今朝の藤井海岸。
明日から、急に、気温が下がるようですね。
北国では、すでに、雪が、かなり降っている様子。
雪の降らない土地に住んでいると、常に、雪が積もっている状況で、どのように生活をしているのか、想像がつきません。
何をするのにも、大変でしょうね。
さて、大河ドラマ「べらぼう」から。
平賀源内は、生きているのか。
と、言うことが、話題になっていましたね。
実は、平賀源内と親しかった、時の権力者、田沼意次が、密かに、獄中から助け出し、匿っていたのではないかという話。
ドラマの中では、平賀源内から洋画の技術を学び、江戸では源内と共に生活をし、あの「解体新書」の挿絵を描いた小田野直武という人物が、平賀源内を牢から助け出すのに、一役、買ったのではないかという話も。
源内の死の直後、この小田野直武が、不審な死を迎えたという話があったので、ネットで調べてみる。
平賀源内が、事件を起し、投獄された直後、小田野直武は、藩から処分を受け、角館に帰らされたそうですね。
これは、藩が、小田野直武と源内との繋がりから、事が藩に及ぶのを恐れての処分だろうと推測される。
しかし、この小田野直武の帰郷には、源内の人情事件の前という説もあり、その辺りのことは、詳しく分からないよう。
そして、安永9年(1780)5月16日、赦免をされたのだが、その翌日、17日に急死したということ。
死因は、分からないそうです。
病死や自殺、暗殺を、様々な説があるよう。
ちなみに、平賀源内が死んだのが、安永8年12月18日。
とても、関連があるとは思えない。
平賀源内が、生き延びて、天寿を全うしたというのは、やはり、英雄には、生き延びて貰いたいという願望から来た作り話でしょう。
他にも、そういう例は、たくさん、ある。
ちなみに、大河ドラマ「麒麟が来る」では、明智光秀の最期は描かれず、ラストシーンで、光秀と思われる姿が、ちらりと登場しましたよね。
果たして、明智光秀は、生き延びていたのか。
ちなみに、明智光秀は、山崎の戦いでの敗戦後も生き延び、後に、南光坊天海となって、徳川家康に仕えたという説がある。
これも、もちろん、俗説ですが、大河ドラマでは、その可能性を示唆して、終わった。
大河ドラマ「べらぼう」でも、これから、平賀源内が、姿を現わすことがあるのでしょうかね。
だとすれば、面白い。
さて、先日、ネットの記事を見ていると、喜多川歌麿に関する話がありました。
どうも、喜多川歌麿には、縁者としての女性が、二人、居ることが確認されているそうですね。
一人は、歌麿の妻ではないかという話で、もう一人は、再婚をした妻、または、娘と考えられるという話。
次回は、いよいよ、東洲斎写楽の誕生ということになるようですが、やはり、その絵は、歌麿が描くことになるのでしょうかね。
そして、十返舎一九が登場。
江戸時代に書かれた小説として、現在まで、内容と共に、有名なのは、滝沢馬琴「南総里見八犬伝」と、十返舎一九「東海道中膝栗毛」ではないですかね。
恋川春町にしろ、山東京伝にしろ、当時は、大人気作家だったに違いない。
なぜ、前者の二つの作品は、後世に残り、後者の二人の作品は、後世に残らなかったのでしょう。
やはり、内容の普遍性といったところなのでしょうかね。
それとも、ただ、単に、偶然の産物なのか。
今、現在も、日々、多くの小説が、作家によって執筆されていますが、その中で、数百年後も読み継がれている作品が、どれほどあるのか。
今、大人気作家であったり、ベストセラー作品だったりしても、後の世に、残っているのかどうか。
ちなみに、平賀源内もまた、大ベストセラー作家でもあったんですよね。
滑稽本「根南志具佐」が、大ヒット。
人形浄瑠璃の名作「神霊矢口渡」も、平賀源内の作品。
前者は、今では、知られていないのでしょうが、後者は、今でも、上演が続いているということのよう。
この「神霊矢口渡」は、南北朝の時代、新田義貞の次男、新田義興に始まる新田氏を中心にした物語のようですね。
新田義興に関しては、また、そのうちに。
