さて、「量子のパラドックス」の続き。

 

 

量子は、誰も観測をしていない時には、「波」の性質を持つ。

そして、誰かが観測をすると、「波」は、一つの「粒」に、収縮をする。

これが、「コペンハーゲン解釈」です。

 

しかし、この「コペンハーゲン解釈」では、「波動関数」が、収縮をする仕組みを、説明することが出来ない。

そこで、登場したのが、「多世界解釈」というもの。

 

この「多世界解釈」では、「波」が「粒」に収縮をしたとは考えません。

では、観測によって「波」が「粒」になるのこを、どう考えるのか。

 

量子の「波」とは、その量子の「粒」が、存在をしている「確率」です。

量子の「粒」は、確率的に、その「波」の中に存在をしている。

そして、量子を、観測をすることによって、その確率の「波」の中に、一つの「粒」を見つけることになる。

 

これを、「コペンハーゲン解釈」では、「波が収縮をして、粒になった」と考える訳ですが、「多世界解釈」では、「この世界では、たまたま、この位置に、粒が見つかった」と考える。

そして、当然、別の場所に粒が見つかる可能性もあった訳で、この時、「世界、そのものが、分岐をした」と「多世界解釈」では、考えます。

そして、分岐をした世界は、その後、お互いに、干渉することは、ありません。

 

この「多世界解釈」は、理論的には、矛盾しませんが、それを、実験で証明することは出来ません。

果たして、この世界は、本当に、多くの世界に分岐をしているのでしょうか。

 

さて、この「多世界解釈」を元にした、面白い話が、載っています。

それが「量子自殺実験」と呼ばれるもの。

 

量子力学的な確率で作動する「量子銃」があるとします。

この「量子銃」は、50パーセントの確率で、引き金を引くと、弾が、発射されることになります。

この「量子銃」を、自分の頭に向けて、引き金を引くとします。

それを、10回連続で行うと、どうなるのか。

 

この時、もし「コペンハーゲン解釈」が正しければ、恐らく、この実験を行う人は、確実に、死亡します。

50パーセントの確率で、弾が、発射される銃が、10回連続で、弾が、発射されないという可能性は、まず、無い。

 

これを、「多世界解釈」が、正しいとすると、どうなるのか。

 

1回、引き金を引くごとに、「弾が、発射されて、死んだ自分」と、「弾が、発射されないで、生きている自分」の、二つの世界に、この世界が、「分岐」をすることになります。

そして、「弾が、発射されないで、生きている自分」の世界に居る自分が、二回目の引き金を引く。

すると、また、「弾が、発射されて、死んだ自分」と、「弾が、発射されないで、生きている自分」の、二つの世界に、更に、世界が、「分岐」をします。

そして、「弾が、発射されないで、生きている自分」の世界に居る自分が、三回目の引き金を引く。

するとまた、……。

 

こうやって、実験は、10回、続き、必ず、「弾が、発射されないで、生きている自分」が、存在をする世界が、一つ、続いていることになります。

これもまた、「パラドックス」と言えるでしょう。

 

 

この本も、以前、読みましたが、なかなか、面白かったです。