岩波文庫版、プルースト「失われた時を求めて」の第一篇「スワンの家のほうへ」の第三部「土地の名ー名」を読了。

これで、岩波文庫版「失われた時を求めて」の第二巻を読了ということになる。

 

 

この第三部「土地の名ー名」は、第一部「コンプレー」の後の出来事ということになる。

第一部の「コンプレー」は、語り手であり主人公である「私」の幼い時に、バカンスで来ていた田舎町「コンプレー」での出来事が描かれていた訳ですが、第三部「土地の名ー名」では、舞台は、パリに移ります。

ちなみに、「土地の名ー名」というタイトルは、第二篇「花咲く乙女たちのかげに」の第二部「土地の名ー土地」と対応しています。

 

パリに住む「私」は、旅行に出かける予定があり、それを楽しみにしていた。

行き先は、イタリアなのですが、目的地である「フィレンツェ」や「ベネチア」などと言った「土地の名前」から、様々なことを連想する。

これは、なかなか、面白いところですよね。

普通の人は、初めての土地に旅行に行く場合、その土地の「名前」から、多くのことを連想し、そこが、どのような土地なのか、想像をして楽しむのではないでしょうか。

しかし、その想像は、必ずしも、その土地の実際の様相と、合致をする訳ではない。

それは、後の物語の伏線にもなっているようです。

 

しかし、旅行を楽しみにしていた「私」ですが、病気になり、旅行に行くことが出来なくなってしまう。

そして、「コンプレー」では、「私」の叔母「レオニ」に仕えていた女中の「フランソワーズ」が、「私」の家の使用人になっていて、「私」は、フランソワーズに連れられて、「シャンゼリゼ公園」に、遊びに出かけることになる。

 

シャンゼリゼ公園では、他の子供たちも遊んでいたのですが、その女の子のグループの中に居た「ジルベルト」という女の子のことを、「私」は、好きになる。

そして、「私」のジルベルトに対する恋心が、延々と、語られることになる。

これは、幼い子供の初恋で、読んでいると、なかなか、可愛らしいもの。

 

実は、この「ジルベルト」は、あの「スワン」と「オデット」との間の娘でした。

第二部「スワンの恋」で、破局したはずの二人は、結婚をして、娘を持っていた。

これは、第一部「コンプレー」でも、少し、登場した話ですが、「私」は、コンプレーに居た時、スワンが、自分の家族と交流があったことに、あまり興味がなく、よく覚えていなかった。

しかし、ジルベルトに恋心を持ったことで、「私」は、その父親であるスワン、そして、母親であるオデットに、憧れのような感情を持つ。

そして、スワンを理想の男性、オデットを理想の女性のように感じることに。

 

そして、最後には「ブローニュの森」のシーンとなる訳ですが、このシーンの途中から、時間が、過去から現代の「私」の語りに戻る。

訳者による後書きにありましたが、このシーンは、当初の予定から、内容が変更されたために、付け加えられたものだそうです。

 

この第三部「土地の名ー名」は、後に続く物語への導入部といったような感じで、それほど、長くはない。

さて、岩波文庫版の第三巻に入るのが、楽しみなところ。

 

訳者の後書きにありましたが、第二部「スワンの恋」は、それだけで、独立をした物語としても読めるようで、フランスでは、この「スワンの恋」だけの本も、出版されているということ。

 

このプルースト「失われた時を求めて」の「スワンの恋」は、それまでの恋愛小説の常識を覆すもの、と、言うことになるそうです。

つまり、それまでの恋愛小説では、(現在でも、多くの恋愛物語が、そうですが)、主役となる男女は、基本的に、相手の言動、容姿に、恋愛感情を持つことになり、それが、物語の中心となる。

しかし、この「スワンの恋」で、スワンは、オデットの「容姿」や「言動」に、恋愛感情を持った訳ではない。

スワンが、オデットに恋愛感情を持ったのは、スワンの「主観」から来る「錯覚」です。

つまり、現実として、目の前に存在をするオデットに恋愛感情を持った訳ではないということが、延々と、語られる。

 

そして、オデットは「粋筋の女」(ココット)と呼ばれる女性ですが、この「粋筋の女」が、どういう女性なのかという説明も、後書きにありました。

この「粋筋の女」(ココット)とは、高級娼婦と呼ばれる女性のようです。

しかし、オデットのような「粋筋の女」は、自分が、相手の男を選ぶことが出来たそうです。

そして、スワンは、オデットに、毎月、二百数十万円のお金を渡していた。

 

スワンは、オデットと結婚をしたことで、パリ社交界を追放されることになるようですが、それは、また、後の物語で語られることなのでしょう。