今朝の藤井海岸。
どんよりと、雲がありますね。
余所では、多くの雨が降ったという報道ですが、この辺りは、幸い、それほどの雨は、降らなかった。
沖合に、船が、一隻。
タグボートが、寄り添っていました。
さて、最近、有名芸能人の訃報が、相次ぎましたよね。
上條恒彦さん。
露口茂さん。
橋幸夫さん。
そして、吉行和子さん。
上條恒彦さんは、あの時代劇「木枯らし紋次郎」のオープニングテーマ、「だれかが風の中で」を、歌っているんですよね。
映像の素晴らしさと共に、大好きな歌です。
さて、上條恒彦さんと、吉行和子さんは、あのドラマ「金八先生」にも、出演しているんですよね。
武田鉄矢さんも、訃報を受けて、コメントを出していましたね。
残念でしょう。
しかし、年齢は、どうしようもない。
僕が、「金八先生」を、リアルタイムで見たのは、パート3から。
パート1、と、パート2は、再放送で、見ました。
昔は、夕方は、再放送のドラマが、たくさん、放送されていた。
人気のドラマは、何度も、再放送されていましたよね。
このドラマで、武田鉄矢さんが演じる「坂本金八」は、教師の、一つの理想像ですよね。
公私に関わらず、常に、生徒のことを思い、生徒のために、全力で、行動する。
しかし、こういう行動の出来る人物は、なかなか、居ないでしょう。
ましてや、現代の教師は、様々なことで、忙しく、それどころではないのではないでしょうか。
さて、僕は、物心ついた頃から、大人と接することが苦手で、保育園に通い始めた頃から「先生」という存在に、親しみを感じたことがない。
そのため、先生という人には、出来るだけ、関わらないようにして来た。
もちろん、先生を相手に、個人的な話をしたことなど、一度も無い。
だから、恩師と呼べる人も、居ない。
しかし、先生、教師に対して、嫌な思い出なら、いくつか、あります。
思いつくままに、いくつか、挙げてみようと思います。
まず、小学校二年生の時。
その日は、担任の先生が休みで、若い男の先生が、教室に来て、自習の見守りをしていた。
しかし、その自習の時間中に、「お喋りをしている人が居る」ということで、その先生は、罰として、児童、数人に、何と、油性のマジックで、顔に、落書きをしたんですよね。
その中の一人に、当時、僕と仲の良かった友達が居て、彼は、口の下に、髭のようなものをマジックで描かれ、「消えないから」というので、その日、一日、マスクをつけて、過ごしていた。
今、このようなことをすると、恐らく、「体罰だ」ということで、全国ニュースで、取り上げられ、大騒ぎになるのではないでしょうかね。
次は、小学校三年生の時。
その時の担任は、中年の男の先生。ちょっと、変わっていて、良い意味で「先生らしくない」先生で、児童からも人気があった。
僕も、好感は、持っていたのだが、やはり、個人的に、先生と接しようとは、思わなかった。
しかし、ある時、先生が、授業中に、あるテレビアニメの話をしていて、僕は、その時、席は、最前列。先生は、僕の、すぐ目の前に立って、話をしていた。
すると、その中で、先生が、そのアニメについて、間違った話をしたので、僕は、思わず、「それは、違います」と、なぜか、訂正をしてしまったんですよね。
恐らく、先生が、すぐ目の前に居て、声が届いたからだろうと思います。
すると、先生は、「お前、詳しいな。今でも、家では、〇〇をして、遊んでいるんじゃないか」と、クラスメイトの前で、僕を、揶揄した。
そうしたら、クラスメイトたちは、僕のことを「〇〇」という、嫌なあだ名で、呼ぶようになってしまった。
僕が、完全に無視をしていると、「〇〇」というあだ名では、呼ばれなくなったのですが、その後、何かの機会にも、「〇〇」と呼ばれることがあり、そのあだ名は、消えた訳ではなく、僕の名前と共に、当時のクラスメイトの中では、根強く、残っているのだなと、実感をした。
僕が、生涯、あだ名で呼ばれたのは、この時だけ。
しかも、嫌な、あだ名で、それは、実質上、その担任が、僕につけたのと変わらない。
嫌な思い出です。
そして、小学校の四年生の時。
図書館で本を借りて、返したのですが、教室に、「本が、一週間の期限を過ぎても、返っていない」という通知が、僕に、来た。
僕は、その本を、確かに、図書館に、返している。
そこで、放課後、職員室にいる、図書館の担当の若い女性の先生のところに、「本は、返したのですが」と、伝えに行った。
「いや、返ってない」
「返しました」
この押し問答が、しばらく続き、らちが明かないので、先生が、
「だったら、その本を持って来い」
というので、僕は、図書館に行き、返した本は、当然、棚にあるので、それを持って職員室に戻った。
そして、その本を見せると、先生は、「返却カードが、入ってないじゃないか」と、僕に、言った。
返却をする時に、カードを入れなければならないのを忘れいたので、「返却されていない」ということになってしまっていたらしい。
普通なら、そこで「今度から、ちゃんと、カードを入れ忘れるなよ」と、注意をすれば、済むことだと思うのですが、そこから、僕は、職員室で、その先生に、一時間ほど、怒鳴られ続けることになる。
そして、泣いて、職員室を出たのを覚えている。
ただ、カードを入れ忘れたというだけで、なぜ、それほどまで、長時間、怒鳴られ続ければならないのか。
今でも、思い出すと、腹の立つところ。
高校一年の時。
高校に入って、まだ、間もない頃、ある授業を受けていた時に、どういう流れだったのかは、記憶にないのですが、中年を、やや越えたくらいの男の先生が、僕に、「もう、高校生としての自覚は、出来たか」と聞いた。
僕は、「いや、まだです」と、反射的に、答えたのですが、すると、「それでは駄目だ。早く、高校生としての自覚を持て」と、突然、怒鳴られた。
「は? なぜ、そんなことで、怒鳴られなければいけないんだ」
と、思ったところ。
そして、同じ、高校一年の数学の時間。
こちらは、中年より、やや若い程度の男の先生でしたが、僕に「二次方程式の解の公式」を質問して来た。
僕は、本当なら、覚えているのですが、とっさに、ど忘れをして、返答に詰まってしまった。
すると、先生は、何だか、激怒したような感じで、大声を出し、
「この程度のことは、ちゃんと覚えろ」
と、僕に向かって、怒鳴った。
なぜ、ちょっと、答えられないだけで、そんなに、怒鳴られなければならないのか。
そして、先生、教師を、長年、見ていて思ったこと。
先生、教師という人は、基本的に、僕のように、一見、大人しく、真面目にしている人に対して、言動が厳しくなるような人が多い気がする。
そして、不真面目で、態度の悪い、いわゆる、不良生徒には、言動が甘く、ご機嫌を取るような感じで、これがまた、見ていて、腹が立つ。
僕は、先生、教師の前では、出来るだけ、喋らず、出来るだけ、距離を取り、関わらないように振る舞って来た。
どうも、それが、「真面目」に見えるのか、余計なことを言われ、余計なことを頼まれることが、多々、ある。
学校を卒業すると、もう先生、教師とは、関わることがなくなり、良いことなのですが、今度は、社会の中で、目上の人、上司、立場が上の人と、関わらなければならない。
それもまた、苦手で、嫌なことですが、これは、生きていくために、働くとなると、どうしても避けられないこと。
これもまた、辛い話です。