雑誌「ニュートン」の今月号。
特集は、「量子のパラドクス」。
量子の振る舞いは、一般常識とは、かけ離れていて、とても、理解の出来ないもの。
それは、一般素人は、もちろん、専門家でも同じで、そこに、量子の、様々な「パラドックス」がある。
その中の一つが、「切断のパラドックス」と呼ばれるもの。
さて、「波」の性質と、「粒」の性質を、「重ね合わせ」て、同時に持つ「量子」というもの。
この、「量子」は、誰も観測をしていない時には、「波」の性質を持ち、誰かが観測をすると「粒」に変わる。
なぜなのか。
その理由は、よく分かっていません。
現在、一般的な解釈は「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるもの。
これは、量子を、誰かが観測した瞬間、「波」が、一点に収縮をし、「粒」となる。
この「波の収縮」は、「波動関数」によって、計算をすることが出来る。
さて、この量子が、「波」から「粒」に変わる瞬間。
つまり、量子が、「観測をされた瞬間」とは、具体的に、何時のことなのか。
これは、量子論の創世初期から問題となっている、「観測問題」と呼ばれるもの。
例えば、放射性原子から、放射線が放出され、放射線検出装置が、それを捕らえ、そのモニターを、人間が、目で見た場合。
この時、観測者は、「誰」で、波動関数の収縮は、「何時」起こったのか。
放射線検出装置が、放射線を捕らえた時が、「観測」なのか。
それとも、その様子が、モニターに映し出された時が、「観測」なのか。
それとも、そのモニターを、人間が、目で、見た時が、「観測」なのか。
更に、踏み込むと、目の網膜が、モニターから出る光子を捕らえた時が、「観測」なのか。
その信号が、神経を伝わり、脳に届いた時が、「観測」なのか。
このように、「観測をする側」と「観測をされる側」を、どこで区切れば良いのか。
これが、「切断のパラドックス」です。
「観測」によって、「波動関数の収縮」が起こるのなら、この「観測」の時点が分からないと、何時、「波動関数の収縮」が起こったのかが、分からない。
さて、この問題を、更に、発展させた思考実験が「ウィグナーの友人」と呼ばれるもの。
上の実験の全てが、密室の中で、行われたとします。
そして、ウィグナーは、密室の中で、その実験をした友人に、密室の外から、実験の結果を聞きます。
この場合、「波動関数」が収縮をす「観測者」は、誰なのか。
ウィグナーが、実験結果を聞くまで、密室の中では、「放射線を検出した友人」と、「放射線を検出しない友人」が、「重ね合わせ」の状態で、存在をしているのか。
何だか、よく分からないですよね。
専門家が、よく分からないのですから、素人が、分からないのは、当然です。