韓国で、旧統一教会のハン総裁が、逮捕されたという話。

容疑は、前のユン大統領政権との癒着ということ。

どうも、前大統領の奥さんに、高級バッグを送ったり、有力政治家に、お金を渡したりしたとか。

このニュースを見て、「なんで、今更?」と、思ったところ。

恐らく、旧統一教会は、長年に渡って、政権と癒着をして来たのではないでしょうかね。

しかし、今回、逮捕されたというのは、良い結果でしょう。

問題は、日本ですよね。

 

自民党の有力議員たちの旧統一教会詣で。

あの一連を映像には、馬鹿らしいものがありましたよね。

今回、逮捕された総裁を「マザームーン」なんて呼んでいる政治家も居ましたよね。

しかし、もはや、用なしでしょう。

 

旧統一教会は、長年に渡って、日本で、大きな問題を起し続けていたのに、教団、そして、総裁は、何の責任も問われることが無かった。

恐らく、これは、政権与党である自民党との癒着が原因。

日本の政治家もまた、旧統一教会から、多くのお金を貰っている政治家がいるのではないかと想像するところ。

もし、安倍さんが、あのような事にならなければ、恐らく、今でも、旧統一教会は、何の問題も、表沙汰になっていないはず。

とても、怖いことですよね。

 

政治と宗教。

これは、なかなか、厄介な問題ですよね。

宗教は、政治に接近をし、勢力を伸ばそうとする。

そして、政治は、その宗教を、何かと、政治的に利用しようとする。

だから、現代の先進国では、基本的に「政教分離」が、憲法などで決まっている。

政治が、特定の宗教を支援したり、民衆に、特定の宗教への信仰を、強制してはならない。

 

もっとも、それは、国によって事情も違う訳で、イスラム教を政治の基盤にしている国は、多い。

また、欧米では、キリスト教が、国家の基本になっているのでしょうが、政府が、キリスト教を支援している訳でもなく、国民に、キリスト教の信仰を、強制している訳でもない。

 

日本では、かつて、国家神道というものがありましたが、これは、明治に入ってから、新しく作られたもの。

明治政府が作った、新しい「宗教的なもの」という特殊な事情がある。

果たして、これを、宗教と呼ぶことが出来るのかどうか。

個人的には、疑問のあるところでもある。

 

かつては、公明党と創価学会の関係が、度々、問題になっていましたが、近年は、聞かない印象。

もし、仮に、公明党が、衆議院で過半数を取り、政権を取ったとすると、創価学会と政府との関係は、どうなるのでしょうね。

やはり、政治に、大きな影響を及ぼすことになるのでしょうか。

 

一時期、「幸福の科学」が、幸福実現党という政党を作り、選挙に候補者を立てていたようですが、最近は、聞かない気がする。

やはり、総裁が無くなったので、それどころではないのですかね。

もっとも、政治に進出をしたいというのは、総裁の意図でしたのでしょうから、総裁が無くなれば、選挙に出る意味も無いということになるのかも知れない。

 

と、色々と、余計なことを書きましたが、問題は、正体のよく分からない新興宗教ですよね。

オウム真理教が、大きな問題を起したのは、記憶に新しいところですが、あれほど、極端なものではなくても、何らかの問題を起している新興宗教は、多いのだろうと想像します。

しかし、その実態を、外から見抜くというのは、なかなか、難しいところでもある。

かといって、中に入ってしまってからでは、もはや、手遅れ、ということになりかねない。

 

1993年に公開された「教祖誕生」という映画があります。

見たのは、かなり昔ですが、なかなか、面白かった。

 

 

主演は、ビートたけしさん。

原作小説も書いている。

本当に、多才な人ですよね。

 

 

内容を、ネットで、おさらい。

 

たけしさんが演じているのは「司馬」という男。

ホームレスの老人を連れて来て「教祖」に仕立て上げ、インチキな「奇跡」を見せて、宗教を隠れ蓑にして、金儲けをしている。

しかし、こんな、インチキな金儲けのための宗教団体にも、熱心に、信じている信者も存在している訳で、それが、玉置浩二さん演じる「駒村」という男。

 

ここが、宗教の、厄介なところですよね。

金儲けのためのインチキ宗教でも、熱心な信者は、存在する訳で、一度、信じてしまうと、自ら、情報をシャットアウトしてしまう訳で、他の人の聞き耳を持たない。

 

このインチキ宗教が、布教活動をしているところに、萩原聖人さん演じる「高山」が通りかかる。

高山は、「何か、変だな」と思いつつも、興味を持って、教団と行動を共にすることに。

 

そして、高山は、教団の内情を知ることになる。

暴力と、金儲け。

そして、「教祖を辞めたい」と、ゴネる老人は、暴力の末に、追放され、司馬は、高山を、二代目教祖に据える。

 

教祖となった高山は、自ら、「自分は、教祖だ」という自覚が強くなり、修業に打ち込むようになる。

 

教団の中では、内輪もめに末に、司馬が、駒村を殺害。

司馬は、逮捕され、刑務所に入るために、教団を離れる。

その間、高山は、ますます、神がかり的になり、本当に、自分は、教祖に相応しい、凄い人間だと思い込む。

 

そして、5年後、教団は、すっかり、高山教祖のものとなり、刑務所から出た司馬は、また、初代教祖の老人を連れて来て、一から、布教活動を始めていた。

 

こういった、「金儲け」のために、宗教を、隠れ蓑にしている団体は、多いでしょう。

しかし、それでも、熱心に信じている人も居るのですから、宗教とは、厄介なものです。