=斉藤十郎兵衛」という説にも、辻褄を合わせて来ましたね。

「写楽工房説」は、いわゆる第一期の絵だけで、後の写楽の絵は、斉藤十郎兵衛が描いたという流れ。

これは、「写楽複数説」も含んでいる。

 

阿波国に送られることになった一橋治斉。

今後、どうなるのかと思ったら、旅の途中で、脱走を試みて、雷に撃たれて、死んでしまった。

あの世に居る平賀源内からの、天罰、と言った感じにしていましたね。

源内の投獄には、治斉が関わっているようだったので、復讐とも言える。

 

さて、一橋治斉のそっくりさんだった斉藤十郎兵衛ですが、実は、これまでも、ドラマの中に顔を出していたんですね。

一橋治斉自身も、時折、市中に、身分を隠して出没していたので分かりませんでしたが、その中に、斉藤十郎兵衛が混ざっていた。

なかなか、面白い演出ですね。

 

そして、今回、「本居宣長」が登場。

この本居宣長もまた、蔦屋重三郎が、本を手がけていたんですね。

この本居宣長から始まる「国学」は、後に、社会に絶大な影響を与えることになる。

「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」

この本居宣長の詠んだ和歌。

関行男大尉を隊長とする最初の神風特別攻撃隊の名前にも使われることになる。

 

そして、この本居宣長は、伊勢に居る訳で、蔦屋重三郎は、そこまで旅をした訳ですが、その途中で、黄表紙の話が出て来ましたよね。

その土地の人が、黄表紙を読んで「これは、どういう意味なんだろう」と、重三郎に聞く。

恐らく、恋川春町、山東京伝といった、江戸で大ヒットをした黄表紙が、後の世に残らなかったのは、当時、江戸に住んで、生活をしていた人しか、その面白さを理解することが出来なかったからではないでしょうかね。

つまり、地域、時代を超える普遍性が無かった、と、言うことになるのでしょう。

 

 

この本、そのうち、読んでみたい。

 

そして、瀬川と思われる女性が、登場しましたね。

はっきりとは語られなかったですし、顔も見せなかったようですが、なかなか、良い演出。

吉原で有名な花魁が、身請けされ、その後、幸せになったのかどうか。

史実としては、確かなことは、分からないということのようですが、平凡な生活を送ったのでしょうかね。

 

そして、蔦屋重三郎は、亡くなる。

47歳という若さ。

死因は「脚気」なんですよね。

当時、「脚気」は、「江戸患い」と呼ばれて、江戸では、深刻な病気だったよう。

確か、第14代将軍、徳川家茂が亡くなったのも、「脚気」が死因ではなかったでしょうかね。

 

この「脚気」の原因は、ビタミンB1が不足していること。

しかし、これが、なかなか、分からなかったんですよね。

何かの病原菌が元になっているのかも知れないとも考えられたようで、確か、陸軍の軍医をしていた森鴎外も、この病原菌が原因と考え、調査をしていたような話を、どこかで見た記憶があります。

 

江戸で、「脚気」が流行をしていたのは、「白米」を食べる習慣が、定着をしたから。

お米は、精米をして白米となると、このビタミンB1が無くなってしまうそう。

もちろん、ビタミンB1は、他の食物からも摂取することが出来る訳で、白米の他に、何かを一緒に食べていれば「脚気」になる確率も減るそうですが、江戸の人たちは、もっぱら、白米ばかりを食べる習慣の人が多かったよう。

そのため、江戸では、脚気が流行した。

 

昔の人は、結構、若くして亡くなっている。

人生50年。

今からすれば、短い人生ですね。