先日、タレントの亀山忍さんが亡くなったという記事がありました。

とても、驚きました。

まだ、56歳。

長年、闘病生活を続けられていたようですね。

 

一時は、よくテレビで見ていた気がしますが、やはり、亀山忍さんが、タレントとして有名になったのは、双子の兄、亀山努さんの影響が大きかったのでしょう。

亀山努さんは、プロ野球、阪神タイガーズの人気選手だった。

ハツラツとした全力プレーで、大きな人気を泊しましたよね。

特に、一塁へのヘッドスライディングは、亀山選手の代名詞。

 

確か、「一塁には、ヘッドスライディングをするよりも、走り抜けた方が、速い」という話がありますよね。

しかし、問題は、そこではないと思います。

重要なのは、観客、視聴者を魅了する、全力プレーですよね。

つまり、観客を、喜ばせてくれるプレー。

かつての巨人の長嶋茂雄選手も、そうでしたよね。

亀山選手のプレーにも、長嶋さんと共通するところがあったのかも。

 

ちなみに、ネットで、改めて、亀山選手について調べてみると、一軍で活躍をした時期は、意外と、短かったようですね。

しかも、怪我が多く、試合に出ることが出来ない期間も、多かったよう。

 

亀山選手は、僕も、大好きな選手だったのですが、個人的に、関心を持ったのは、亀山選手の背番号「00」。

こんな背番号が、あるんだな、と、驚きました。

 

ちなみに、背番号「0」には、どういう意味があるのか。

ネットで調べてみる。

 

どうも、最初に、背番号「0」をつけたのは、「アル・オリバー」というメジャー・リーガーだったそうですね。

そして、この、アル・オリバーが、1982年に、首位打者を取ったことから、日本のプロ野球で、長嶋清幸という選手が、監督と話し合い、背番号を「0」に変更したのが、日本のプロ野球での最初の背番号「0」ということのよう。

 

しかし、実は、それ以前にも、日本には、背番号「0」が、存在しました。

 

それは、寺田ヒオロさんの漫画「背番号0」です。

 

 

この漫画。

主人公の少年「ゼロくん」と、ゼロくんが所属する野球チーム「Zチーム」のメンバーたちの、ほのぼのとした日常が描かれる。

もちろん、野球の試合もありますが、後の、「スポ根」とか、「絶対に、敵のチームに勝つ」といった、熱血ものとは、ほど遠い。

 

寺田ヒロオさんが、地元の新潟に居る時、漫画と共に、野球に熱中していたのは、ファンの間では、有名な話。

しかし、藤子不二雄Aさんの漫画「まんが道」には、寺田さんが、「都市対抗野球に、ピッチャーとして出場した」と描かれていて、これを知っている人は、多いのかも、と、思うのですが、実は、これは、間違いのようです。

 

寺田さんは、高校生まで、野球と漫画に、熱中をしていたのは事実。

高校を卒業後、父親のツテで、警察署に事務職として勤めるようになったそうですが、そこで、警察署の野球チームに所属していた。

そして、その警察署のチームと、電電公社のチームとで試合をした時、寺田さんを見て、「うちに来ないか」と、電電公社の人が、寺田さんを誘ったそう。

そこで、寺田さんは、警察署の事務職から、電電公社の新発田支店に転職。

そこで、電電公社のチームに所属する。

 

当時、野球は、国民的人気スポーツで、電電公社でも、支社ごとに野球チームがあり、その電電公社の中で、地区予選、そして、全国大会があったそうです。

寺田さんは、この電電公社の野球チームの全国大会に出場した、と、言うのが、事実のようです。

 

また、寺田さんが、プロ野球選手になるか、漫画家になるかを、悩んだという話もあるようですが、これは、どうでしょう。

寺田さんが、プロ野球選手を目指せるほどの、有力選手だったとは、思えないところ。

 

この寺田さんの「背番号0」の連載が始まったのが、1956年。

その後、掲載誌を変えながら、1968年まで、連載は、続いたようです。

 

この「背番号0」は、全巻、揃えたいところですが、少し、値段が高い。

今の子供には、こういった漫画は、ウケないのでしょうが、やはり、良い漫画です。