映画「股旅」を鑑賞。

監督は、市川崑。公開は、1973年。

 

 

 

時代劇「木枯らし紋次郎」の大ファンとしては、とても、良い映画でした。

やはり、市川崑監督の時代劇は、素晴しい。

こういう映画が、見たかった。

と、言ったところ。

 

時代は、江戸時代後期、天保の頃。

主役となるのは、三人の渡世人です。

 

この三人の渡世人を演じるのは、小倉一郎(源太)、尾藤イサオ(信太)、萩原健一(黙太郎)。

彼らは、アテの無い旅の途中で知り合った、いわば「旅は、道連れ」の関係。

この三人の旅を通して、当時の「渡世人」の生活、仕来りが、ナレーションで語られ、なかなか、興味深いもの。

 

冒頭、三人の渡世人が、ある家で、草鞋を脱ぐところから映画は始まる。

互いの挨拶。

いわゆる「お控えなすって」と言う、「仁義を切る」ということが、最初に行われる訳ですが、非常に、細かい、決まり(ルール)があったようですね。

渡世人は、この、独自のルールを守って、行動をしなければならない。

 

また、いわゆる「一宿一飯の義理」というもの。

渡世人は、ある家で、草鞋を脱ぎ、そこで、お茶を飲む、飯を食べるということを一度でもすると、その家のために、働かなければならない。

例えば、その家が、自分の親分と抗争をするということになれば、渡世人は、「一宿一飯の義理」を優先して、自分の親分を相手にしても、戦わなければならなかったそう。

 

そして、源太、信太、黙太郎の三人は、どこか、立派な親分の元に所属をし、出世をしたいと思い、旅を続けている。

 

いくつかの家に、草鞋を脱ぎ、「一宿一飯の義理」を務めた後、源太、信太、黙太郎の三人は、二井宿の番亀一家に、世話になることになる。

そこで、源太は、父の安吉と、偶然、再開をした。

 

安吉は、もう、何年も前に、妻と子供たちを捨てて、村を出た後、行方不明。

そして、この村で、女と生活をしながら、番亀一家に寺銭を払い、百姓相手の賭場を開いて、生活をしていた。

 

安吉は、源太もまた、家族を捨てて、渡世人になってることに驚いたが、源太を、自分の家に呼び、歓迎をする。

しかし、源太には、自分たち家族を捨てて、姿を消した父親に、複雑な感情があった。

 

また、源太は、安吉の家に行く途中で、安吉が賭場での借金を回収に行っている先の農家の若い嫁、お汲が、髪をといているのを見て、好意を持ち、襲う。

実は、この、お汲は、お金で売られて、この家の年老いた主人のところに嫁に来ていた女性。

お汲は、源太を、受け入れる。

 

実は、安吉は、番亀一家から、賭場を乗っ取ることを考え、その策略を巡らしていた。

それは、わざと、イカサマをさせ、それを、わざとバラし、賭場の評判を落として、その賭場を奪おうというもの。

しかし、その企みが、番亀一家にバレてしまい、また、番亀は、安吉が、今、自分の家に居る源太の父親だということ知る。

 

怒った番亀は、源太に、父親の安吉を殺して、首を持って来いと命令する。

源太は、一体、どうするのか。

「渡世の義理」を優先するのか。

それとも、「親子の関係」を優先するのか。

 

源太は、家を出て行く。

源太は、お汲の家に向かった。

そして、お汲に、「一緒に、逃げよう」と提案する。

お汲は、それに、同意した。

そして、源太は、安吉の家に行くが、安吉は、どこかに出かけて留守。

源太は、安吉を、探しに行く。

 

父親を殺しに行ったと思った信太と黙太郎は、源太を追いかけて、安吉の家に向かった。

安吉は、家に居たが、源太は、居ない。

どうしたのかと思うと、そこに、源太が、入って来た。

信太と黙太郎が止めるのも聞かず、源太は、父、安吉が、家を捨てて、出て行った後、自分たちが、どれほどの苦労をしたか、怨みを叫びながら、安吉を、殺害する。

父親を殺した源太は、その遺体を寝かせ、自分もまた、その隣で、寝た。

 

安吉を殺すことで「渡世の義理」を果たした源太。

源太は、家を出て旅に出るため、番亀に「添え状」を求めるが、番亀は、「父親殺しは、大罪だ。そんな奴に、『添え状』を出す訳には行かない」と、源太を、手ぶらで、家から追い出す。

番亀は、ついでに、信太と黙太郎も、一緒に、家を追い出した。

 

源太、信太、黙太郎の三人は、お汲を加えて、また、旅に出る。

源太には、「父親殺し」の凶状が出され、源太は、追われる身となっていた。

 

四人は、源太の故郷に向かった。

その途中で、お汲にちょっかいを出そうとした信太が、お汲に突き飛ばされ、竹を踏み、足を怪我してしまう。

 

四人は、源太の故郷に到着。

しかし、源太が住んでいた家は、廃墟となっていて、誰も居ない。

そこで、源太は、一人の子供と遭遇する。

それは、源太の弟だった。

弟から話を聞くと、母親と、他の妹、弟は、遠くの土地に移ったということ。

その弟は、他の家に貰われて、ここに残っているということ。

つまり、一家は、離散。

 

お堂の中で、休息をしていた四人だったが、そこに、お汲の主人の息子が現れた。

息子といっても、お汲よりも、年は上。

「お前が居ないと、家が困るので、連れ戻しに来た」

と、息子は、言う。

「親が死んだら、お汲を、自分のものにするつもりだろう」

と、源太たちは言うが、

「そんなことは、考えていない」

と、息子は言った。

息子は、お汲に、自分が持っていた鎌と荷物を預けて、一緒に帰ることにする。

お汲は、素直に帰る様子を見せたが、息子が背中を見せた時、お汲は、その背中を、鎌で斬りつけて、息子を殺害する。

 

どうしても、家に帰りたくないというお汲だが、このまま、ずっと、行動を共にする訳にも行かない。

源太と信太は、相談の末、お汲を、飯盛女として売ることにする。

お汲もまた、それに同意した。

源太は、お汲を、連れて行く。

お汲を、飯盛女として売る時に、

「お前が嫌なら、やめても良い」

と、源太は言うが、

「迎えに来てくれるまで、ここで、待ってる」

と、お汲は、言った。

源太は、涙ながらに、お汲と別れる。

 

信太の足の怪我は、悪化をし、破傷風を発症していた。

苦しむ信太に、黙太郎は、祈るしか方法が無い。

そして、信太は、お堂の中で、亡くなる。

 

源太と黙太郎は、下総国に向かった。

そこで、飯岡一家の半兵衛のところに草鞋を脱ぐが、そこで、黙太郎が、半兵衛が、笹川一家に寝返ることを、偶然、耳にして、家を離れる。

「半兵衛の首を持って、飯岡一家に行けば、良い待遇をしてもらえる」

と言う黙太郎に対して、源太は、

「渡世の義理があるので、そのようなことは出来ない」

と反論。

そして、草むらの陰に隠れていた源太と黙太郎の前を、笹川一家のところに向かう半兵衛が、通りかかる。

黙太郎は、半兵衛を斬ろうと、追いかけた。

そして、それを止めようと、源太が、黙太郎を追いかける。

 

黙太郎は、半兵衛に斬りかかったが、失敗し、逃げられてしまった。

更に、半兵衛を追いかけようとする黙太郎の前に、源太が、立ち塞がる。

二人は、斬り合いになった。

源太は、黙太郎の腕に、一太刀を浴びせるが、黙太郎は、源太を振り切り、更に、半兵衛を追いかける。

それを、源太は追いかけるが、足が絡まり、道の横の斜面に転落。

斜面を転がり落ちた源太は、岩に、頭をぶつけて、死んでしまった。

 

姿が見えなくなった源太を、「野ぐそでも垂れに行ったのかな」と、探す黙太郎。

 

ここで、物語は、終わります。

 

何とも、空しく、悲しい話。

 

無宿渡世の生きる道の哀しさが描かれている。

 

源太は、貧しく、苦しい百姓の生活が嫌で、家を飛び出し、無宿渡世の道に入った。

その後、一家は離散。

これは、あの「木枯らし紋次郎」の主役、紋次郎と同じ。

当時は、こういう人も、多かったのでしょう。

 

しかし、紋次郎は、「一宿一飯の義理」に縛られるのに嫌気がさし、土地の親分の世話になることは止め、旅を続ける。

源太たちは、逆に、どこかの親分の世話になり、渡世人として、それなりの立場を得たいと、土地の親分の元を渡り歩く。

その結果、「渡世の義理」で、父親を殺すことになってしまう訳ですが、結局のところ、使い捨てにされてしまう。

悪人の組織とは、昔も今も、そういうものでしょう。

 

そして、やはり、問題は、「貧しさ」です。

 

源太は、貧しさのために、家族を捨てて、渡世人になる。

お汲は、貧しさのために、お金で買われて、自分の親以上の年齢の男の家に、嫁に行くことになる。

そして、源太たちが、お汲を、飯盛女として売ることに決めたのは、飯盛女になれば、取り合えず、住む場所と、食べるものは確保することが出来る。

飯盛女として売ることに決めたのは、お汲の生活を思ってのこと。

 

しかし、「飯盛女」とは、宿場などで、客を相手に、身体を売る女性のこと。

源太は、「三年したら、迎えに来る」と言っていたが、それまで、生きていられるかどうか。

 

そして、確か、小説の「木枯らし紋次郎」の中に書かれていた話だと思うのですが、無宿渡世の人間が、40歳くらいまで生きていられるのは希だったということ。

 

何とも、厳しい時代です。