宮武外骨「滑稽新聞」の第百三十号まで、目を通したところ。
この間、「滑稽新聞」は、東京滑稽新聞社を設立し、販売を東国に拡大。
その結果、販売店も増え、北は北海道から、南は沖縄まで。
売り上げも、大きく伸ばしたようです。
そして、日露戦争は終了。
しかし、戦費の負債は、政府に、大きくのしかかっていたよう。
この戦費調達の手段一つとして「非常時特別税法」というものが制定されていたそうですが、これは、当初、「戦争の間だけ」という約束で、成立したものだそうですが、結局、戦争終了後も、この法律は撤廃されず、税金は、取られ続けることになる。
確か、現在、「源泉徴収」というものが取られていますが、これも、元々は、先の戦争の時に、戦費を集めるために設けられた税金だという話を聞いたことがあります。
それが、今でも、延々と、取られている。
やはり、国は、一度、決めた税金は、なかなか、手放さないもの。
また、鉄道の国営化も、この頃に決まったことだそうですが、これも、鉄道から上がる収入を、政府が見込んだため。
さて、大阪東区の区長、梶原平太郎という人物が、公金の使い込みが発覚をしたことによって、自殺をしたそうです。
この事件は、他の新聞でも、大きく取り上げられたそうですが、「滑稽新聞」では、この梶原平太郎の自殺に関して、「役人、議員の不正の多くが、何の取り締まりもなく、見過ごされている」と、批判をする記事を掲載しています。
これもまた、現在にも、共通するところかも。
また、藤田伝三郎に関する記事も。
この藤田伝三郎は、岡山では、児島湾の干拓事業を手がけた人物として有名で、干拓地の地名も「藤田」と呼ばれる。
藤田伝三郎は、西南戦争の時に、陸軍の御用達として、莫大な富を築いたそう。
しかし、偽金事件で、逮捕をされたこともあるとか。
この偽金事件では、罪に問われることなく、釈放されたそうですが、この藤田伝三郎が華族に列するということで、「滑稽新聞」では、「偽金事件の男を、華族にしても良いのか」と、言う記事が掲載されていました。
そして、この頃、絵葉書が、大ブームだったという話。
「滑稽新聞」の中にも、絵葉書をテーマにした挿絵が、頻繁に掲載されている。
日露戦争の記念絵葉書など、大人気だったそうです。
ある郵便局では、絵葉書を買うために集まった大勢の人に、子供、二人が、踏まれて、亡くなるという事件もあったそうです。
そして、この頃、ある猟奇的殺人事件が、世間を騒がせていたそうです。
それに関する記事も、掲載されていました。
それは、明治35年(1902)3月、東京麹町で起こった事件で、少年が殺害され、その両目が捕られ、尻の肉が切り取られていたというもの。
更に、その3年後の明治38年(1905)5月、同じ東京麹町で、薬屋の店主、都築富五郎が、何者かに電話で誘い出され、行方不明に。
その後、山林の中で、遺体となって、発見された。
この事件で、薬局に出入りをしていた「野口男三郎」という人物が、容疑者に浮上。
この野口男三郎は、少年の殺害事件の犯人でもあるのではないかということで、逮捕される。
そして、この少し前、野口男三郎の内縁の妻の兄、漢詩人だった野口寧斎が、急死をしていて、男三郎は、この野口寧斎の殺害容疑も掛けられた。
この野口男三郎(旧姓、武林)は、大阪生まれ。
キリスト教系の英語学校に進学し、その後、上京。
その弁才と柔和な性格から、寄宿先の家人や、その周囲の人たちからの信用も高く、寄宿先の近所に住んでいた野口寧斎の妹と交際し、内縁関係に。
当然、二人は、結婚を望んでいたのですが、野口寧斎の反対で、出来なかったそうです。
野口男三郎は、東京で、東京外国語学校のロシア語科に通っていたそうですが、次第に、心身共に、不調になって行き、周囲との交際も、難しくなって行ったようです。
逮捕後、男三郎は、逮捕のきっかけとなった薬屋店主の殺害を自供。
更に、義理の兄、野口寧斎の殺害を自供し、東京外国語学校の卒業証書の偽造も自白。
そして、裁判となる訳ですが、何と、野口男三郎は、少年の殺害と、野口寧斎の殺害では、「証拠不十分」として、無罪となる。
しかし、薬屋店主殺害では、有罪となり、死刑。
明治41年(1908)、死刑が執行される。享年、28歳。
この事件。
新聞が、連日、センセーショナルに報道していたそう。
また、男三郎が、獄中で書いた詩を元にした歌が、大ヒットをしたそうです。
男三郎は、獄中で、無政府主義者の「大杉栄」とも交流があったそうですね。
また、警察は、獄中にスパイを送り込み、男三郎から、何か証言を取れないかと画策していたことが世間にバレて、非難を浴びたそうです。
しかし、少年の殺害と、妻の兄、野口寧斎の殺害は、本当に、男三郎の犯行ではなかったのでしょうかね。
また、殺害された被害者が、一人の場合、現在では、死刑判決が出ることは、なかなか、無いのではないでしょうか。
やはり、命の軽かった時代ですね。
