今年の初めから、トランプ大統領の関税政策が、世界を、振り回していますよね。

一体、この「関税」とは、何なのか。

何時、どのようにして始まり、今に、至るのか。

その歴史が、雑誌「歴史街道」の今月号に載っていました。

 

 

関税とは、何時、どこで、始まったのでしょう。

正確なところは分かっていないそうですが、古代エジプトの時代には、すでに関税は存在していたそうです。

古代国家の多くで、関税を導入していましたが、特に、古代ギリシャでは、関税が、主な収入源になっていたそう。

 

なぜ、古代ギリシャで、関税が、主な収入源になっていたのか。

それは、市民の力が強く、市民から、税を徴収するのが、なかなか、難しかったから、と、考えられているそうです。

関税というのは、政府にとって、非常に取りやすい税で、徴収の手間も少ない。

そのため、古代国家の多くで、関税が財源の中心になっていたそうです。

 

日本での関税は、奈良時代まで遡るそうです。

757年に制定された養老律令の中に「関市令」というものがあり、この関市令では、外国貿易について、国家の買取占有権が定められていた。

つまり、輸入品のめぼしい物を、国家が優先的に買い取ることが出来る。

つまり、貿易の、最も、うま味のあるところを、国家が取る。

 

しかし、平安時代の後半になると、有力貴族が、国家よりも先に、輸入品を買い取るケースも出て来るようになる。

また、密輸も、横行することになる。

これによって、大もうけをしたのが、平家一族です。

 

関税は、中世になっても、世界各国の重要な財源だった。

中世ヨーロッパの国王たちは、税収を得るため、自国の産業を守るために、主要な商品に、高い関税を掛けていたそう。

そして、この関税を避けるために、密貿易が行われた。

この、密貿易を取り締まるために設定されたのが「公海」だそうです。

 

この公海を、最初に設定したのが、イギリスです。

イギリスの掛けた高関税を回避するために行われた密貿易。

その密貿易を取り締まろうとするイギリス政府。

密貿易は、海上で、取り引きをすることが多い。

そのため、「洋上徘徊防止法」というものが制定されることになる。

この法律により、イギリスの沿岸警備隊が、船を臨検することが出来るようになった。

19世紀、イギリスは。臨検の出来る範囲として、国内船は、300海里、外国船は、3海里と決める。当時、海は、その国の領土とは考えられていなかったので、これは、イギリスが勝手に決めたもの。そのため、臨検された外国の船は、度々、イギリスに抗議をすることになる。

その結果、国の主権の及ぶ「領海」や、自由に航行できる「公海」の概念が生まれたそう。

 

そして、15世紀末から始まる「大航海時代」は、オスマン帝国の関税を逃れるために始まったそうです。

当時、ヨーロッパでは、アジアから輸入する香辛料が欠かせないものだった。

しかし、中近東で、オスマン帝国が、強大な力を持ち、このオスマン帝国を経由して輸入をする香辛料には、オスマン帝国によって、高い関税が掛けられ、「胡椒1グラムは、銀1グラムと同じ」と言われた。

そのため、スペインやポルトガルは、オスマン帝国を通さずに、香辛料を輸入する方法を模索することになる。

そこで生まれたのが「大航海時代」です。

 

アメリカの独立戦争にも、関税が、大きく影響をしていた。

アメリカが、イギリスの植民地だった頃、アメリカに税金は、ほぼ、掛けられていなかった。それは、アメリカを開拓するために、移住を促すため。

しかし、アメリカを無税にしていることは、次第に、イギリスの負担になって来る。

イギリス本国は、アメリカの植民地を、周辺を植民地にしているフランス、オランダなどから、戦って守らなければならなかった。

しかも、アメリカの植民地に住む人たちには、納税の義務も兵役の義務もなく、イギリスは、本国から、軍隊を派遣しなければならなかった。

イギリスは、その負担を減らすために、何とか、アメリカ植民地に、財源を作ろうと、印紙法などを制定したりしますが、アメリカの植民地に居る人たちは、それを守らず、抵抗した。

なぜかと言えば、アメリカには、議員の議席が無かったから。

「代表なくして、課税なし」

この言葉を用いて、アメリカの植民地に居た人たちは、課税を拒否したということ。

ならば、と、イギリスは、アメリカ植民地に議席を与えようとしますが、アメリカ植民地は、これも拒否。

そこで、イギリスは、当時、アメリカ植民地が大量に密輸していた、お茶を、低価格で売りつけることで、財政負担をさせようとした。

イギリスは、国策会社である東インド会社に、無関税で、アメリカ植民地に、お茶を売ることが出来る特権を与える。無関税のお茶は、密輸をしたお茶よりも、値段が安い。

そのため、東インド会社、つまり、イギリス本国が、儲かるということ。

これに、アメリカ植民地の密輸業者が反発する。

そもそも「代表なくして、課税なし」という理屈から、アメリカ植民地の人たちは、関税を払う必要はなく、密輸は当然だという考えがあった。

そのため、密輸業者といっても、それは、普通の会社と、アメリカ植民地の人たちは認識をしていた。

そして、この密輸業者の人たちが中心となって起したのが「ボストン茶会事件」です。

この「ボストン茶会事件」が、アメリカの独立戦争に発展することになる。

 

さて、第二次世界大戦後、アメリカは、出来るだけ関税を掛けない「自由貿易」を推進して行くことになる。

このアメリカの価値観の元で、国際貿易ルールが、作られて行くことになる。

なぜ、アメリカは、自由貿易を推進して行ったのか。

それは、第二次世界大戦直後、アメリカは、農業生産、工業生産で、世界のトップ。

このアメリカの生産品を、世界に売るためには、当時、多くの植民地を持っていたイギリス、フランスなどに、市場を開放してもらわなければならなかった。

そのために、アメリカは、出来るだけ関税をかけない自由貿易を、世界に求めることになる。

しかし、このアメリカのもくろみは、ドイツ、日本などが、工業生産力を、予想外の早さで回復させ、アメリカを凌駕することで、外れることになる。

そして、アメリカは、貿易赤字に落ち込み、今、トランプ大統領が、高関税によって、この貿易赤字を解消しようとしている。

 

ちなみに、経済学者のケインズは、戦後の「ブレトン・ウッズ会議」の中で、「各国の貿易は、輸出入を均衡にすることを目指すべきだ」と発言をしているそう。

こうすれば、自国の産業を守れるし、他国の産業も壊さない。

しかし、これに反対をしたのがアメリカです。

 

以下、個人的な考え。

 

やはり、「関税」というものは、昔から、国家の重要な財源だったんですね。

日本は、幕末に、欧米列強と結んだ条約に「関税自主権」が無かったため、これを改正するのに、とても、苦労をした。

 

しかし、ケインズが、「各国の貿易は、輸出入を均衡にするべきだ」と主張をしていたというのは、意外でした。

国際貿易とは、関税は、低い方が良いと、勝手に、思っていたのですが、これは、第二次世界大戦後、アメリカが、自国の都合によって、提唱した価値観だったんですね。

そして、今、アメリカは、大きな貿易赤字。

歴史的観点から見れば、今、トランプ大統領がやろうとしていることは、あながち、間違いではない、と、言うことなのでしょう。

しかし、その過程が、あまりにも急激で、あまりにも乱暴なので、世界を、混乱に陥れている。

 

今後、この、世界の貿易は、どうなって行くのでしょうね。

良くなって行くのか、それとも、悪くなって行くのか。