先日、あるドラッグストアに行くと、このような光景が。

 

お掃除ロボットが、掃除中です。

 

あっちに行ったり、こっちに行ったり。

見ていると、面白い。

 

さて、この「掃除」というもの。

 

日本では、自分の使う場所は、自分で綺麗にするのが当たり前で、お店の掃除など、そのお店の従業員が、するのが、当たり前なのではないでしょうかね。

スポーツの国際的な大会などで、日本人の観客が、自分の座っていた場所の周辺を掃除をするのを、外国人が見て、驚きを感じていることが、時々、報道をされますが、日本では、ごく、当たり前のこと。

 

こういう「お掃除ロボット」が、店の中の掃除をしてくれると、従業員が、掃除をする手間が省けて、仕事が楽になるということになるのではないでしょうかね。

だから、こういうものが普及をすることは、日本では、良いことなのかも知れない。

 

しかし、外国では、少々、日本とは、事情が違うのではないでしょうかね。

以下は、個人的な、想像です。

 

外国の人たちは、基本的に、「自分で、自分の遣った場所の掃除をする」という習慣が無いよう。

学校の中の清掃を、生徒たちが、自分でするのではなく、清掃業者が行うということが、それを、よく示している。

外国では、「掃除をする」というのは、日本の社会のような「生活習慣の一つ」ではなく、「対価を貰うための労働」ということになる。

だから、「学校で、生徒に、清掃作業をさせる」ということは、生徒に「意に反する労働をさせる」ということで、「ペナルティ」に当たるらしい。

 

そして、社会の中でも、それが常識で、「清掃」とは、「清掃業者」が、「対価を貰って」、「仕事として」行うこと。

そのため、街の中など、ゴミが散らかり、相当に、汚いという話。

外国人が、日本に来て、まず、驚くのは、「街が、綺麗だ」ということのようですね。

それは、日本社会では、「自分の出したゴミは、自分で片付ける」というのが当たり前で、基本的には、多くの人が、自分のゴミを、自分で片付けるようにしているからでしょう。

 

さて、「清掃作業」が、「対価を貰う労働」である外国で、「お掃除ロボット」が、普及をすると、どうなるのか。

それは、「清掃を仕事にしている人」の、仕事が、ロボットに奪われる、と、言うことになる。

これは、かなり、大きな問題なのではないですかね。

 

実は、最近、アメリカで、大学を卒業した人の就職率が、かなり下がり、日本で言うところの「就職氷河期」が訪れているというネットの記事を見ました。

 

それは、なぜなのか。

 

今、アメリカでは、「AIの普及」によって、多くの人が、仕事を奪われているそうです。

 

つまり、新卒の学生がするような仕事の多くが、「AI」によって、代用が可能だということ。

 

想像をすると、文章を書く仕事、データーの収集や分析、プログラマーなど、他にも、多くの仕事が、未経験の新人にやらせるよりも、「生成AI」を使った方が、効率的に、しかも、正確に、行えるようになった。

これでは、わざわざ、「人」を雇うことは、しないでしょう。

 

では、大学を出た人が、「生成AI」によって代用の出来ない「肉体労働」に従事することになるのかと言えば、それは、なかなか、難しいことなのではないでしょうか。

大学で、専門的な知識を勉強した人が、農業、漁業に従事するのか。

また、建築作業、土木作業に、従事するのか。

恐らく、しない。

なぜならば、そのような仕事をするために、大学で勉強をした訳ではないから。

このプライドを捨てることは、なかなか、難しいのではないでしょうか。

 

そして、これからは、恐らく、この「生成AI」を、使いこなせる人、または、「生成AI」を作ることが出来る人。

こういった、一部の人が、とんでもない高収入を得ることになる。

そして、それ以外の多くの人は、基本的には、肉体労働に従事し、低賃金に、甘んじなければならない。

 

元々、アメリカは、「格差社会」と言われていますが、恐らく、この「格差」は、今後、更に、加速、拡大をするでしょう。

一部の大金持ちと、多くの、貧しい人。

先日、韓国でもまた、「貧困」が、大きな問題になっているというネットの記事を見ました。

確か、以前、韓国の平均年収が、日本の平均年収を超えたという記事を見たような気がします。

この「平均」というのは、かなりのくせ者で、貧困者が多く居ても、一部の超大金持ちが、この「平均」を引き上げる。

大統領選で見えた、アメリカ、韓国の社会の分断は、この「格差」が、一因になっているのだろうと思います。

 

文明の発達が、必ずしも、人を幸せにする訳ではないということなのだろうと思うところ。

その恩恵を得るのは、一部の、優秀な人だけ。

と、言うところなのかも知れない。