今朝の藤井海岸。
雲が、低く、立ちこめていました。
このような天気は、久しぶり。
この後、雨が降り始め、雨が降るのも、久しぶりですね。
今日は、比較的、涼しい日でした。
少し、余談。
さて、先日、放送された、大河ドラマ「べらぼう」
田沼意知が、佐野政言に、殿中で、斬りかかられた瞬間で、終了。
しかも、次の日曜日は、参院選で、放送が、無い。
この状況で、二週間も、待たなければならないとは。
さて、ドラマでは、田沼失脚を狙う者が、佐野政言を、そそのかした、と、言う経緯のようですね。
しかし、史実としては、佐野政言が、田沼意知を斬った理由は、明確ではないということのよう。
もっとも、いくつかの説は、存在する。
その中で、個人的に、興味深いものが、一つ。
佐野政言は、名字が「佐野」ということで、どうも、秀郷流藤原氏の名門、「佐野氏」を名乗っていたようですね。
最も、これが、事実なのかどうかは、分からない。
この秀郷流藤原氏の「佐野氏」は、「藤姓足利氏」の庶流だそうで、戦国時代には、唐沢山城を拠点に、上杉謙信を相手に、度々、戦うことになる。
実は、田沼意次の「田沼氏」もまた、この「佐野氏」から出た一族だそうですね。
佐野荘の田沼城の領主が「田沼」の名字を名乗ったのが、最初だそう。
最も、田沼意次の場合も、本当に、この「田沼氏」の系統なのかどうかは、疑問のあるところ。
武家が、その血統を詐称するのは、よくある話。
あの徳川家康が、「清和源氏新田流」を詐称したのは、有名な話。
そして、武家にとっては、「家系図」というものが、かなり重要なものだったようで。徳川家康は、関東に入った時に、上野国で、「清和源氏新田流」の嫡流を名乗っていた「岩松氏」の当主を、江戸に呼び出し、「家系図を出せ」と言ったそうですが、岩松氏は、それを断ったということ。
そのため、新田岩松氏は、江戸時代を通じて、かなり低い身分に、甘んじることになる。
そして、田沼意次は、佐野政言の佐野家に対して「家系図を出せ」と言い、家系図を持って行ったまま、返さなかったという話で、それが、佐野政言が、田沼意知を斬った理由とも言われているようですね。
これもまた、事実なのかどうかは、分かりませんが、もし、事実だとすれば、「家系図を失った」ということは、家の一大事であることは違いない。
田沼家は、元々、佐野家の分家であり、家来筋ということになる。
家系図を奪ったということは、自分の方が、家格が上だということを示したいという意図があったのかと思われます。
次回、大河ドラマ「べらぼう」は、どうなるのか。
いよいよ、田沼意次、失脚、と、言うことになるのでしょう。