さて、先日、「くず屋」の話をしましたが、今度は、「チンドン屋」について。

藤子不二雄さんの「オバケのQ太郎」を読んでいて、「パパの書類が消えちゃった」というエピソードの中に、「チンドン屋」が、登場していました。

 

 

この「チンドン屋」もまた、僕は、実際に、見たことが無い。

しかし、「くず屋」とは違って、テレビの中では、この「チンドン屋」を、何度か、見た記憶があります。

 

さて、この「チンドン屋」について、ネットで調べてみる。

 

この「チンドン屋」とは、楽器を「チンチン、ドンドン」と鳴らして人目を引き、商品や店舗の宣伝をする請負広告業の一類。

披露目屋、東西屋と呼ぶ地域もあるそうです。

また、カラフルな衣装を纏う人のことを「チンドン屋」を呼ぶ地域もあるそうです。

 

店舗の近隣を回る「街廻り」の仕事が基本だそうですが、大規模店舗や催し物の会場内を回ることなどもあるそう。

 

鐘や太鼓を「チンチン、ドンドン」と鳴らすので「チンドン屋」かと思っていたのですが、この言葉の成立過程は、明らかではないそうです。

しかし、他には、考えられない気がする。

 

「チンドン屋」という言葉時代は、明治の初めから存在するそうで、当時の新聞などに言葉が見られるそうですが、この「チンドン屋」が、何を指すのかは、明確ではないということ。

 

現代の「チンドン屋」につながるものとしては、大正の末期から、昭和の初めに登場、普及をしたと考えられる。

当初は、単独で、派手な衣装を身につけ、口上を行うものだったそうで、必ずしも、楽器は、伴わない。

 

大正期に登場した「チンドン屋」は、口上を主体とし、寄席芸人からの流入や、三味線弾きなどが参加をしたもの。

大正末期には、管楽器奏者を加えた形態が増え、それが、定着して行く。

 

1941年に、「チンドン屋」は、大道芸などと共に、禁止をされたそうですが、戦後の復興期に、勢いを取り戻す。

昭和30年代には、全国各地で、「チンドン屋」のコンクールなども、開かれていたそうです。

しかし、昭和40年代頃から、テレビの普及や、自動車が広まり、商店街に、人が集まらなくなったことで、「チンドン屋」もまた、衰退をして行く。

 

色々と、歴史を見ていくと、面白いですね。

一つの文化として、歴史の流れがある。

 

さて、昔から、個人的に、疑問に思っていること。

 

昔、有名な「悪口」の定番として、「お前の母ちゃん、デベソ」と、もう一つ、「アホ、バカ、チンドン屋」というものがありましたよね。

なぜ、「お前の母ちゃん、デベソ」が、悪口になるのかというもの疑問ですが、「アホ、バカ、チンドン屋」という悪口の中に、「チンドン屋」が含まれているのもまた、疑問だった。

やはり、「チンドン屋」と呼ばれることは、あまり、良いイメージではなかった、と、言うことなのでしょうかね。