先の日曜日、宮武外骨の「滑稽新聞」を読もうと、図書館へ。
一時間ほどで、1号から、5号辺りまで、目を通しました。
この「滑稽新聞」は、生涯にわたって、数多くの出版物を手がけた、宮武外骨の代表作。
タイトルは「新聞」となっていますが、内容的には、今で言うところの「週刊文春」や「週刊新潮」といった、週刊誌に近い。
もっとも、ページ数は、今の週刊誌ほど、多くはなく、その点は、薄い新聞と言った感じです。
明治34年(1901)に、第1号が、大阪で、出版される。
やはり、文章は、今から見れば、なかなか、読みづらいもの。
しかし、内容は、毒舌と、ユーモア、風刺にパロディが満載で、面白い。
一号ごとに、当時の状況を説明する解説がついていて、それもまた、面白いもの。
当時は、基本的に、「言論の自由」には、制限がついていた訳で、出版物を取り締まるものとして、「出版法」というものと、「新聞紙条例」というものがあったそうですね。
そして、内容に、政治的発言を含むものは、「新聞紙条例」の対象になったそうで、出版をするためには、事前に、決まった額のお金を納める必要があったそうです。
この「滑稽新聞」は、当初、政治的な発言を含むものではないということで、発行を始めたそうですが、すぐに、内容が政治的なものと判断され、「新聞紙条例」の対象とされ、お金を払って、出版を続けることになったそうです。
この「政治的発言」と判断される対象となったのは、この「滑稽新聞」が、第1号から、厳しく批判をしていた他者の新聞や新聞記者に対する内容のよう。
この「滑稽新聞」は、大阪で発行されていて、同じ大阪の「大阪毎日新聞」などを、「ユスリ新聞」、その記者を「ユスリ記者」として、激しく、攻撃をしている。
さて、面白いと思った記事を一つ。
それは、当時の「宗教」に関するもの。
宮武外骨の批判は、当時の宗教にも向けられていた訳ですが、その中で、一つ、面白い話。
当時、アメリカの「モルモン教」が、日本での布教を始めるという話があったようですね。
この「モルモン教」が、当初、「一夫多妻制」を認めていたということは、以前も、書きました。
記事の中では、記者が「日本人には、助平な人が多いから、モルモン教が、日本に布教に来たら、仏教の僧は、困るでしょう」と聞くと、僧は、「なに、一夫多妻なら、以前から、私たちもやっていますから」と、答えたということ。
何とも、皮肉が効いている。
もちろん、この記事は、取材をした事実を書いている訳ではなく、日本の仏教の実状を皮肉るために書かれたものでしょう。
また、続きを、読みに行かないと。