宮武外骨「滑稽新聞」の第90号辺りまで、目を通したところ。
日露戦争は、継続中。
しかし、旅順の攻略は、大きな被害を出しながらも、なかなか進まず、バルチック艦隊が極東方面に回航されるということで、国民には、不安が高まっていたという話。
「滑稽新聞」第81号の表紙には、このような記事が掲載されています。
この文章、読んでみると、なかなか、面白い。
「号外」という文字がありますが、実は、この「滑稽新聞」は、「号外」という訳ではありません。
当時、他の、多くの新聞では、日本軍の「旅順攻略戦」について、戦果が無い中で、度々、号外が出されていたようで、この記事は、それを皮肉ったものになります。
旅順陥落(一大快報、壮絶奇絶)。
我らが、待ちに待った旅順の陥落は、危機一髪、今日にあらずんば明日、明日にあらずんば明後日、今月にあらずんば来月、来月にあらずんば再来月、今年にあらずんば来年、来年にあらずんば再来年、十年の後にあらずんば百年の後、百年の後にあらずんば千万年の後、もしくは、この腐敗せる世界子リカエン(?)時には、必ず正に陥落せん事、私は信じて疑わざる所なり。
諸君乞う、楽しんでこれを待て。
大きな被害を出しながら、延々と、無意味と思える攻撃が続いたようですが、この指揮を執ったのが、乃木希典なんですよね。
恐らく、この時の乃木の指揮ぶりが、乃木希典が「愚将」だという評価にもつながるのでしょう。
もっとも、僕自身、日露戦争の事情には、詳しくないので、何とも、評価の仕様が無いところですが。
さて、この間も、「滑稽新聞」では、大阪府警との対立は続き、小野村夫(宮武外骨)の獄中日記も、連載が続いている。
その間、また、別の件で、「滑稽新聞」が、裁判を抱えることになったよう。
色々と、権力を相手に、わざわざ、もめ事を起すところも、「滑稽新聞」らしいところ。
こちら、「滑稽新聞」の新年の挨拶。
左の、頭から何かを吹き出しているのが、主筆、小野村夫(宮武外骨)。
下に並んだ名前は、「滑稽新聞」に記事を書いている人たちなのでしょうが、なかなか、面白い、ペンネームが並んでいますね。
さて、今回、気になる記事が、一つ。
湊川神社に、伊藤博文と銅像が建てられるという記事があったのですが、その記事についての注釈を見ると、その銅像、日露戦争の講和に反対をする市民によって、引き倒されることになるという話。
日露戦争の講和には、多くの国民が反対で、各地で暴動が起こったというのは、有名な話。
事情を知らない国民が、「日本は強い」と錯覚をし、時の政府に対して「弱腰だ」と反発し、暴動を起す。
幕末、尊皇攘夷運動もまた、そうですよね。
欧米列強を相手に、戦う実力は、日本には無いということを、十分に知っていた幕府が、「日本は神の国だ」と信じる民衆に、「夷狄を討て」と責められ、「弱腰だ」と非難をされる。
そして、幕府は、倒されることになる。
正しい情報を、庶民に知らせるというのは、なかなか、難しい話です。


